《月刊救援から》
◆ 武蔵野五輪弾圧裁判報告
「その男性の方に言うことはありません」との証人発言
昨年七月一六日、武蔵野競技場で行われた「聖火リレー」イベントに抗議するため爆竹を鳴らしたことが「威力業務妨害」に問われた裁判の第二回公判が一月一四日に開かれた。
このイベントの「業務」にあたったS社のUは検察側の唯一の証人であり、五輪・パラリンピック(以下、オリパラ)組織委員会の矢面に立って「被害者」とされた人物だ。
検察官の主尋問に対して最初にイベントの運営は滞りなく「基本的には終わりました」と言った。「おおむねはうまく進行しました」、「そこまで大きな影響はなかったです」とも。
また、U証人が「聖火リレー」に反対する人たちを監視したり、私がプラスティックの柵を乗り越えた時押さえつけたのは、本来の案内誘導等という業務から完全に逸脱している。
しかし、最後の「被告人」に言いたいことはないかとの質問に、U証人は「正直、特にはないです。けが人とか、うちのスタッフがけがをしたとか、お客様がけがしたとかっていうことではないので、その男性の方に、特に何も言うことはありません」と答えたことには、正直言って拍子抜けした。
そして、弁護人の反対尋問。U証人の立場は誘導案内等するだけの運営責任者に過ぎず、全てを取り仕切っているのは大手広告代理店の電通であることを明かした。東京都聖火リレー組織委員会から受注したものを、S社等に下請けとして仕事を出したという構図が見えてきた。
二月七日第三回公判からは弁護側の立証、こちらからの反撃が始まる。
この日は、まず弁護側が提出した大量の東京オリパラについての新聞記事、小金井市議会の反対意見書が証拠採用。
続いて七月一六日当日、「聖火リレー」イベントに対する抗議行動に参加していたTさんの証言。
オリパラがなぜ許せないかということ、東京に決定された二〇一三年から反対行動を闘ってきたこと、権力の暴力によって負傷したことなどについて丁寧に語った。
当日は警察犬まで登場させるなどの過剰警備、ビデオカメラを向けてくる公安に抗議しても撮影を止めなかったことなど、詳しく説明する。
Tさんは私の逮捕時に警察に割って入ってくれたが、そのことをねちねちと質問してくる検察官に対して「悪いことしなくとも警察は人を捕まえることはある。オリパラではなおさらである」と断固として言い切り、胸を打った。
弁護人は、証人尋問の後に検察官に監視カメラの撮影者の氏名特定を求めたが、検察官は「警視庁公安部総務課氏名不詳」と答え、傍聴席はおろか裁判官にも呆れられる。
三月七日の第四回公判はフランスをはじめ近現代史研究者で、オリパラに対して精力的に反対してこられた鵜飼哲さんの証人尋問。
まず、長年野宿者支援活動を取り組んできた私に対して敬意を抱いているとおっしゃってくださった。
本題の最初に、近代オリンピックの提唱者であるクーベルタンの「スポーツは男性が兵士となる訓練の前の予備調教であり、五輪は自分たちの技を国家・人種に捧げる宗教である」という思想は、現在もIOC(国際オリンピック委員会)に引き継がれていることを指摘。
「聖火リレー」についてはヒトラーによる一九三六年のペルリン大会が最初であり古代ギリシアの文明の継承者として創作されたものであること、この「リレー」の逆の順路をたどってナチスドイツによる侵略が行われたとその本質を厳しく批判された。
二〇二〇年オリパラの開催地は、当時の首相安倍の「福島原発事故はアンダーコントロールされている」との発言によって東京に決まった。それは、原発事故による被災者の切り捨て、明治公園の野宿者や霞ヶ丘アパート住民の排除、外国人に対する入管収容の強化など、様々な人々を棄民していく暴力的な性格だった。
以上のことなどを述べられ、私がコロナ事態で多くの人々が自宅死していてもオリパラが中止にならないことに非常に深い怒りを感じ、今回の抗議の意を表明したということは理解できる。
世界的にも多くの人々がオリパラに反対し、私の行為はかけ離れるものではない。憲法一二条は自由と権利は絶えざる努力によって維持しなければならないとしているが、私の行為もそうした努力の一環として行われたのではないか、と締めくくり、一時間にわたる証言をしてくださった。
次回第五回公判は四月二〇日(立川裁判所前一三時半集合)、いよいよ私に対する即ち「被告人」質問だ。
自分で言うのもなんだがこの裁判のクライマックスである。多くの方々の傍聴を!そして今後ともご支援のほどを!(武蔵野五輪弾圧当該 黒岩大助)
『月刊救援 636号』(2022年4月10日)
◆ 武蔵野五輪弾圧裁判報告
