海外情勢より~
◎ 海外では失敗している教育改革
【教員給与】
文科省がめざし、それに従って東京都が意図している教職員給与体系は、個人の業績評価に基づくという点で従来のものとは大きく違っている。
某居酒屋チェーン社長が言うところの「やる気のある人は高い報酬で報いる。それによって学校が活性化する」という発想であろう。世間一般には分かりやすい「論理」のように聞こえるかもしれない。
しかし、彼らがお手本と仰ぐイギリスでは、最大の教育労組であるNUTが、このような賃金体系には明確な反対姿勢を貫き通している。そのような政策が現場にどれほどの悪影響をたらすものなのか、この事だけでも容易に理解されるというものではないか。
【業績給与主義 イギリスではどうなっているのか?】
イギリスでは既に2000年の初頭に、部分的な業績連動給与とパフォーマンスマネジメント(職務遂行課程管理)が導入された。ほぼ同時期にFast Trackといって、「能力の優れた」教員は早く昇給していくという給与体系も持ち込まれた。
予想されたことだが、業績給与は「生徒の全国試験結果の上昇が給与増加につながる」と教師たちに思わせることとなり、こうした教育の変質を憂慮する者は働く意欲を奪われることとなった(Times Educational Supplement9'21 '2001)。
一方、「"優秀教員"には給料を多くします」という方策に対しては、教育雇用省の思惑に反して応募が殆どない(たとえば’07年は34名、予想は5,000名)。
こうした結果にはNUT(最大の教員組織)の取り組み姿勢が大きく作用しているものと理解される。彼らは、現時点にいたっても次のような主張を継続的に行っているのである。
・給与と業績評価との連動を立ち切るべし。
・教職経験の増加を基礎とし、その結果高まった専門性を評価して給与アップするという体系を要求。短期的な「業績」に左右されず、長期的に安定するものを。
・'05年時点でもNUTはFast Trackに反対し続けていて、「すべての新採者に適用すべし」と主張している。
【専門性の喪失】
「優秀かつ頑張る人は給料を上げますよ」という政策に、NUTが何年もの間一貫して反対してきたことは注目に値する。その大きな理由は、「業績評価」をし、限定された者だけを優遇するというやり方が、同時に自分たちの仕事の専門性を崩してきているという認識にあるのではないだろうか。
象徴的な出来事としては"授業を欠席する場合の代行者(カバー)を無資格教員でも良い"とした法改正がある('02年)。NUTはもちろん強く反対したが、行政側はこれを強行してしまった。
その背景には、有資格者が教職に就かない、あるいは短期で見限ってしまうという深刻な事情がある。
・教員応募者不足 たとえば'01-'02の達成率=92%
・一方で退職率が高まっている。たとえば'06年は89%増。またイングランドでは「1O年以内に辞めるjという割合が半分以上(The Daily Telegraf 2000)
・不足分を無資格者が埋めている。たとえば、「アシスタント」が採点や、宿題の面倒、保護者への手紙作成などを行う。
・サプライティーチャーという臨時雇用の教員がおり、突然の退職者の穴埋めをしている。
・校長も不足。1,200校で技長がいない(The Guardian 1/29/07)。年金資格を諦めても55歳未満で辞める者も多い。また「教育者」が求められるわけではないので、全く畑違いの行政マンが派遣されてきて後釜にすわるというケースも増えている。
【免許更新制度 アメリカ、カナダの例】
アメリカでは、70~80年代に教員テストを行うという流れがあった。しかし、これにはメリットがなかった、というのが現在の一般的評価である。
クリントン元大統領が知事時代にアーカンソーで成功を収めたという報道もあったが、現在の同州生徒によるテスト結果が悪いことから、長期的には失敗であったと理解されている。
カナダのオンタリオ州では、'01年に教員へのテスト制度が導入された。しかし、わずか3年後には政権交代があり、この制度も撤廃されている。
その際に、「我々も優れた教職員を求めるが、そのために彼らは常に専門家として尊敬されねばならないし、その自立性も重んじられなければならない。教育とは、それに携わる個々人の技量を超えた全体的な営みである」と明言されている。
またオンタリオの教員組合は、(テスト制度という)処罰的な対応が教職員に絶望感を与えた、保護者や生徒の意見を業績評価基準として使うのは不適当、評価基準の作成には教職員の参加が必要、採用された基準は十分に周知されること、改善のための助言とフィードバックを得られる苦情処理システムが無ければならない、などの提言を教育担当相に行っている。
これらは、その後の政策立案に十分反映されているようである。
【海外の失敗から何を学ぶか】
以上の先例から、「職の分化」の行き着く先が明らかに見て取れる。「免許更新テスト」で我々の力量が測れるなどという事態が続けば、「一般層」に求められる仕事はきわめて限定的なものになってしまう(脱専門化)。
「指導層」を充実すれば用が済むとお役人達は考えている振りをしているようだ。しかし、教職員全体が豊かな技量を持っていて、その蓄積と発展を給料上でも保証するという体系を失った場合は、どんな状況になるのか、彼等は実は良く知っているのではないか。
日教組本部も国際局を備え、EIとも連絡を取って海外情勢の把握を欠かさず行っているはずである。イギリスのNUTが未だに差別的賃金の導入に反対し続けており、みなが安心して長く働き続けられ、その経験と実績が給与に反映される体系を断固として主張してきたことを教訓にして我々の方針も打ち立てられるべきである。
『You See』08夏季合宿特集号
◎ 海外では失敗している教育改革
【教員給与】
