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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

先には毒を以てし、今は官吏を以てし、以て人民を殺傷せし「政財官・闇のトライアングル」

2018年02月16日 | 平和憲法
 ◆ 亡国の破憲破道 (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(ルポライター)

 野に叫ぶリア王のように、髪振り乱して荒野を行くがごとき、田中正造の姿を最近よく思い起こす。
 たぶん、久しぶりに福島の浜通り被曝地を歩き、いまだ人影のない荒涼たる海岸線を眺めた、残像あってのようだ。
 鉱毒地谷中村へむかう途次に倒れた正造は、臨終の床で苦しそうな呼吸の間に、こう語った。
 「おれの病気問題は片づきましたが、どうもこの日本の打ち壊しというものはヒドイもので、国が四つあっても五つあってもたりることではない」(島田宗三『田中正造翁余録』下巻)。自分の病気は決着がついた。が、国の破壊は留(とど)まること知らず、との慨嘆である。
 山県有朋強権内閣のもと、鉱山王・古河市兵衛、その会社の副社長だった原敬、古河鉱山鉱長に天下った鉱山保安局長
 この政財官、闇のトライアングルは、明治、大正、昭和、平成、150年にわたる宿痾(しゅくあ)ともいえる。
 鉱毒被害を政府に訴えようとした行進「押し出し」は、警察と憲兵による大弾圧を受けた。
 衆議院議員だった正造は、「亡国に至るを知らざれば之れすなわち亡国の儀に付質問書」を提出して、議会で政府を厳しく追及した。
 ほかにも「政府自ら多年憲法を破毀(はき)し先には毒を以てし今は官吏を以てし以て人民を殺傷せし儀に付質問書」など、毎日、徹底的に政府を糾弾した。
 正造は行動の人だが、言論を尊ぶ思想家でもあった。

 『東京新聞』(2018年2月13日【本音のコラム】)

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