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2005年7月9日(土曜日) 婚約
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冤罪といえば帝銀事件がまず浮かぶ。平沢にあれほどの毒殺能力があるわけない。
免田さんとは偶然の機会で銀座で飲んだ。彼もまた厳しい取調べの中で一旦自供に追い込まれた一人である。気持ちのいい男であった。
最近では植草氏の有罪が呆れた話である。証拠なにもなし。マスコミによって世間的にはまったく未熟な学者が断罪された。
神奈川県警の犯罪である。身内の盗撮には訓戒のみにて立件しない。認めれば釈放する、マスコミにも知られないようにすると騙されて植草氏は罠に嵌る。経済の勉強だけではなく日本の警察・公安・司法についての勉強が必要であったといえようか。騙されやすい人格であって何らの咎はない。かっこよく小泉・竹中の経済政策の弱点を暴露していて警察のターゲットとなった。
重ね重ね思うにマスコミも酷いものだ。好奇の対象、餌食とされた。警察発表をそのまま書くと言う犯罪行為をいい加減卒業したらどうなのか。いつまでも続けると言うのならそれはそれで正義の味方みたいな記事は載せないことだ。
東スポの方がまだ筋が通っている。皇太子とアメリカ女優婚約なる記事は今思っても傑作であった。
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2005年7月10日(日曜日) リンチ
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三浦和義氏は言う。「もうマスコミには私は絶望しているんです。絶望するしかないです」と。
マスコミが警察や公安のお先棒を担いで、「犯人だあ」、「犯人だあ」と騒ぎまくる。松本サリン事件の河野さんの時の報道を思い起こせば十分だろう。
権力の見方に異議を唱える、疑問を提示する一紙ぐらいあってよさそうなものだが。大本営発表をそのまま載せた、更に輪をかけて載せた戦時中の新聞と何ら変わるところがない。
権力の意向についていくのが安全なのだ。これこそがファシズムなのではないか。せめて異論を併記或いは小さくとも載せるべきである。これが刑事事件報道の鉄則である。
警察に唯々諾々の記者には内部告発も届かない。何を通報されるかと信用されないからだ。毅然としたスタンスをとらねば内部からの本当の話も伝わってこないというものだ。
林真須美氏に関しても同様である。犯人は別にいるという見方がある。状況証拠だけで人を死刑に追いやるという不当を載せるべきだ。なにやらマスコミ総体が民衆を煽って皆してリンチをなしているような状況である。
一面において民衆は残酷である。集団は必ず暴走する。
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2005年7月11日(月曜日) シン・ガンス
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今日、13日、夕刻のテレビのニュースを見ていたらあの辛光沫が登場していた。曽我ひとみ、横田めぐみさんの朝鮮語教師かつ思想教育担当者であったという。
彼は1970年石川県穴水の海岸より日本に潜入しているからその後も行ったり来たりしていたということになる。その潜入の際の工作員と思われる人物の孫がかのオームの林泰男であるという。
そういえばオームの村井を刺殺した徐裕行が住んでいた家は辛光沫の同居人の妹の家である。オームと北朝鮮との闇は限りなく深い。
辛光沫は1980年に大阪で原ただあきさんを騙して拉致、本人になりすましてパスポートを取得、東南アジア各地を徘徊している。1984年韓国に潜入して逮捕され、原さん拉致を自供。
となると当然のこと日本政府は辛光沫の身柄引き渡しを政治交渉すべきところだが動かない。国民を拉致されてその犯人が自供しているのに何もしない政府というのは一体何なのであろうか。
同じ監獄にいた後の立命館大学教授、徐勝は彼を心より尊敬しているという。徐勝はまだ教授なる地位にいるのであろうか。2000年に金大中は辛光沫を板門店より北に送還してしまった。
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2005年7月12日(火曜日) 回復
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辺見庸氏の作品、講演はそのまま短歌となる。
妙なことをと言われそうだが、言葉一つ一つに心が籠もっている。変換された表現がある。価値観の転倒がある。思索するということはおおよそこのようなことなのであろう。
普通に考えるということは考えているのではなくただ世間の闇に流されているだけなのであろう。何十年もの人生のなかであらためて事柄の意味を静かに考えてみるとそれまでの人生でこうだと思っていたことが泡のように消え去ってしまうことがある。また五年も生きればまったく違った感慨に囚われるかも知れぬ。
「聞こえぬ声」という講演の記録を読んだ。散文を五、七、五・・・に転換してみる。本人に怒られそうだが・・・。
語りえぬ 沈黙の核 幽界の 言葉紡ぎて 繭とぞなさむ
透明の 板の向こうに 男あり 語れるは我 聞くもまた我
もごいなる 語はむごいから 来てるらし 痛ましくもあり 愛しくもあり
執行の 報聞き塀を 廻りたり 木立に染みる 音を聞きたり
この国は 皆顔隠し 逃げにけり 残りし闇に 鵺の現る
先日、週刊誌にて脳損傷、生還記を読んだ。回復してよかった。
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2005年7月13日(水曜日) 命日
