◆ <情報・ご用心!>改憲勢力が憲法24条「婚姻の自由・男女平等」の改悪に再び触手!?
皆さま 高嶋伸欣です
以前から折ある毎に改憲派が展開してきた、憲法24条「婚姻の自由・男女平等」条項の骨抜き・改悪の動きが見え始めました。
添付資料①『世界日報』5月15日の同紙幹部の署名記事では、百地章、八木秀次、西修などこの話題では常連の各氏の名があります。
こうした保守派の改憲や教科書「偏向」攻撃は、これまでの事例で見るとまず『世界日報』(国際勝共連合・統一教会系)で話題提起をして様子を見ます。
反発等があまりないと、次には『産経新聞』紙面で同調の声を流布し、やはり強い反発や異論がないと、「社会的に認知された」として、積極的なキャンペーンに踏み出しています。
そこでは、事実無根の事項を巧妙に組み込んだり、理性よりも感情で世論を扇動する手練手管が巧妙に多用されてきています。
その点で、『産経新聞』の海千山千の経験、手法は並みの詐欺師など顔負けです。
というところで、この先『産経新聞』などがこの話題にどのように関わるかご用心下さい
なお念のための参考資料としての、『添付資料②』は「つくる会」系中学「公民」教科書の”家族”についての記述の変遷です。
Aは、「個人と家族(のまとまり)とどちらがより優先するとか、より重要かという関係にない」とした、2002年度用初版の記述です(下線は高嶋による。以下同じ)。
*この記述が原因の一つとなって、西部邁氏は同書の執筆代表者から引きずり降ろされたと言われています
Bは、Aの改訂版で、八木秀次氏が代表執筆者になり、「個人が家族より優先されるようになると~」あるいは「家族のきずなの弱まりは~」と、個人よりも家族のまとまり優先の主張に転換しているものです
Cは、「つくる会」を出た八木氏による育鵬社版「公民」教科書の最新版(今年度から中学3年生が使用中。ただし、6月末頃までは「歴史」最終部分を学習中なので、「公民」は早くても7月からのところが大半のようです)。
ここでも「家族の一体感」が強調されています
『添付資料③』のDは、これまでに何度も紹介してきた、24条の歴史的意義について簡潔に説明している資料です。
GHQ原案に24条を盛り込むために孤軍奮闘したベアテ・シロタさんを招いた沖縄の講演会(2001年5月3日)に合わせた琉球大学教育学部の島袋純氏の投稿で、沖縄中の女性たちから拍手、協賛の声が多数寄せられ、ご本人が戸惑っている様子を、私は間近で見ていました。
*Dの中にある、「GHQ原案を示された当時の日本政府代表が最後の最後まで受け入れを拒否しようとしたのは、象徴天皇の1条、武力放棄の9条ではなく、この24条だった」旨の指摘の意味を、これだけ具体的で分かりやすく説明し、説得力のあるものとなっている資料に、この後も出会ったことはありません。
憲法学習に適した教材の一つという意味でも、活用を期待しています。
それに、上記の『添付資料①・②』も、高校生や大学生に提示して議論をする素材になりそうな気がします。
今や、世界中が儒教的な家父長制家族主義からの脱皮、ジェンダーの理念の共有化を目指している時代にあって、こうした旧来の理念に固執し続ける勝共連合や日本会議などが依然として幅を利かしている日本の状況には、私たちが警戒心を持ち続けるしかないように思えます。
高校や大学などだけででなく市民の学習会などでの活用も期待しています。
ちなみに本日5月15日は、沖縄の「本土」復帰から49年目の日ですが、「本土」復帰の日は、沖縄の人々にとって「権利の章典・日本国憲法」の”自力”獲得の日でもあります。
「本土」社会は、5月15日が沖縄の人々に追い越された日であることを、私は高校と大学で言い続けてきました。
多くの生徒・学生が「沖縄観が変わった」と言ってくれました。
けれども、同様の指摘をする声が「本土」のマスコミなどでは、本日もほとんど聞こえてきません。
この認識がないまま沖縄の諸問題を論じる「本土」の声から、沖縄の人々がどれだけ信頼感を得ているのか気がかりです。
以上 例によって高嶋の私見です。 ご参考までに
転送・拡散は自由です
