パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

土肥裁判10.10最高裁直接要請行動<2>

2013年10月18日 | 暴走する都教委
  《土肥元校長の裁判を支援する会》
 ■ 保護者の要請文と教え子の要請文


 ■ 都立三鷹高校時代の保護者 Y.K要請内容
 私のお願いは、判決を下すにあたり、ちゃんと真実を見て正しく判断して欲しいということです。
 土肥先生の業績評価がオ-ルCで、その理由が、生徒・保護者・都民の信頼を著しく貶めたということでしたが、実際は全く逆で、土肥先生ほど生徒・保護者から信頼の厚い愛された校長先生は、いませんでした
 その代表的な事例をお話します。私は長男が三鷹高校在学中、PTAの委員をしていました。PTA発行の広報誌の特集で全校生徒にアンケートを取ったのですが、三鷹高校で一番好きなところは?という問いに自由な校風や文武両道なところなどの回答と同じく校長先生が好き!と多くの生徒が回答しました。生徒にとって土肥校長は、自慢の先生だった、ということです。
 また、PTA主催の企画『校長先生を囲む会』に100名を優に超え、会場いっぱい入りきらないほどの保護者が参加したということです。土肥先生の話が聞きたい!直接話がしたい!と会場に集まった保護者は、みんな笑顔で楽しい時間を過ごしました。保護者にも土肥校長は、愛され大切な存在だったのです。
 そして、卒業式の日には、校長室に別れを惜しむ卒業生がつめかけて、土肥先生と写真を撮ったり、最後のおしゃべりを楽しむ姿がありました。卒業生にとって土肥先生との学校生活がどんなに素敵なものだったかを物語る事例です。
 このように生徒からも保護者からも愛されていた土肥先生は、定年という先生の卒業にあたって、生徒からは卒業証書を保護者からは卒業アルバムが贈られました。
 もし、信頼が貶められたと思っていたらこんな事例はなかったでしょう。このような事実をちゃんと見て正しくご判断頂きますようお願い申し上げます。
 ■ 都立小川高校時代の教え子 N.T要請内容
 私は、平成9年3月に都立小川高校の全日制を卒業した卒業生です。私が高校3年生の時、土肥先生による政治経済の授業を受けました。
 都立小川高校を卒業して約11年後の2008年、土肥先生が都教委に対して異議申し立ての記者会見を開いたとの新聞記事を見ました。そのときは、土肥先生から受けた授業の内容や日々のことを詳細に思い出す前に、「あ、あの土肥先生だ。何か手伝えることがあれば手伝いたい」自然に思いました。また、当時の同級生達も11年ぶりに土肥先生の名前を聞き、懐かしく、好意的に土肥先生のことを思い出していました。
 その後、土肥先生の裁判を支援する活動に参加しましたが、以前から特別に教育に関心があったり、こういう活動をしていたわけではありません。2009年の裁判開始前に12年ぶりに土肥先生と再会して、「何ができるかわからないが、土肥先生の助けになるなら」という自然な気持ちで始めたことです。
 この間地方裁判所、高等裁判所と二つの判決が出ましたが、この二つの判決には大変失望しました。裁判とは純粋に当事者同士の証拠に基づき、公正・公平に判断を下すものと考えていましたが、実際はそれとはまったく異なるものだったからです。判決「校長は上意下達の中間に位置して、教育委員会の言うことだけを聞いていればよい」という教育委員会の考えに寄り添い、それを補強するかのような内容になっています。
 実際に子供達と接する教員、校長が「上から言われたことだけやっていればよい」というような立場におかれているなかで、子供達の本当の成長が実現するのでしょうか。このような状況の中で育まれる子供達は、力強く新しいことに挑戦する、生き生きとした人間になれるのでしょうか。同世代の友人達も同様の危惧を持っています。
 最高裁では正しい判断が示されるよう。同世代の友人達一同心から願っております。

『土肥元校長の裁判を支援する会』
http://dohi-shien.com/html/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=75
コメント    この記事についてブログを書く
« 土肥裁判10.10最高裁直... | トップ | 無所属の山本太郎参院議員の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

暴走する都教委」カテゴリの最新記事