★ 忘れてはならない9・18、7・7、12・13 (週刊新社会)
弁護士 内田雅敏
★ 木原防衛相が靖國神社参拝
年初以降、幹部自衛官と靖國神社との密接な関係が次々と明らかになり、自衛隊制服組に対する防衛省制服組の統制(シビリアンコントロール)が機能していないのかと危倶していたところ、8月15日、木原稔防衛大臣が靖國神社参拝をした。
この国の底が抜けてしまったように感じたのは私だけであろうか。
韓国は「日本の責任ある指導者級の人物が供物料を奉納したりしたことについて深い失望と遺憾の意を表明する」、「日本の責任ある指導者らが歴史を直視し、過去の歴史に対する謙虚な省察と真の反省を行動で示すことを促す。これは未来志向的な韓日関係発展の重要な土台である」と批判し、中国も同趣旨の声明をなした。
米国務省も「後ろ向きに見える」と日韓関係への懸念を示した。
★ 靖國神社は今も聖戦史観に立脚
戦前、靖國神社は軍国日本の精神的支柱であり、日本の敗戦後解体の危機にさらされたが、新憲法第20条の「信教の自由」の保障により、一宗教法人としてかろうじて生き延びることが出来た。
戦後の靖國神社は国家施設であった戦前の靖國神社(別格官幣社)ど異なり、私的な宗教施設にすぎない。
ところが靖國神社は現在も戦前と同様、すべての戦死者(戦病死者も含む)の魂を独占していると称し、また日本の近・現代におけるすべての戦争は、「日本の独立と日本を取りまくアジアの平和を守ってゆくために」なされたものであり、「日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えてゆくためには戦わねばならなかったのです」(靖國神社発行『やすくに大百科』)と聖戦史観=大東亜戦争史観・植民地解放史観に立脚している。
巷間、靖國問題とはA級戦犯合祀問題であり、したがってこれを何とか分祀できないかという議論があるが、前記聖戦史観に立脚した靖國神社にはA級戦犯こそふさわしいのであり、靖國神社は絶対にA級戦犯分祀は出来ない。分祀したら靖國神社でなくなってしまう。
★ 靖國神社は存在自体が違憲
憲法学者の小林節慶応大学名誉教授は、靖国問題とは政教分離原則問題であり、公人としての靖國神社参拝は許されないと考えていたが、ある時から、前記のような聖戦史観に立脚した靖國神社は憲法第9条の平和主義に反する存在であることを認識するに至ったと述べている。
そう、靖國神社はその存在自体が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」た(憲法前文)、戦後の出発点を否定する違憲な存在なのだ。統一教会、かつてのオウム真理教のような「反社会的」な存在だと言ってもいい。
こう言い切ることに躊躇する人々は少なくない。それは靖國神社がその魂を握っていると称する246万人死者たちの存在があるからだ。靖國神社の「生命」である靖國神社による「戦死者魂独占」の虚構に対峙し、沖縄の「平和の礎」のような無宗教の国立追悼施設をつくる以外に靖國問題の解決はあり得ない。
たとえ間違った戦争であっても死者たちは国家の命令により「戦陣二死シ、職域二殉ジ、非命二斃(たお)レタ」(敗戦の詔書)のではなかったか。
国家はこのような死者たちの魂鎮を一宗教法人に委ねていていいのか。死者たちの追悼、それはひたすら追悼することであって、けっして死者たちを称えたり、感謝したりしてはいけない。称え、感謝した瞬間に死者たちの政治利用が始まり、死者たちを生み出した者たちの責任が曖昧にされる。
★ 戦争体験した田中角栄としなかった安倍晋三
「戦争体験者がいる間はいい、問題は戦争体験者がいなくなった時だ」と語ったのは田中角栄だ。「総理大臣の仕事は、絶対に戦争をしない、国民を飢えさせてはいけない、これに尽きる」というのが口癖であったという。
尖閣諸島(中国名釣魚島)で中国を挑発した石原慎太郎、集団的自衛権行使容認で対米従属を推し進めた安倍晋三、他国で「戦う覚悟」と内政干渉の挑発をした麻生太郎らには戦争体験はない。
2016年外務、防衛両省や自衛隊幹部との防衛大綱改定に向けた初の事前協議で、安倍首相(当時)は開口一番、「君たち中国に勝てるだろうな」とただしたという(2023年1月3日毎日新聞)。
彼らの頭には1972年の日中共同声明等、先人たちの尽力によって成し遂げられた日中間の4つの基本文書(平和資源)は存在しない。軍事力一辺倒の「先軍政治」だ。
残念だが、中国にも〈一戦交えよう〉と考えている「先軍政治」派がいる。日・中間には双方の軍拡派が互いに不信と憎悪を投げつけ合うことによって増殖しようとする敵対的相互依存関係が存在する。
★ 日本人として忘れてはならないこと
日本人として6月23日、8月6日、9日、15日の4つを忘れてはならないと語ったのは戦地慰霊の旅を続けた明仁(あきひと)天皇(現上皇)だ。その伝に倣えば日中関係を考えるとき、日本側は9月18日(柳条湖)、7月7日(盧溝橋)、12月13日(南京)、3つの日時を忘れてはならない。
まもなくアジア太平洋戦争の契機とされた柳条湖鉄道爆破の謀略の日「9・18」が到来する。日本側は忘れても中国側は絶対に忘れない。
※ うちだ・まさとし
1945年生まれ。1975年東京弁護士会登録。弁護士として、通常業務のほかに、強制連行・強制労働・靖国等の歴史問題に取り組む。中国人強制労働花岡事件(鹿島建設)、同西松建設事件、同三菱マテリアル事件等の和解に尽力した。「戦争をさせない1000人委員会」の事務局長を務める。
『週刊新社会』(2024年9月4日)
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