皆さま 高嶋伸欣です
以前から折ある毎に改憲派が展開してきた、憲法24条「婚姻の自由・男女平等」条項の骨抜き・改悪の動きが見え始めました。
添付資料①『世界日報』5月15日の同紙幹部の署名記事では、百地章、八木秀次、西修などこの話題では常連の各氏の名があります。
こうした保守派の改憲や教科書「偏向」攻撃は、これまでの事例で見るとまず『世界日報』(国際勝共連合・統一教会系)で話題提起をして様子を見ます。
反発等があまりないと、次には『産経新聞』紙面で同調の声を流布し、やはり強い反発や異論がないと、「社会的に認知された」として、積極的なキャンペーンに踏み出しています。
そこでは、事実無根の事項を巧妙に組み込んだり、理性よりも感情で世論を扇動する手練手管が巧妙に多用されてきています。
その点で、『産経新聞』の海千山千の経験、手法は並みの詐欺師など顔負けです。
というところで、この先『産経新聞』などがこの話題にどのように関わるかご用心下さい
なお念のための参考資料としての、『添付資料②』は「つくる会」系中学「公民」教科書の”家族”についての記述の変遷です。
Aは、「個人と家族(のまとまり)とどちらがより優先するとか、より重要かという関係にない」とした、2002年度用初版の記述です(下線は高嶋による。以下同じ)。
*この記述が原因の一つとなって、西部邁氏は同書の執筆代表者から引きずり降ろされたと言われています
Bは、Aの改訂版で、八木秀次氏が代表執筆者になり、「個人が家族より優先されるようになると~」あるいは「家族のきずなの弱まりは~」と、個人よりも家族のまとまり優先の主張に転換しているものです
Cは、「つくる会」を出た八木氏による育鵬社版「公民」教科書の最新版(今年度から中学3年生が使用中。ただし、6月末頃までは「歴史」最終部分を学習中なので、「公民」は早くても7月からのところが大半のようです)。
ここでも「家族の一体感」が強調されています
『添付資料③』のDは、これまでに何度も紹介してきた、24条の歴史的意義について簡潔に説明している資料です。
GHQ原案に24条を盛り込むために孤軍奮闘したベアテ・シロタさんを招いた沖縄の講演会(2001年5月3日)に合わせた琉球大学教育学部の島袋純氏の投稿で、沖縄中の女性たちから拍手、協賛の声が多数寄せられ、ご本人が戸惑っている様子を、私は間近で見ていました。
*Dの中にある、「GHQ原案を示された当時の日本政府代表が最後の最後まで受け入れを拒否しようとしたのは、象徴天皇の1条、武力放棄の9条ではなく、この24条だった」旨の指摘の意味を、これだけ具体的で分かりやすく説明し、説得力のあるものとなっている資料に、この後も出会ったことはありません。
憲法学習に適した教材の一つという意味でも、活用を期待しています。
それに、上記の『添付資料①・②』も、高校生や大学生に提示して議論をする素材になりそうな気がします。
今や、世界中が儒教的な家父長制家族主義からの脱皮、ジェンダーの理念の共有化を目指している時代にあって、こうした旧来の理念に固執し続ける勝共連合や日本会議などが依然として幅を利かしている日本の状況には、私たちが警戒心を持ち続けるしかないように思えます。
高校や大学などだけででなく市民の学習会などでの活用も期待しています。
ちなみに本日5月15日は、沖縄の「本土」復帰から49年目の日ですが、「本土」復帰の日は、沖縄の人々にとって「権利の章典・日本国憲法」の”自力”獲得の日でもあります。
「本土」社会は、5月15日が沖縄の人々に追い越された日であることを、私は高校と大学で言い続けてきました。
多くの生徒・学生が「沖縄観が変わった」と言ってくれました。
けれども、同様の指摘をする声が「本土」のマスコミなどでは、本日もほとんど聞こえてきません。
この認識がないまま沖縄の諸問題を論じる「本土」の声から、沖縄の人々がどれだけ信頼感を得ているのか気がかりです。
以上 例によって高嶋の私見です。 ご参考までに
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