文科省がめざし、それに従って東京都が意図している教職員給与体系は、個人の業績評価に基づくという点で従来のものとは大きく違っている。
某居酒屋チェーン社長が言うところの「やる気のある人は高い報酬で報いる。それによって学校が活性化する」という発想であろう。世間一般には分かりやすい「論理」のように聞こえるかもしれない。
しかし、彼らがお手本と仰ぐイギリスでは、最大の教育労組であるNUTが、このような賃金体系には明確な反対姿勢を貫き通している。そのような政策が現場にどれほどの悪影響をたらすものなのか、この事だけでも容易に理解されるというものではないか。
【業績給与主義 イギリスではどうなっているのか?】
イギリスでは既に2000年の初頭に、部分的な業績連動給与とパフォーマンスマネジメント(職務遂行課程管理)が導入された。ほぼ同時期にFast Trackといって、「能力の優れた」教員は早く昇給していくという給与体系も持ち込まれた。
予想されたことだが、業績給与は「生徒の全国試験結果の上昇が給与増加につながる」と教師たちに思わせることとなり、こうした教育の変質を憂慮する者は働く意欲を奪われることとなった(Times Educational Supplement9'21 '2001)。
一方、「"優秀教員"には給料を多くします」という方策に対しては、教育雇用省の思惑に反して応募が殆どない(たとえば’07年は34名、予想は5,000名)。
こうした結果にはNUT(最大の教員組織)の取り組み姿勢が大きく作用しているものと理解される。彼らは、現時点にいたっても次のような主張を継続的に行っているのである。
・給与と業績評価との連動を立ち切るべし。
・教職経験の増加を基礎とし、その結果高まった専門性を評価して給与アップするという体系を要求。短期的な「業績」に左右されず、長期的に安定するものを。
・'05年時点でもNUTはFast Trackに反対し続けていて、「すべての新採者に適用すべし」と主張している。
【専門性の喪失】
「優秀かつ頑張る人は給料を上げますよ」という政策に、NUTが何年もの間一貫して反対してきたことは注目に値する。その大きな理由は、「業績評価」をし、限定された者だけを優遇するというやり方が、同時に自分たちの仕事の専門性を崩してきているという認識にあるのではないだろうか。
象徴的な出来事としては"授業を欠席する場合の代行者(カバー)を無資格教員でも良い"とした法改正がある('02年)。NUTはもちろん強く反対したが、行政側はこれを強行してしまった。
その背景には、有資格者が教職に就かない、あるいは短期で見限ってしまうという深刻な事情がある。
・教員応募者不足 たとえば'01-'02の達成率=92%
・一方で退職率が高まっている。たとえば'06年は89%増。またイングランドでは「1O年以内に辞めるjという割合が半分以上(The Daily Telegraf 2000)
・不足分を無資格者が埋めている。たとえば、「アシスタント」が採点や、宿題の面倒、保護者への手紙作成などを行う。
・サプライティーチャーという臨時雇用の教員がおり、突然の退職者の穴埋めをしている。
・校長も不足。1,200校で技長がいない(The Guardian 1/29/07)。年金資格を諦めても55歳未満で辞める者も多い。また「教育者」が求められるわけではないので、全く畑違いの行政マンが派遣されてきて後釜にすわるというケースも増えている。
【免許更新制度 アメリカ、カナダの例】
アメリカでは、70~80年代に教員テストを行うという流れがあった。しかし、これにはメリットがなかった、というのが現在の一般的評価である。
クリントン元大統領が知事時代にアーカンソーで成功を収めたという報道もあったが、現在の同州生徒によるテスト結果が悪いことから、長期的には失敗であったと理解されている。
カナダのオンタリオ州では、'01年に教員へのテスト制度が導入された。しかし、わずか3年後には政権交代があり、この制度も撤廃されている。
その際に、「我々も優れた教職員を求めるが、そのために彼らは常に専門家として尊敬されねばならないし、その自立性も重んじられなければならない。教育とは、それに携わる個々人の技量を超えた全体的な営みである」と明言されている。
またオンタリオの教員組合は、(テスト制度という)処罰的な対応が教職員に絶望感を与えた、保護者や生徒の意見を業績評価基準として使うのは不適当、評価基準の作成には教職員の参加が必要、採用された基準は十分に周知されること、改善のための助言とフィードバックを得られる苦情処理システムが無ければならない、などの提言を教育担当相に行っている。
これらは、その後の政策立案に十分反映されているようである。
【海外の失敗から何を学ぶか】
以上の先例から、「職の分化」の行き着く先が明らかに見て取れる。「免許更新テスト」で我々の力量が測れるなどという事態が続けば、「一般層」に求められる仕事はきわめて限定的なものになってしまう(脱専門化)。
「指導層」を充実すれば用が済むとお役人達は考えている振りをしているようだ。しかし、教職員全体が豊かな技量を持っていて、その蓄積と発展を給料上でも保証するという体系を失った場合は、どんな状況になるのか、彼等は実は良く知っているのではないか。
日教組本部も国際局を備え、EIとも連絡を取って海外情勢の把握を欠かさず行っているはずである。イギリスのNUTが未だに差別的賃金の導入に反対し続けており、みなが安心して長く働き続けられ、その経験と実績が給与に反映される体系を断固として主張してきたことを教訓にして我々の方針も打ち立てられるべきである。
『You See』08夏季合宿特集号
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