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今日、7月13日は母の命日である。信仰心なき我にして朝方仏壇の鉦を一つ鳴らした。五十四周忌となる。
思えば遠くに来たものだ。三十五歳ぐらいで亡くなっている。なんとも若い蹉跌である。
親父は昨年の冬に逝った。最後は体の自由が効かなくなった。喉を切開して言葉も失った。
夜中に呼吸器を抜いてしまうから寝巻きの袖をベッドの柵に縛った。何とも残酷であるが手を包帯で縛るよりもましかと思ったのだ。どう縛っても巧妙に手を擦り抜けた。夜中、付き添いがいないと呼吸器を抜いてしまう。痛いだろうに。
婦長は、「夜は私たちが見ますから」と言って一時、付き添いを拒否した。しかしずっと傍に居るわけでない。案の定、抜いてしまった。発見されるまで苦しかったことであろう。
若い看護婦さんがよく面倒をみてくれた。動けぬ体を台に乗せて風呂にもいれてくれた。前日の日記に書いた辺見庸氏もそのことに拘りをもって色々と書いている。感謝の念からであろう。
その看護婦さんにある時ひょいと言われた。「一緒にお風呂に入りますか」と。一瞬意味が分らなくて呆然とした。 妹は手伝ったという。
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2005年7月14日(木曜日) 猛暑
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猫は年に三日しか暑いと思わない、犬は年に三日しか寒くないという。
誰がこんなことを言ったのか。
猫でさえ 団扇であおぐ 猛暑かな
お体お大事に。
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2005年7月15日(金曜日) 悪友
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友人のK君はまことに内気である。人を押しのけたり偉そうに振舞ったりすることは勿論、人にああしろこうしてほしいなどと決して言わない。
そのK君、或る日調子悪く医者にみてもらった。医者、曰く、「脈がないぞ」かくしてペースメーカーを入れた。
世の中携帯電話全盛、電車が恐い。一緒に乗って、「この人大変だぁ・・携帯電源切って」、と大声で言ってあげると言ったら断られた。
誰か、ペースメーカーの洒落たマークを考えて公共広告で宣伝してくれないだろうか。そのワッペンでも付けていれば皆直ぐに気付くようにしたらどうだろうか。
裁判所に入る時、検問を通る。ライターにまで反応することがある。電磁波なのか。
K君、恐くて通れない。悪の仲間、「お前が犠牲になれば、裁判所規則が変更になる、突っ込め」、と唆す。悪い奴もいたものだ。
K君の述懐、「何か、見舞いに来てうれしそうな奴がいる。俺が具合悪くなって本当にうれしそうだ」
見舞いに行ってんだか何だか分らない友人もいるようだ。
2005年7月9日(土曜日) 婚約
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冤罪といえば帝銀事件がまず浮かぶ。平沢にあれほどの毒殺能力があるわけない。
免田さんとは偶然の機会で銀座で飲んだ。彼もまた厳しい取調べの中で一旦自供に追い込まれた一人である。気持ちのいい男であった。
最近では植草氏の有罪が呆れた話である。証拠なにもなし。マスコミによって世間的にはまったく未熟な学者が断罪された。
神奈川県警の犯罪である。身内の盗撮には訓戒のみにて立件しない。認めれば釈放する、マスコミにも知られないようにすると騙されて植草氏は罠に嵌る。経済の勉強だけではなく日本の警察・公安・司法についての勉強が必要であったといえようか。騙されやすい人格であって何らの咎はない。かっこよく小泉・竹中の経済政策の弱点を暴露していて警察のターゲットとなった。
重ね重ね思うにマスコミも酷いものだ。好奇の対象、餌食とされた。警察発表をそのまま書くと言う犯罪行為をいい加減卒業したらどうなのか。いつまでも続けると言うのならそれはそれで正義の味方みたいな記事は載せないことだ。
東スポの方がまだ筋が通っている。皇太子とアメリカ女優婚約なる記事は今思っても傑作であった。
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2005年7月10日(日曜日) リンチ
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三浦和義氏は言う。「もうマスコミには私は絶望しているんです。絶望するしかないです」と。
マスコミが警察や公安のお先棒を担いで、「犯人だあ」、「犯人だあ」と騒ぎまくる。松本サリン事件の河野さんの時の報道を思い起こせば十分だろう。
権力の見方に異議を唱える、疑問を提示する一紙ぐらいあってよさそうなものだが。大本営発表をそのまま載せた、更に輪をかけて載せた戦時中の新聞と何ら変わるところがない。
権力の意向についていくのが安全なのだ。これこそがファシズムなのではないか。せめて異論を併記或いは小さくとも載せるべきである。これが刑事事件報道の鉄則である。
警察に唯々諾々の記者には内部告発も届かない。何を通報されるかと信用されないからだ。毅然としたスタンスをとらねば内部からの本当の話も伝わってこないというものだ。
林真須美氏に関しても同様である。犯人は別にいるという見方がある。状況証拠だけで人を死刑に追いやるという不当を載せるべきだ。なにやらマスコミ総体が民衆を煽って皆してリンチをなしているような状況である。
一面において民衆は残酷である。集団は必ず暴走する。
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2005年7月11日(月曜日) シン・ガンス
