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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

学力テスト論評(続)

2007年07月20日 | 平和憲法
 ★ 競わされる子どもたち ★
 これでも受ける?
 43年ぶりに復活した 全国学力テスト(続)

木附千晶
■ 学校の評判優先する品川区

 品川区では、小中一貫校の開校や四・三・二制の義務教育課程の導入、市民科(注1)創設など、ほかに先駆けた内容も「効果の裏付けもなく場当たり的」と親には評判が悪い。
 ステップアップ学習(習熟度別授業)で勉強嫌いになる子も増加。葉子さん(仮名・一五歳)もそのひとり。通う小学校は算数の習熟度別研究モデル校だった。一単元終わるごとに四段階のクラスから自分に合うところを選ばされ、授業を受けた。「上の二クラスは、各自プリントをやって先生は丸付けするだけ。三番目のクラスはみんなが先生に教えてもらおうと行列をつくるからいつも時間切れ。一番下はずっと図形を描かされ問題も解かせてもらえない。結局、どのクラスでもきちんと教えてもらえなかった」(葉子さん)
 また小規模校が生き残りをかけて「特色づくり」に励むなか、他校から主カメンバほ全員を引き抜き、バレーボール女子全国大会で三位になった中学もある。当時、同校に勤務していた教師は言う。
 「主力メンバーが転入する直前まで「今度レギュラーになる」とうれしそうにしていた子がいました。『頑張ろう』と思っていた子どもの気持ちも考えてほしかった」
 統廃合されない「選ばれる学校」であり続けるためには子どもの気持ちより学校の評判が優先。問題が起きても隠蔽し、トラブルを起こしそうな子を嫌がる学校が増えた。あからさまに「お宅の子はこないでほしい」と言われた例もあるという。

 「意見を言いたくても『選んだのだから学校にしたがってもらう』という雰囲気。さまざまな地域から集まってくる親同士のコミュニケーションは難しく、「一緒に学校と話し合おう」という感じにならない。何かあると直接、教育委員会に連絡するなど問題の人物を排除しようとする親も増えた」(「品川の子どもと教育を考える会」の内田ユリコさん)
 「今の品川の教育は学校選択制によってマイナス要因を『逃げる』『避ける』『よける』。子も親もトラブルがあるとすぐほかの学校に移り、教師は見ないふり。かかわりが薄くなったせいか教師に対して反抗心を抱くこともなくなった。三人の子がいるのですが、下の子になるほど従順です。『意欲』や『関心』を評価するようになって、学校が望むことを無批判に先取りしていくように変化しているのです。反抗心がなければ自律心も芽生えないのに」(「旗の台・中延子育て懇談会」の大野文博さん)
 教師にも余裕がない。前述したように市民科や小学校からの英語、小中一貫教育のための合同会議や校舎を移動しての授業、学力アップのための授業時間増加…、トップダウンの新施策が矢継ぎ早に出される。
「以前は子どもと放課後に雑談したりできたけど、今はそんな時間は取れない。子どもと人間関係を結ぶ手段がなくなり、精神疾患になる教師が増えています」(小学校教師)当然、子どもたちは荒れる。そうすると、「『市民科をきちんとやっていれば問題は起きないはずだ』と校長に怒鳴られる」(小学校教師)。
「先生は忙しそうで話しかけにくい。学校の評判にかかわる服装などは全体集会でうるさく言ううけど、一人ひとりに向かって怒らない。勉強でも、先生が見ているのはテストの得点。子どもじゃない」(葉子さん)
 子どもを見ていないのは、全国学カテストを導人しようとするおとなも同じだと葉子さんは言う。
 「どの学校にも頭の良い子も悪い子もいるのに、私たちをカタマリで捉えて『いい学校』とか『悪い学校』とか決めようとしている。みんな今度のテストも普通に”流す”はず。だって、勉強はできてもできなくても個人の問題。みんな、ほかの子のことはかまわない」
 品川区にある学習塾エルムアカデミーの矢沢広之代表は、最近の子どもたちの傾向をこう語る。
 「個々に切り離され、話し合ったり、みんなで何かしたりできない。勉強もわかったときの達成感を経験していないので、最初から『もういい』とあきらめる子が増えました」
 足立・品川では人間関係が分断され、「子ども期」を失い、孤立した子どもは「あきらめ」ることが多くなった。とても子どもが能力を開花させられる状態とは思えない。

■ テストの先にあるもの

 文部科学省にそうした認識はないようだ。初等中等教育局学力調査室の高口努室長は言う。「学力調査が問題を引き起こしているとは聞いていません。もしそんな事態が起きているなら教育委員会はすみやかに対処すべきです。今回の調査も競争の道具とならないように、実施要領で市町村別、学校別は公表しない取り扱いにするなど配慮しました。目的は児童生徒の学力・学習状況を調べ、課題を改善することですから」。
 だが、全国学カテストの実施を公の立場で主張したのは、常々「国家発展のための人材育成には競争意識を高めることが大事」と発言していた中山成彬文科相(当時)だ。その後、公教育への競争と選択の導入を提言してきた経済財政諮問会議(〇五年)や規制改革・民間開放推進会議(〇六年)などが、全国学カテストの必要性を述べている。
 不開示情報にしても「区市町村が住民に自己の結果を公表するのは、それぞれに委ねる」(高口氏)というから、結果が公表されるのは必至だ。今年二月には大阪高裁が大阪府枚方市教育委員会に対し、同市が実施した学カテストの学校ごとの結果を公表するよう命じた判決も出た。
 名古屋大学の中嶋哲彦教授(教育行政学)は文科省の真意をこう読む。「文科省は立場上『競争によって学力の向上を図る』とは明言できません。だからマネジメントサイクルを確立し、文科省が地方行政と学校運営をコントロールしたいのです」
 このサイクルは企業が製品の品質向上や経費削減などに用いてきた経営改善手法。これが教育に導入されれば子は品物のように管理され、品質向上のために競わされ、各学校には子どもの数と質に応じた予算配分が行なわれる。だからテストは「全員参加」で、個々の学校の成果が測定できなければならない。
 余談だが、文科省の「マネジメントサイクルに基づく戦略的な学校経営の調査・研究」の指定校があるのは東京都足立区である。全国学カテストの先に待っているのは、学校選択制の拡大、学校間・子ども間の競争と序列、生徒数に合わせた学校への予算配分。そしてバウチャー制度(注2)以外の何ものでもない。
 教育を変質させ「子ども期」を支える土台を破壊すれば、子どもは自律的・道徳的なおとなへと成長ずる機会をなくし、人間としての能力を十発達させることができない。子どもを競わせようとする人々は、発達途上にある「子どもという存在」を抹殺しようとしているに等しい。

(注1)今までの道徳や特別活動(学活)、総合的な学習の時間を統合し、"よき市民"となる基礎づくりを行なう。
(注2)義務教育のための公費を学校ではなく子どもに配分し、子どもが自分の希望する学校で教育が受けられるようにする仕組み。
きづき ちあき・ジャーナリスト。
DClの機関誌『子どもの権利モニター』編集長。

『週刊金曜日』(2007/4/20 №651)

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