パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

ヘイトスピーチは許さない(下)

2014年08月21日 | 平和憲法
 ◆ 国の中に仮想敵をつくる
まんが家 石坂 啓

 ◆ 向こうに取り込まれている
 漫画家の小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言』は、最初現れたときには危なっかしく感じたと同時によくここまで描いたなというのがあった。例えば、坂本弁護士一家の失踪について犯人はオウム真理教だと漫画で描いていた。薬害エイズでも帝京大学の安部英氏の似顔絵を描いたりしていた。
 1980年、90年代、世の中はバブルで「浮かれポンチ」になっていた。売れさえすれば何が悪い、テレビではおもしろくなければテレビではないという風潮があった。あの時代は、ちょっと真面目なことを話すと、「ネクラ」「ダサイ」「暗い」と言われた。真面目なことや社会的なことを言う場が若い人にはなかった。
 そのときに、第二次世界大戦はどういうことかと初めて接したのが『ゴーマニズム宣言』だったとすると、そちらの方に若い人が流れて行った。
 一方で、初めて悩みを聞いてくれたのが麻原彰晃だったから、オウムへと流れて行ったと思う。初めて接したのが手塚治虫の漫画、ピースボートだったらまったく変わっていたのではないか。
 アヒルが卵からかえって最初に見たのを親と思うのと同じだ。若い人たちは、『ゴーマニズム宣言』で、雷に打たれたように社会的に真面目なことについて自分で考えて勉強したつもりになったといえる。大人が若い人に、材料、バックボーンを見せてこなかったツケが回って向こうに取り込まれてしまった気がする。
 白戸三平の『カムイ伝』を読んでほしかったと思う。

 ◆ トップ自体が思い込んでる
 為政者にとっては、世の中に向かって君たちが貧乏であることも、仕事にありつけないことも、他者に原因があると言ってさえすれば安穏で都合がいいのだ。国の中に仮想敵をつくりあげている。
 被曝特権、原発特権、在日特権などがあげられている。それを敵にして正義の闘いを挑んできている。「陰謀論」といえる。
 この国のトップ自体が思い込んでいる。麻生太郎副総理のように「ワイマール憲法のなかでヒトラーが出てきた手口を学んだらどうかね」とまで言っている。
 なんのためらいもなく、学習能力もなく、よかれと思って本気で言っている。
 今の政治家は前の戦争はまちがっていなかった。本気で集団的自衛権は正しい、憲法を変えることがこの国のためになる、軍隊を持つことに胸をはっている、これらのことに一つの迷いもない。
 ◆ 憲法改悪は安倍首相の使命
 原発の問題も同じことがいえる。安倍首相のもとには届かない。彼は安倍首相の祖父、日米安保条約のときの岸信介首相を立派だと思っている。リーダーは愚民の声などに惑わされてはいけないと考えている。だから、日本国憲法改悪は悲願でもなんでもなくて、この国を正しく導かないといけないと本気で思っている。安倍首相にとっては悲願でなく自分の使命だとなっている。
 安倍政権は、ヘイトスピーチについて政府として対策をしなければいけないはずだ。だが何もしていない。
 私たちが考えておかなければならないのは、このシンポジウムには多くの人が集まってきてはいるが、世の中ではものすごく少数だということだ。家に帰って隣近所や知人たちとこの話が通じていたらとっくにこの国はよくなっている。
 ◆ 戦時中と考えれば符合することが多い
 それじゃあ、これからどうするかという問題がある。今は戦後69年だが、戦後でもない、戦前でもない、戦時中だと考えると社会の動きが非常に符号することが多い。前の戦争の始まりはこんな感じだったと思う。
 一部の人がオロカなことを言っていると、良識のある人が相手にしていなかったうちに、身動きがとれなくなっていった。大ウソでも百回言っていると本当になる
 従軍慰安婦のことを以前、漫画に描いたことがある。週刊漫画雑誌に描いていたのを単行本にすることになり、編集者から絵を直してほしいと言われた
 内容は、慰安婦にされた朝鮮の女性が逃げ出そうとして兵隊に捕まり殴り殺されるシーンを描いていた。軍服を着てると読者からクレームがつくので民間服に直してほしいと言われた。私はそれはできませんと断った。軍部が関与していないと歴史的事実を変えるわけにはいかなかった。結果的にはそのまま本になった。
 なぜ週刊誌には掲載されたシーンが、単行本にするときにためらわれたかというと、ちょうどその頃、「新しい歴史教科書をつくる会」が発足して従軍慰安婦を問題にしていた。今日、学校現場では「新しい歴史教科書をつくる会」系の教科書を使わなければならない状況が広がってきている。
 ◆ 私たち自身が感度を持つこと
 やはり、ヘイトスピーチとレイシズムのことは、一部オロカな人の問題ではない。この国の空気が、自分たちの首を絞める状態になってきていることに対して、私たち自身がそれを受け止める感度を持っているかどうかだと思う。
 (6月11日、明治大学で開かれた「のりこえねっと」シンポジウムで、まんが家の石坂啓さんの発言要旨をまとめたものです)
『週刊新社会』(2014/8/12)

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