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今日、13日、夕刻のテレビのニュースを見ていたらあの辛光沫が登場していた。曽我ひとみ、横田めぐみさんの朝鮮語教師かつ思想教育担当者であったという。
彼は1970年石川県穴水の海岸より日本に潜入しているからその後も行ったり来たりしていたということになる。その潜入の際の工作員と思われる人物の孫がかのオームの林泰男であるという。
そういえばオームの村井を刺殺した徐裕行が住んでいた家は辛光沫の同居人の妹の家である。オームと北朝鮮との闇は限りなく深い。
辛光沫は1980年に大阪で原ただあきさんを騙して拉致、本人になりすましてパスポートを取得、東南アジア各地を徘徊している。1984年韓国に潜入して逮捕され、原さん拉致を自供。
となると当然のこと日本政府は辛光沫の身柄引き渡しを政治交渉すべきところだが動かない。国民を拉致されてその犯人が自供しているのに何もしない政府というのは一体何なのであろうか。
同じ監獄にいた後の立命館大学教授、徐勝は彼を心より尊敬しているという。徐勝はまだ教授なる地位にいるのであろうか。2000年に金大中は辛光沫を板門店より北に送還してしまった。
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2005年7月12日(火曜日) 回復
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辺見庸氏の作品、講演はそのまま短歌となる。
妙なことをと言われそうだが、言葉一つ一つに心が籠もっている。変換された表現がある。価値観の転倒がある。思索するということはおおよそこのようなことなのであろう。
普通に考えるということは考えているのではなくただ世間の闇に流されているだけなのであろう。何十年もの人生のなかであらためて事柄の意味を静かに考えてみるとそれまでの人生でこうだと思っていたことが泡のように消え去ってしまうことがある。また五年も生きればまったく違った感慨に囚われるかも知れぬ。
「聞こえぬ声」という講演の記録を読んだ。散文を五、七、五・・・に転換してみる。本人に怒られそうだが・・・。
語りえぬ 沈黙の核 幽界の 言葉紡ぎて 繭とぞなさむ
透明の 板の向こうに 男あり 語れるは我 聞くもまた我
もごいなる 語はむごいから 来てるらし 痛ましくもあり 愛しくもあり
執行の 報聞き塀を 廻りたり 木立に染みる 音を聞きたり
この国は 皆顔隠し 逃げにけり 残りし闇に 鵺の現る
先日、週刊誌にて脳損傷、生還記を読んだ。回復してよかった。
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2005年7月13日(水曜日) 命日
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今日、7月13日は母の命日である。信仰心なき我にして朝方仏壇の鉦を一つ鳴らした。五十四周忌となる。
思えば遠くに来たものだ。三十五歳ぐらいで亡くなっている。なんとも若い蹉跌である。
親父は昨年の冬に逝った。最後は体の自由が効かなくなった。喉を切開して言葉も失った。
夜中に呼吸器を抜いてしまうから寝巻きの袖をベッドの柵に縛った。何とも残酷であるが手を包帯で縛るよりもましかと思ったのだ。どう縛っても巧妙に手を擦り抜けた。夜中、付き添いがいないと呼吸器を抜いてしまう。痛いだろうに。
婦長は、「夜は私たちが見ますから」と言って一時、付き添いを拒否した。しかしずっと傍に居るわけでない。案の定、抜いてしまった。発見されるまで苦しかったことであろう。
若い看護婦さんがよく面倒をみてくれた。動けぬ体を台に乗せて風呂にもいれてくれた。前日の日記に書いた辺見庸氏もそのことに拘りをもって色々と書いている。感謝の念からであろう。
その看護婦さんにある時ひょいと言われた。「一緒にお風呂に入りますか」と。一瞬意味が分らなくて呆然とした。 妹は手伝ったという。
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2005年7月14日(木曜日) 猛暑
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猫は年に三日しか暑いと思わない、犬は年に三日しか寒くないという。
誰がこんなことを言ったのか。
猫でさえ 団扇であおぐ 猛暑かな
お体お大事に。
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2005年7月15日(金曜日) 悪友
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友人のK君はまことに内気である。人を押しのけたり偉そうに振舞ったりすることは勿論、人にああしろこうしてほしいなどと決して言わない。
そのK君、或る日調子悪く医者にみてもらった。医者、曰く、「脈がないぞ」かくしてペースメーカーを入れた。
世の中携帯電話全盛、電車が恐い。一緒に乗って、「この人大変だぁ・・携帯電源切って」、と大声で言ってあげると言ったら断られた。
誰か、ペースメーカーの洒落たマークを考えて公共広告で宣伝してくれないだろうか。そのワッペンでも付けていれば皆直ぐに気付くようにしたらどうだろうか。
裁判所に入る時、検問を通る。ライターにまで反応することがある。電磁波なのか。
K君、恐くて通れない。悪の仲間、「お前が犠牲になれば、裁判所規則が変更になる、突っ込め」、と唆す。悪い奴もいたものだ。
K君の述懐、「何か、見舞いに来てうれしそうな奴がいる。俺が具合悪くなって本当にうれしそうだ」
見舞いに行ってんだか何だか分らない友人もいるようだ。
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