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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

誰も責任負えない原発事故(週刊新社会)

2014年12月25日 | フクシマ原発震災
 ▼ 避難生活間もなく4年 公正な裁判で徹底した救済を
「原発事故被害者相双の会」会長 國分富夫

 ▼ 原発被害者の声
 國分さんは12月7日、福島県内で開かれた第5回飯舘村放射能エコロジー研究会シンポジウムで、「補償と生活再建への思い」のなかで、双葉町仮設住宅の入々の声を次のように紹介している。
◆もう注めないと思っている。それでもふる里が恋しく帰りたい。
◆ふる里の悪い思い出など何一つ無い。
◆ふる里は世罪で一番良いところです。
◆原発などつくってご先祖様に申し訳ない。
◆私が死んだら放射能などいくら高くてもいいからふる里の墓に入れてと願う。
◆もう息子たちは帰って来ません。帰って来いとも言いません。どんなになっても家族が心配です。
◆息子たちと新天地に行きます。知人友人、親戚もいない所は不安でなりません。

◆街はますます荒廃していて、家は雑木がかぶさっている。これがかつての街並みなのかと思うと考えられない気もする。
◆小動物の死がいもあった。猿は大手を振ってとは言わないが我がもの顔だ。たったの4年で人間が住まなければ荒れ廃ててしまう。
◆若い人は放射能の心配もあるが、この姿も見たくないのだろう。
◆流れ者のような生活から落ち着いた生活をしたいと思う。
◆家族がそろって生活したいと思うのも当然のことだ。
◆耐えきれなくて亡くなっていくようなことが後を絶たない。
◆家族と別れ1人暮らし、厳しい4回目の冬が心配。
 懇談中にも涙ぐむ方も出てくる。また黙り込んでしまう入もいる。このように悩みながらも次への道へと行かざるを得なく進んでいるような気がする。
 生活再建はむずかしい問題だと思う。金や物で解決できることではない。また責任を負える者など、この世にいないことが事故後3年8カ月で明らかになった。
 ▼ 余儀なくされる別れ
 原発事故からもう3年9カ月が過ぎた。被災者にとっては「何が変わった」と言われたら「根本的なことは何も変わっていない」と言うしかない。多少であるが仮設住宅では別れが始まっている。
 もともと若い方たちは仕事を求めて離れて生活しているから家族はバラバラのままだ。復興住宅、中古住宅を取得、新築などで離れて行く、行くところが決まらず仮設住宅に残る人との別れである。
 皆さん、喜んで新天地に行くわけでない。新天地に行けばまた全てのやり直しになる。気楽に声もかけられない。これまでいろいろあった。引っ越して隣の方々に「お世話になります」と挨拶に行けば「避難者のあなた方とはお付き合いしません」「酒ばかり飲んで遊んでるだろう」などと耳にする。
 ▼ 原発に安全安心はない
 原発はこの1年を見ると、汚染水に振り回されているようである。高濃度の汚染水をどこに処分しているのか、誰が考えても地下水は止まることはないから海へ放出するほかない。回りを凍らせるとか、特殊セメントを流し込むとか、それもことごとく失敗ばかりだ。
 福島原発の廃炉まで40年と計画したようだが、福島第一原発は6基ある。全部廃炉と決めているが、79年のスリーマイル島原発事故から35年、86年のチェルノブイリ原発事故から28年が経過しても廃炉に至っていない。
 福島第一原発はメルトダウン、メルトスルーといわれている。この様な状態で廃炉が完了できるのか危ぶまれる。
 どう見ても世界に例のない大事故である。これで原発の安全神話は完全に崩れた。
 私たちが長年、原発の危険性を訴えてきたことをすべて否定し、国と電力会社が国民の血のにじむような税金を使い、どんなことがあっても電力が儲けるように法律を作り進めてきた。未曾有の事故を起こしてもその負担を国民に電気料金値上げをして転嫁した結果、日本の電気料金は世界一高いのだ。
 それに大事故を起こしても反省の一つもない。直接犠牲になったのは原発の近隣住民です。3年9カ月過ぎても避難生活が続き家族はバラバラ、地域コミニィティは壊され行き場がなくなっている。そのために半病人となり、自死者も後をたたない。このまま行けば避難者は追い詰められるばかりだ。
 ましてや自民党の総選挙大勝だから、憲法改悪へ一気に攻めてくると思われる。原発事故からの復興など頭の片隅にもないだろう。
 ▼ 原発・再稼働容認は犯罪
 このままでは被害者は立ち上がれない。司法の場で公正な裁判を求め徹底した闘いを進める以外ない。これだけ原発被害者が叩かれれば日本中の原発立地の住民は危機感が出てくると思う。
 今後、川内原発のように立地自治体、鹿児島県知事が再稼働に同意することは、福島原発事故を把握していないということだ
 今後事故が起きた場合どう責任をとるのか、全て国が責任をとると言っても福島を見れば分かるが、責任などとれるわけがない。まさに死の街となったことが当たり前と思って同意したのかと思うと怒りを感じる。
 原状回復、補償などやりきれないのだ
 先人たちへの補償、未来への補償、今後何年続くのか分からない放射能への不安、低線量被曝の不安、電力会社であろうが、国であろうが原発事故に対する責任を負える者などいない。福島第一原発事故で明らかになったのだ。
 それでも再稼働を容認し稼働するとするならば事故が起きた場合、現実を見ずに容認した者は明らかに犯罪者である。
『週刊新社会』(2014年12月23日)

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