◆ 沖縄だより(最終回)
~連載23年を振り返って (『週刊新社会』)
「沖縄だより」は、1999年2月にスタートしたからちょうど23年。新社会党委員長は初代の矢田部さんから現在の岡崎さんで5代目になる。日本の政治、社会、ジャーナリズムが右傾化していく中で、ぶれずにいるのは新社会党のみではないかと思われる。
沖縄の新聞でさえ、T紙は昨年堂々と自衛隊賛美の連載記事を長々と続けた。沖縄全体が自衛隊容認の雰囲気になっている。「復帰」時の熱い自衛隊配備阻止闘争はどこに行ったか。高校生さえ、「自衛隊に反対する声明」を出したほどだった。
奄美、沖縄、宮古、八重山(いわゆる南西諸島)への自衛隊配備に反対する住民の闘いは孤立している。沖縄本島では、反対の声は表に出てこない。
99年は「沖縄サミット」の前年で、稲嶺恵一知事(当時)は前任の大田昌秀知事が手がけた新平和祈念資料館の沖縄戦に関する展示内容を大きく改ざんした。監修委員をしていた私は、改ざん問題に対処するため他の委員と日夜格闘した。
また、96年の日米特別委員会で普天間基地や数カ所の返還が決定された。基地問題が大きく転換した瞬間だった。当初、普天間基地は廃止・即時返還というのが地元宜野湾市や県民の要求だった。
ところがその後、沖縄県議会が「廃止」ではなく「移設」に置き換える決議をした。すると「移設論」が一人歩きし、「県内移設」「海外移設」「本土移設」論へと展開し始めた。現在の辺野古問題の混迷、市民運動の難しさは、そのあたりから始まったといってよい。
ところで、私はこの原稿を病院で書いている。暮れに緊急入院した。どうもお腹によろしくないものが巣くってしまったらしい。そのため、化学治療をうけるはめになった。
「復帰」50年でいくつか原稿も抱えていたが、お断りした。「復帰」運動が燃え盛った60年代後半、私は高校生でいわゆる「復帰」少女だった。デモ行進中に大学生に声をかけられ、「共産党宣言」を読み始めた。
親しんでいた文学書を捨て、大学受験も放棄した。これまで持ち続けてきたのは17歳で読んだ「共産党宣言」や他の社会科学系から学んだ思想である。
一方で私は詩集を出し、琉球独自の精神世界を求め続け、沖縄の未来の自治のあり方を模索してきた。「沖縄だより」で十分に書くことはできなかったが、いずれ機会があればと思う。(安里英子『新しいアジアの予感』藤原書店を読んで頂ければありがたい)。
読者の皆さまに支えられて続けることができました。「恨之碑の会」には多くの方々にカンパを頂き、心からお礼を申しあげます。
連載はひとまず閉じますが、再会できることを願います。(終わり)
『週刊新社会』(2022年2月23日)
~連載23年を振り返って (『週刊新社会』)
フリー・ライター 安里英子
「沖縄だより」は、1999年2月にスタートしたからちょうど23年。新社会党委員長は初代の矢田部さんから現在の岡崎さんで5代目になる。日本の政治、社会、ジャーナリズムが右傾化していく中で、ぶれずにいるのは新社会党のみではないかと思われる。
沖縄の新聞でさえ、T紙は昨年堂々と自衛隊賛美の連載記事を長々と続けた。沖縄全体が自衛隊容認の雰囲気になっている。「復帰」時の熱い自衛隊配備阻止闘争はどこに行ったか。高校生さえ、「自衛隊に反対する声明」を出したほどだった。
奄美、沖縄、宮古、八重山(いわゆる南西諸島)への自衛隊配備に反対する住民の闘いは孤立している。沖縄本島では、反対の声は表に出てこない。
99年は「沖縄サミット」の前年で、稲嶺恵一知事(当時)は前任の大田昌秀知事が手がけた新平和祈念資料館の沖縄戦に関する展示内容を大きく改ざんした。監修委員をしていた私は、改ざん問題に対処するため他の委員と日夜格闘した。
また、96年の日米特別委員会で普天間基地や数カ所の返還が決定された。基地問題が大きく転換した瞬間だった。当初、普天間基地は廃止・即時返還というのが地元宜野湾市や県民の要求だった。
ところがその後、沖縄県議会が「廃止」ではなく「移設」に置き換える決議をした。すると「移設論」が一人歩きし、「県内移設」「海外移設」「本土移設」論へと展開し始めた。現在の辺野古問題の混迷、市民運動の難しさは、そのあたりから始まったといってよい。
ところで、私はこの原稿を病院で書いている。暮れに緊急入院した。どうもお腹によろしくないものが巣くってしまったらしい。そのため、化学治療をうけるはめになった。
「復帰」50年でいくつか原稿も抱えていたが、お断りした。「復帰」運動が燃え盛った60年代後半、私は高校生でいわゆる「復帰」少女だった。デモ行進中に大学生に声をかけられ、「共産党宣言」を読み始めた。
親しんでいた文学書を捨て、大学受験も放棄した。これまで持ち続けてきたのは17歳で読んだ「共産党宣言」や他の社会科学系から学んだ思想である。
一方で私は詩集を出し、琉球独自の精神世界を求め続け、沖縄の未来の自治のあり方を模索してきた。「沖縄だより」で十分に書くことはできなかったが、いずれ機会があればと思う。(安里英子『新しいアジアの予感』藤原書店を読んで頂ければありがたい)。
読者の皆さまに支えられて続けることができました。「恨之碑の会」には多くの方々にカンパを頂き、心からお礼を申しあげます。
連載はひとまず閉じますが、再会できることを願います。(終わり)
『週刊新社会』(2022年2月23日)
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