◆消すな!盛るな!
by <復刻>オリンピックいらない人たちネットワーク (月刊 救援)
一九九八年二月七日午前一一時。南長野の競技場で長野冬季オリンピックの開会式が始まったとき、私たちは善光寺に向かう中央通りを北上していた。参道には「オリンピックはいらないぞ!」の声が響いた。デモの主催は「オリンピックいらない人たちネットワーク」だった。
その道を、二〇二一年東京オリンピックの「聖火」が善光寺から南下して来るという。
「黙っていては名折れだよね」「そうだね、行くか」。ようやく重い腰を上げた。
チラシに載せた「<復刻>オリンピックいらない人たちネットワーク」の名は、私がこの二三年間、世界で繰り返されてきたオリンピックに対し強い反対の声を響かせられなかったことへの自嘲が半ば、冗談が半ばだった。
二〇二一年四月一日午後七時過ぎ。呼びかけに応えて集まったのは、一九九八年の若者や子連れのかあちゃん、壮年の人たちだけではなかった。
東京オリンピックに反対する二〇二一年の若者や壮年が東京や松本から駆けつけた。総勢一〇人余り。参道に再び「オリンピックはいらないぞ!」の声が響いた。
が、消えた!
出発以来、「聖火リレー」をインターネット生中継し続けているNHKが消した。
後で確認すると、Kさんの「オリンピックはいらないぞ!」というひときわよく通る声が響いた直後、音声が完全に消えた。
三〇秒後に音声がもどったとき、「聖火」はすでに私たちの声が聞こえないところまで移動していた。
NHKが私たちの声を消したことについては、新聞社からの電話で知った。
「どう思うか?」という記者の問いに思わず「オリンピックってそういうものでしょ。」と応じてしまった。
オリンピックは異論を消し、不都合な物事を排除して強行される。マスメディアがそれに加担する。
二三年前もそうだった。あのとき長野で、オリンピックによる環境破壊、人権侵害、税の無駄遣いなどに反対し、または案ずる声は消された。
なんと長野五輪招致委員会の会計帳簿も消された。
そして、「長野オリンピックは県民の総意」「県民の悲願」の物語が盛られた。
さて「東京2020」。公共放送は、「聖火リレー」の中継からオリンピック反対の声を消した。
消した理由として「それぞれの思いをもって走る聖火ランナーへの配慮」を上げている。
しかし、異様にゆっくり走るランナーは、私たちの声をはっきりと聞いているはずだ。沿道の拍手もまばらだった。
そして、この種の抗議行動には付きもののヤジがまったく飛ばなかった。
コロナ感染が広がり続け、人々が自粛、時短を求められる中、世論調査では六割を超える人が東京オリンピックは中止か延期が望ましいと答えている。
沿道に出た人たちにも、熱は感じられなかった。
私たちは、後日NHK長野放送局を抗議に訪れた。
「消音」は市民の「表現の自由」と「知る権利」を侵害したことに抗議し、「消音」の判断理由、経緯指示者の調査と公表を求めた。
答えはまだない。
オリンピックに反対する声を消したNHKや他のマスメディアは一方で病気を克服してオリンピック代表になった女性アスリートの物語を盛り続けている。
オリンピックいらない人たちネットワークは〈復刻〉を外した。
岡嵜啓子(長野市)
『月刊 救援 625号』(2021年5月10日)
by <復刻>オリンピックいらない人たちネットワーク (月刊 救援)
一九九八年二月七日午前一一時。南長野の競技場で長野冬季オリンピックの開会式が始まったとき、私たちは善光寺に向かう中央通りを北上していた。参道には「オリンピックはいらないぞ!」の声が響いた。デモの主催は「オリンピックいらない人たちネットワーク」だった。
その道を、二〇二一年東京オリンピックの「聖火」が善光寺から南下して来るという。
「黙っていては名折れだよね」「そうだね、行くか」。ようやく重い腰を上げた。
チラシに載せた「<復刻>オリンピックいらない人たちネットワーク」の名は、私がこの二三年間、世界で繰り返されてきたオリンピックに対し強い反対の声を響かせられなかったことへの自嘲が半ば、冗談が半ばだった。
二〇二一年四月一日午後七時過ぎ。呼びかけに応えて集まったのは、一九九八年の若者や子連れのかあちゃん、壮年の人たちだけではなかった。
東京オリンピックに反対する二〇二一年の若者や壮年が東京や松本から駆けつけた。総勢一〇人余り。参道に再び「オリンピックはいらないぞ!」の声が響いた。
が、消えた!
出発以来、「聖火リレー」をインターネット生中継し続けているNHKが消した。
後で確認すると、Kさんの「オリンピックはいらないぞ!」というひときわよく通る声が響いた直後、音声が完全に消えた。
三〇秒後に音声がもどったとき、「聖火」はすでに私たちの声が聞こえないところまで移動していた。
NHKが私たちの声を消したことについては、新聞社からの電話で知った。
「どう思うか?」という記者の問いに思わず「オリンピックってそういうものでしょ。」と応じてしまった。
オリンピックは異論を消し、不都合な物事を排除して強行される。マスメディアがそれに加担する。
二三年前もそうだった。あのとき長野で、オリンピックによる環境破壊、人権侵害、税の無駄遣いなどに反対し、または案ずる声は消された。
なんと長野五輪招致委員会の会計帳簿も消された。
そして、「長野オリンピックは県民の総意」「県民の悲願」の物語が盛られた。
さて「東京2020」。公共放送は、「聖火リレー」の中継からオリンピック反対の声を消した。
消した理由として「それぞれの思いをもって走る聖火ランナーへの配慮」を上げている。
しかし、異様にゆっくり走るランナーは、私たちの声をはっきりと聞いているはずだ。沿道の拍手もまばらだった。
そして、この種の抗議行動には付きもののヤジがまったく飛ばなかった。
コロナ感染が広がり続け、人々が自粛、時短を求められる中、世論調査では六割を超える人が東京オリンピックは中止か延期が望ましいと答えている。
沿道に出た人たちにも、熱は感じられなかった。
私たちは、後日NHK長野放送局を抗議に訪れた。
「消音」は市民の「表現の自由」と「知る権利」を侵害したことに抗議し、「消音」の判断理由、経緯指示者の調査と公表を求めた。
答えはまだない。
オリンピックに反対する声を消したNHKや他のマスメディアは一方で病気を克服してオリンピック代表になった女性アスリートの物語を盛り続けている。
オリンピックいらない人たちネットワークは〈復刻〉を外した。
岡嵜啓子(長野市)
『月刊 救援 625号』(2021年5月10日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます