《東京新聞 特別報道部編集局 南端日誌》
◆ ゴーン事件と地位協定
日本の「人権」に不信感
昨年は年の瀬まで、この国の孤立を案じざるを得ないニュースが続いた。国際捕鯨委員会(IWC)からの離脱発表もそうだったが、東京地検特捜部によるゴーン日産前会長の特別背任容疑での再々逮捕にも危うさを感じた。
一連の動きを「モノ言う日本の復活」の証しと胸を張る人もいるが、説得的とは思えない。対米関係を見れば分かる。
かつて社会学者の宮台真司さんは政府の姿勢を「対米ケツ舐(な)め外交」と酷評し、昨年は政治学者の白井聡さんが「対米従属は戦後の国体」と論じて、注目を集めた。
一言で書えば、屈従。進行中の大量の米国製兵器購入もさることながら、象徴的なのは現代の不平等条約ともいえる日米地位協定だろう。
軍事問題に精通する知人から、興味深い資料を紹介された。
防衛省の研究の機関、防衛研究所が二〇一〇年度に作成した「日米同盟の実務に関する歴史的考察」と題した基礎研究の報告書である。他国の例とも比べ、その不平等性の原因について探っている。
要約すると、地位協定の前身の日米行政協定(一九五二年発効)時代から米国は「日本の司法制度、特に人権擁護に対する関心の度合い」への不信感が強く、それが平等な方向へと改正されたドイツなどと、放置されている日本との差となっているという。
報告書は「(米国には)蛮行を厭(いと)わないおそれのある(日本の)司法官憲に大切な自国民の身柄を委ねることは、基地の効果的運用、兵員の士気の維持に重大な影響を及ぼしかねないとの懸念があると考えられる」と記す。
結論については「日本社会の人権状況を改善しなければならず、それには膨大な時間とエネルギーが必要」と物憂げだ。
戦争を絶やさぬ米国が人権の説教など片腹痛いと毒づきたくもなるが、少なくとも日本が前近代的な国家と見なされていることは間違いない。
なんだ、役所も分かってるのかとも思う。しかし、見下されてもこびを売り、それを力の源泉とする政治権力に役人たちは頭が上がらない。
ゴーン事件でも行使された「人質司法」は自らの首を絞めることにつながっていないか。
英BBC放送(電子版)は八日、ゴーン前会長の勾留理由開示をトップ級扱いで伝えた。 (特報部長・田原牧)
『東京新聞』(2019年1月10日【南端日誌】)
《サンデー毎日 青木理のカウンター・ジャーナリズム 第219回》
◆ 別の理由
私の手元にに一通の文書がある。表紙に印字されたタイトルは〈日米同盟の実務に関する歴史的考察ー日米地位協定を中心に〉。防衛省の防衛研究所が2010年度に「基礎研究成果報告書」として取りまとめたものである。
その表題通り、文書は日米地位協定の歴史と現況を概観しているが、冒頭で研究の意義をこう訴えている。
〈将来わが国が日米地位協定の改正を考えることがあるならば、現行の協定が締結された経緯と、他国の類似の事例を見るべきである。本研究はその一助となる〉
もとより趣旨に異議はない。いや、「将来改正を考えるこどがある」どころか、沖縄で従前から改定を求める声が切実に上がってきた。
米兵らの犯罪に日本側の捜査権や裁判権が及ばず、自治体などの基地立ち入り権すらない協定は一度も改定されたことがなく、最近は全国知事会も〈抜本的見直し〉を求める提言を出すなど、協定改定を訴える声はすでに広がっている。
なのに政権は、「沖縄に寄り添う」とうそぶきつつ名護市辺野古への基地建設を強行し、米国製の武器を爆買いして米政権のご機嫌取りに躍起。
一方で協定改定に乗り出す気配など微塵もないのだが、防衛研究所の研究文書は、協定を改定できぬ理由として別の興昧深い事実も吐露している。
〈米国が改正要求に対して好意的に応じた欧州2力国と(日本は)決定的に違う〉
〈つまり、人権擁護に対する関心の度合いが低いと評価された国に駐留米軍に対し広範な権限を行使されたくない、特に刑事裁判官轄権は、蛮行を厭(いと)わないおそれのある司法官憲に大切な自国民の身柄を委ねることは、基地の効果的運用、兵員の士気の維持に重大な影響を及ぼしかねないとの懸念がある〉(丸カッコ内は引用注)
その上でこうも指摘している。
〈協定の改正には、膨大なエネルギーと時間を要する。(略)さらに深刻なことは、本研究が示したように仮に米国の交渉態度と日本の人権擁護に対する関心の度合いとの間に相関関係があるとするなら、日本社会の人権状況を改善しなければならず、それには膨大な時間とエネルギーが必要〉
やや分かりにくい文章だが、要は日本の刑事司法の後進性ーつまり被疑者の人権を軽視する姿勢と制度が残存する限り米国が協定の改定に応じる可能性は低い、ということだろう。
日産自動車のカルロス・ゴーン前会長の事件によって、そうした悪弊はさらに強く国際的に印象づけられた。
そのことを、少なくとも防衛省の研究機関は自覚している。だが、政府も法務省も裁判所も知らぬふりを決め込んでいる。
私はこの研究文書の存在を東京新聞の田原牧・特報部長の記事(1月10日付の同紙朝刊)で知ったのだが、あらためて文書の全文を読んで痛感したのは、地位協定の改定も決して沖縄固有の問題などではなく、本土の政治や司法システムに由来する本土の問題なのだ、という至極当たり前の事実だった。
『サンデー毎日』(2019年2月10日)
◆ ゴーン事件と地位協定