「その男性の方に言うことはありません」との証人発言
昨年七月一六日、武蔵野競技場で行われた「聖火リレー」イベントに抗議するため爆竹を鳴らしたことが「威力業務妨害」に問われた裁判の第二回公判が一月一四日に開かれた。
このイベントの「業務」にあたったS社のUは検察側の唯一の証人であり、五輪・パラリンピック(以下、オリパラ)組織委員会の矢面に立って「被害者」とされた人物だ。
検察官の主尋問に対して最初にイベントの運営は滞りなく「基本的には終わりました」と言った。「おおむねはうまく進行しました」、「そこまで大きな影響はなかったです」とも。
また、U証人が「聖火リレー」に反対する人たちを監視したり、私がプラスティックの柵を乗り越えた時押さえつけたのは、本来の案内誘導等という業務から完全に逸脱している。
しかし、最後の「被告人」に言いたいことはないかとの質問に、U証人は「正直、特にはないです。けが人とか、うちのスタッフがけがをしたとか、お客様がけがしたとかっていうことではないので、その男性の方に、特に何も言うことはありません」と答えたことには、正直言って拍子抜けした。
そして、弁護人の反対尋問。U証人の立場は誘導案内等するだけの運営責任者に過ぎず、全てを取り仕切っているのは大手広告代理店の電通であることを明かした。東京都聖火リレー組織委員会から受注したものを、S社等に下請けとして仕事を出したという構図が見えてきた。
二月七日第三回公判からは弁護側の立証、こちらからの反撃が始まる。
この日は、まず弁護側が提出した大量の東京オリパラについての新聞記事、小金井市議会の反対意見書が証拠採用。
続いて七月一六日当日、「聖火リレー」イベントに対する抗議行動に参加していたTさんの証言。
オリパラがなぜ許せないかということ、東京に決定された二〇一三年から反対行動を闘ってきたこと、権力の暴力によって負傷したことなどについて丁寧に語った。
当日は警察犬まで登場させるなどの過剰警備、ビデオカメラを向けてくる公安に抗議しても撮影を止めなかったことなど、詳しく説明する。
Tさんは私の逮捕時に警察に割って入ってくれたが、そのことをねちねちと質問してくる検察官に対して「悪いことしなくとも警察は人を捕まえることはある。オリパラではなおさらである」と断固として言い切り、胸を打った。
弁護人は、証人尋問の後に検察官に監視カメラの撮影者の氏名特定を求めたが、検察官は「警視庁公安部総務課氏名不詳」と答え、傍聴席はおろか裁判官にも呆れられる。
三月七日の第四回公判はフランスをはじめ近現代史研究者で、オリパラに対して精力的に反対してこられた鵜飼哲さんの証人尋問。
まず、長年野宿者支援活動を取り組んできた私に対して敬意を抱いているとおっしゃってくださった。
本題の最初に、近代オリンピックの提唱者であるクーベルタンの「スポーツは男性が兵士となる訓練の前の予備調教であり、五輪は自分たちの技を国家・人種に捧げる宗教である」という思想は、現在もIOC(国際オリンピック委員会)に引き継がれていることを指摘。
「聖火リレー」についてはヒトラーによる一九三六年のペルリン大会が最初であり古代ギリシアの文明の継承者として創作されたものであること、この「リレー」の逆の順路をたどってナチスドイツによる侵略が行われたとその本質を厳しく批判された。
二〇二〇年オリパラの開催地は、当時の首相安倍の「福島原発事故はアンダーコントロールされている」との発言によって東京に決まった。それは、原発事故による被災者の切り捨て、明治公園の野宿者や霞ヶ丘アパート住民の排除、外国人に対する入管収容の強化など、様々な人々を棄民していく暴力的な性格だった。
以上のことなどを述べられ、私がコロナ事態で多くの人々が自宅死していてもオリパラが中止にならないことに非常に深い怒りを感じ、今回の抗議の意を表明したということは理解できる。
世界的にも多くの人々がオリパラに反対し、私の行為はかけ離れるものではない。憲法一二条は自由と権利は絶えざる努力によって維持しなければならないとしているが、私の行為もそうした努力の一環として行われたのではないか、と締めくくり、一時間にわたる証言をしてくださった。
次回第五回公判は四月二〇日(立川裁判所前一三時半集合)、いよいよ私に対する即ち「被告人」質問だ。
自分で言うのもなんだがこの裁判のクライマックスである。多くの方々の傍聴を!そして今後ともご支援のほどを!(武蔵野五輪弾圧当該 黒岩大助)
『月刊救援 636号』(2022年4月10日)
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