《月刊救援から》
☆ 裁かれるべきは静岡県警と静岡地検だ
一九六六年一一月一五日、静岡地裁の初公判で弟・巖は無罪を主張致しました。それから五七年にわたって、紆余曲折、艱難辛苦がございました。本日再審公判で、再び私も弟嚴に代わりまして、無罪を主張致します。長き裁判で、裁判所、並びに弁護士及び検察庁の皆様方には大変お世話になりました。どうぞ弟巖に、真の自由をお与え下さいますようお願い申し上げます。
袴田ひで子
一〇月二七日、袴田巌さんの再審公判が始まった。冒頭文は巖さんに代わって出廷した袴田ひで子さんが罪状認否で述べたものである。
法廷に袴田さんの姿はなかった。
「私は無実である。事件と一切関係ない」
「私を犯人に仕立て上げたのは警察官と検察官である」
と叫びたかったのは袴田巖さん自身であろう。法廷にいるはずの嚴さんの姿はなく、補佐人として出廷した姉のひで子さんが巖さんの五七年にも及ぶ叫びを代弁した。
二〇一四年三月、再審開始決定によって、およそ四八年ぶりに釈放された袴田さんに私たちは初めて出会うことになる。
何かに憑かれたように一日中歩き続ける。
ティッシュペーパーを一枚ずつ広げてまとめて持ち、自ら触ったところを丁寧に拭く。
時々頭上に両手を掲げ指でサインを出すしぐさ、
そしてかみ合わない会話。
これらは拘禁反応といわれる言動である。私たちは、袴田さんの釈放によって死刑冤罪の現実を見せつけられたのだ。
九月末、裁判官は出廷の可否を判断するために、袴田巖さんと面会し裁判のことを尋ねたが、全く話がかみ合わなかったことが明らかになっている。袴田さんの世界では、事件など何もなかったことになっているからだ。
▼ 傍聴席の拡大を認めなかった静岡地裁
この再審公判では、最初からまともな証拠もないまま、袴田さんを犯人に仕立て上げた静岡県警の捜査と、その捜査を追認していく検察官の実態も明らかにされるはずだ。だからこそ、多くの国民に公開し冤罪・誤判の検証を行う機会を作ることは、裁判所をはじめとする司法制度に携わる者たちの責務である。
その一歩として傍聴席の増設、あるいはモニターを通して傍聴席を確保することなど、やろうと思えばできることを裁判所は一切行わなかった。わずか二八席の一般傍聴席しか設けなかったその責任は大きい。
▼ 袴田さんを犯人に仕立て上げる検察官
一家四人が殺された事件は存在する。しかし、袴田さんが犯人であるとの証拠は何もない。そもそも、深夜外部から侵入したことをうかがわせる証拠すら何もない。単独犯かどうかもわからない。
にもかかわらず、事件直後から袴田さんだけに目をつけ、事件から四日後に工場従業員寮の捜索を行ったが何も発見できなかった。
捜査の失敗に焦った静岡県警は、袴田さんから任意提出を受けたパジャマを血染めのシャツ発見と報道機関にリークし大々的な報道が行われたが、違捕できなかった。パジャマから血液型など、袴田さんを犯人とする証拠を何も発見できなかったからだ。
事件発生から四八日を過ぎて袴田さんを逮捕したが、自白を迫るだけで、証拠が何一つ示せていないことが録音テープからでもはっきりとわかる。
再審公判で検察官は、“証拠採用された自白調書を使わない”とした。つまり、検察官の想像で袴田さんを犯人にするのに都合の良い証拠をつなぎ合わせ、袴田さんの単独犯を主張し有罪・死刑を求める、としたのだ。恐ろしい目論見である。
▼ 裁かれるぺきは警察官、検察官である
“この再審公判は、形式的には被告人は袴田さんですが、ここで本当に裁かれるべきは、警察であり、検察であり、さらに弁護人及び裁判官であり、ひいてはこの信じがたいほど酷いえん罪を生み出した我が国の司法制度も裁かれなければならない”と、弁護団は冒頭陳述で述ぺた。
袴田さんは、釈放されて間もなく一〇年を迎えようとするが、前述した拘禁反応が癒える兆しすら、私たちはほとんど感じることができない。
警察官や検察官は、逮捕・起訴そして死刑によって合法的に人の命を奪うことができる。袴田巖さんはそのすべてを経験し、死刑執行の恐怖は巖さんの心を回復不能の状態に追い込んでしまった。
袴田巖さんの人生を奪った警察官・検察官こそ、裁かれなくてはならない。
(袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会・事務局長 山崎俊樹)
『月刊救援 655号』(2023年11月10日)
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