日本の「人権」に不信感
昨年は年の瀬まで、この国の孤立を案じざるを得ないニュースが続いた。国際捕鯨委員会(IWC)からの離脱発表もそうだったが、東京地検特捜部によるゴーン日産前会長の特別背任容疑での再々逮捕にも危うさを感じた。
一連の動きを「モノ言う日本の復活」の証しと胸を張る人もいるが、説得的とは思えない。対米関係を見れば分かる。
かつて社会学者の宮台真司さんは政府の姿勢を「対米ケツ舐(な)め外交」と酷評し、昨年は政治学者の白井聡さんが「対米従属は戦後の国体」と論じて、注目を集めた。
一言で書えば、屈従。進行中の大量の米国製兵器購入もさることながら、象徴的なのは現代の不平等条約ともいえる日米地位協定だろう。
軍事問題に精通する知人から、興味深い資料を紹介された。
防衛省の研究の機関、防衛研究所が二〇一〇年度に作成した「日米同盟の実務に関する歴史的考察」と題した基礎研究の報告書である。他国の例とも比べ、その不平等性の原因について探っている。
要約すると、地位協定の前身の日米行政協定(一九五二年発効)時代から米国は「日本の司法制度、特に人権擁護に対する関心の度合い」への不信感が強く、それが平等な方向へと改正されたドイツなどと、放置されている日本との差となっているという。
報告書は「(米国には)蛮行を厭(いと)わないおそれのある(日本の)司法官憲に大切な自国民の身柄を委ねることは、基地の効果的運用、兵員の士気の維持に重大な影響を及ぼしかねないとの懸念があると考えられる」と記す。
結論については「日本社会の人権状況を改善しなければならず、それには膨大な時間とエネルギーが必要」と物憂げだ。
戦争を絶やさぬ米国が人権の説教など片腹痛いと毒づきたくもなるが、少なくとも日本が前近代的な国家と見なされていることは間違いない。
なんだ、役所も分かってるのかとも思う。しかし、見下されてもこびを売り、それを力の源泉とする政治権力に役人たちは頭が上がらない。
ゴーン事件でも行使された「人質司法」は自らの首を絞めることにつながっていないか。
英BBC放送(電子版)は八日、ゴーン前会長の勾留理由開示をトップ級扱いで伝えた。 (特報部長・田原牧)
『東京新聞』(2019年1月10日【南端日誌】)
《サンデー毎日 青木理のカウンター・ジャーナリズム 第219回》
◆ 別の理由
私の手元にに一通の文書がある。表紙に印字されたタイトルは〈日米同盟の実務に関する歴史的考察ー日米地位協定を中心に〉。防衛省の防衛研究所が2010年度に「基礎研究成果報告書」として取りまとめたものである。
その表題通り、文書は日米地位協定の歴史と現況を概観しているが、冒頭で研究の意義をこう訴えている。
〈将来わが国が日米地位協定の改正を考えることがあるならば、現行の協定が締結された経緯と、他国の類似の事例を見るべきである。本研究はその一助となる〉
もとより趣旨に異議はない。いや、「将来改正を考えるこどがある」どころか、沖縄で従前から改定を求める声が切実に上がってきた。
米兵らの犯罪に日本側の捜査権や裁判権が及ばず、自治体などの基地立ち入り権すらない協定は一度も改定されたことがなく、最近は全国知事会も〈抜本的見直し〉を求める提言を出すなど、協定改定を訴える声はすでに広がっている。
なのに政権は、「沖縄に寄り添う」とうそぶきつつ名護市辺野古への基地建設を強行し、米国製の武器を爆買いして米政権のご機嫌取りに躍起。
一方で協定改定に乗り出す気配など微塵もないのだが、防衛研究所の研究文書は、協定を改定できぬ理由として別の興昧深い事実も吐露している。
〈米国が改正要求に対して好意的に応じた欧州2力国と(日本は)決定的に違う〉
〈つまり、人権擁護に対する関心の度合いが低いと評価された国に駐留米軍に対し広範な権限を行使されたくない、特に刑事裁判官轄権は、蛮行を厭(いと)わないおそれのある司法官憲に大切な自国民の身柄を委ねることは、基地の効果的運用、兵員の士気の維持に重大な影響を及ぼしかねないとの懸念がある〉(丸カッコ内は引用注)
その上でこうも指摘している。
〈協定の改正には、膨大なエネルギーと時間を要する。(略)さらに深刻なことは、本研究が示したように仮に米国の交渉態度と日本の人権擁護に対する関心の度合いとの間に相関関係があるとするなら、日本社会の人権状況を改善しなければならず、それには膨大な時間とエネルギーが必要〉
やや分かりにくい文章だが、要は日本の刑事司法の後進性ーつまり被疑者の人権を軽視する姿勢と制度が残存する限り米国が協定の改定に応じる可能性は低い、ということだろう。
日産自動車のカルロス・ゴーン前会長の事件によって、そうした悪弊はさらに強く国際的に印象づけられた。
そのことを、少なくとも防衛省の研究機関は自覚している。だが、政府も法務省も裁判所も知らぬふりを決め込んでいる。
私はこの研究文書の存在を東京新聞の田原牧・特報部長の記事(1月10日付の同紙朝刊)で知ったのだが、あらためて文書の全文を読んで痛感したのは、地位協定の改定も決して沖縄固有の問題などではなく、本土の政治や司法システムに由来する本土の問題なのだ、という至極当たり前の事実だった。
『サンデー毎日』(2019年2月10日)
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