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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

生徒がくれた卒業証書

2010年07月08日 | 暴走する都教委
 ◇ 9月2日(木)「学校に言論の自由を」土肥裁判第8回口頭弁論(10:00~東京地裁527)
 支援者の皆さん、お元気ですか
 このたび、作家澤宮優さんが「人間土肥信雄」を描いた『生徒がくれた“卒業証書”―元都立三鷹高校校長土肥信雄のたたかい―』を旬報社より出版して下さいました。
 この本を出版するに当たり、澤宮優さんは「私の都教委との闘いを書くのではなく、人間土肥信雄を描きたい。」と言われたのです。澤宮さんからそのように言われた時、私は澤宮さんに是非書いてもらいたいと思いました。
 何故私が現職中にリスクを負いながら、都教委とのたたかいを始めたのか。それを知るために、私の生まれた時からの環境や私の生き様、そして教育者としての私の教育活動を丁寧に取材して下さいました。この本を読んでいただければ、人間土肥信雄が、都教委とたたかいを始めた理由が理解いただけると思います。
 また、東京都教育委員会の実態を明らかにした岩波ブックレット「学校から言論の自由がなくなる」が昨年の岩波ブックレット在庫売り上げNO1となりました。「生徒がくれた卒業証書」とともに「学校から言論の自由がなくなる」も宜しくお願いします。
 尚、参考までに本の出版にあたり、「生徒がくれた卒業証書」への私のメッセージも添付します。
土肥 信雄

 澤宮優著「生徒がくれた卒業証書」へのメッセージ
 「たたかいの始まり、妻への想い」

 2006年10月5日、都立三鷹高校校長室の電話が鳴った。今思えば、この一本の電話が私の都教委に対するたたかいの始まりでした。電話の相手は教育庁指導部高等学校教育指導課の課長で、その内容は全く不可思議なものでした。
 「明日、指導部に来ていただきたい」。当然私は「用件は何ですか?」と何回も尋ねました。「用件は、今は言えません。とにかく明日来てください」。このように指導部が用件を言わない電話は初めてでした。しかも「全日制の副校長と定時制の副校長にも指導部に来てもらいたい」。全ての管理職が呼び出されて事情を聞かれるということは、三鷹高校が対外的に大きな失敗をしたというようなよほど重大なことだろうと推測されたのです。
 次の日の6日、約束の午前11時に課長のところに行くと、学務部(現在都立学校部)の課長と人事部の副参事の三人が既にそろっていました。
 第一声が「あなたの事を内部告発する投書があった。」私が内部の誰かによって密告されたのです(私は当初内部告発といっていたが、弁護士から「土肥さんは何も悪いことをやっていないからそれは密告だよ」と忠告された)。
 主な内容は二つ。一つ目は教育委員の米長氏を批判した。二つ目は日の丸・君が代裁判で管理職にもかかわらず、原告(教職員)が勝訴した難波判決を評価した。この二点について厳しく指導されたのです。
 「都立高校の管理職である校長にもかかわらず、教育委員の米長氏を批判するとは何事だ。日の丸・君が代問題で我々都教委(被告)の相手(原告)である教職員が勝訴した難波判決を校長が評価するとは何事だ。この内部告発の文書は既に教育委員と都議会にも行っている。今後このような発言をすると大変なことになるぞ。」と言われたのです。
 一回目の指導の時は、正直なところ私自身も少し言い過ぎたかなと反省の気持ちもありました。ところがこの指導の件を、以前から私に関心を持っていたあるテレビ放送関係者に報告したところ、「土肥先生、それは言論弾圧ですよ。弁護士を付けた方がいいですよ。」と言われ、ハッとしたのです。
 「私は何も悪いことをやっていない。ただ現在の東京都教育委員会(都教委)があまりにも強権的なのでそれを批判しただけなのに。批判しただけで、呼び出すのは、戦前の特別高等警察みたいなものだ。首相を批判しても警察に呼ばれないだろう。明らかに私に対する言論弾圧だ。」。
 しかも二回目、三回目の指導があり、「米長氏が三鷹高校に行く。」とまで言われたのです。明らかに脅迫としかいえません。この時、いずれ社会に訴えようと腹を決めたのです。もちろん現職中に。リスクのないたたかいは意味がないと思っていました。
 2008年5月2日、毎日新聞朝刊とTBSテレビ「ニュース23」に出たのです。
 2006年の密告事件以降も、都教委の強権的な姿勢は強まる一方でした。2008年3月の定時制の卒業式で都教委の厳しい指導にもかかわらず、個別的職務命令を発出しない時点で決心をしました。
 この決心が揺らいだのが妻からのメールです。「失うものはなくても、守らなくてはならない家族もあるのではないの。」私が社会に訴えるにあたって、「俺は校長だから失うものは何もない。」と妻に言っていたからです。この時は正直動揺しました。なぜなら今までも、私は妻に迷惑のかけっぱなしだったからです。
 私は大学4年生の時、大学付属牧場で第二頚椎完全骨折と命にかかわる大事故をやったのです。大学病院で死ぬか全身麻痺になる可能性があると言われました。
 実はその時結婚を約束していた人がいました。それが妻です。妻のことを考えれば別れざるを得ないと思い「医者から、死ぬか全身麻痺になる可能性があると言われた。今は一旦別れよう。でももし私の怪我が治って元気になった時、二人とも結婚したいと思っているなら結婚しよう。」でも私について来てくれたのです。
 そして商社を辞める時、ほとんどの人が反対する中、私について来てくれました。また、今の私を知っている人は信じられないかもしれませんが、教頭時代にこの私が精神的に落ち込み、休職寸前にまで追い込まれたこともありました。それを助けてくれたのも妻でした。
 そして今回・・・。悩みました。でも誰かが言わなければ、生徒の言論が奪われる、東京の教育が崩壊する、そして日本が崩壊する。歴史を見れば、言論の自由のない組織は必ず崩壊しているからです。だからこそ私は社会に訴えました。後悔だけはしたくなかったのです。「あの時言っておけばよかった」という後悔だけは・・・。
 妻も理解してくれたはずです。妻が理解してくれたのは教員土肥信雄とともに人間土肥信雄なのだと思います。
 この本を出版するに当たり、澤宮優さんは「私の都教委との闘いを書くのではなく、人間土肥信雄を描きたい。」と言われたのです。澤宮さんからそのように言われた時、私は澤宮さんに是非書いてもらいたいと思いました。何故なら、私の妻が理解してくれた人間土肥信雄を書いて下さると思ったからです。
 私が何故都教委との闘いを始めたのか。それを知るために、私の生まれた時からの環境や私の生き様、そして教育者としての私の教育活動を丁寧に取材して下さいました。人間土肥信雄が都教委と闘いを始めた理由がこの本を読んでいただければわかると思います。
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