◆ <私見>森発言の根源にある『教育勅語』の男尊女卑徳目の羅列再評価の動きにも注目を!
皆さま 高嶋伸欣です
1.森喜朗氏の暴言に対する内外の批判とは別に、なぜこのような差別的認識が日本社会には根強くあるのかをかんげると、私たち教育関係者の在り方に繋がる話題でもあると思えてきています。
2.添付資料①は、森氏が首相だった時に「教育勅語」の「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ~」の徳目を羅列した部分まで否定したのは行き過ぎがと発言した時の記事です(4月2日の記事は『朝日新聞』です)。
森氏が歴代首相よりもこの件に執着していたことが分かります
3 そしてその「教育勅語」の徳目は男尊女卑の思想に染め抜かれていることが、教育史では定説です。
そのことがもっともよくわかるのが「夫婦相和シ」が本来(原文)では「夫婦別アリ」で「妻は黙って夫に従うものと女子生徒は心得よ」という意味だとされているところです(添付資料②)。
4 ちなみに私がいた筑波大学附属高校の「現代社会」に授業(1年生)でこのことを添付③のような質問の順番で明らかにした時、最初にこの差別的な意味に気づいたのは女生徒でした。
5 その時は、チャイムが鳴る少し前だったのであまり詳しい説明をしないまま終わりました。翌日、そのクラスの男生徒たちが用事で社会科準備室に来た時、「先生、昨日はあれから大変でした。女子がプンプン怒っちゃって、ボクたち男子は休み時間に教室にいられませんでしたよ」と教えてくれました。
6 「それは気の毒した。次の時間には、今の憲法にそれと正反対の規定があることを説明して、分かってもらいようにしよう」「あてにしてます」というようなやりととりになりました。
7 次の授業では、憲法の24条が男女平等・婚姻の自由を規定したものであること、そしてその条項をGHQ案に盛り込んだ中心人物がベアテ・シロタさんという女性だったことを確認しました。
女生徒たちは「今は違う」ということで安心し、シロタさんさんという女性の努力の成果であることを喜んでいるようでした。
8 そのシロタさんが、2001年5月3日の憲法記念日に沖縄・那覇市で講演した際に『沖縄タイムス』が掲載した島袋純氏のコメントが、添付④です。
9 当時、島袋氏は私と同じ琉球大学教育学部社会科教育教室所属でした。翌9日に学内で顔を合わせた折に「昨日の『タイムス』のコメントには引き込まれました。講義などに使わせて欲しいです」と話すと、「どうぞ使って下さい」と言われました。
続けて「昨日も学内で遠くにいた別の教室の女性の先生が手を挙げて飛んできて『あの記事よかった!うれしかった。それを言いたかったのよ』と言って走っていきました。そんなですかねえ」とのエピソードを教えてもらいました。
10 以来、私も自信と義務感をもってこの『沖縄タイムス』の記事を折ある毎に紹介しています。今回もその一環というわけでもあります。
11 添付資料の⑤は、2017年に安倍政権が「教育勅語」を教材として用いることを許容するとの答弁書を閣議決定したことで、物議を醸した際の沖縄の反応を示している資料です。
12 沖縄は、「本土」以上に「教育勅語体制」で”動物的忠誠心”を植え付けられ、不当な犠牲を強いられた痛恨の体験を語り継いでいる地域社会ですから、このような話題には敏感です。
それと比較して、「本土」社会はこの時どれだけ厳しく問題化したでしょうか。
13 今回の森発言については、国際的な批判とは別に戦前・戦中の皇民化教育態勢の残滓としての同氏及び背後の賛同者たちの存在に対する責任と、沖縄差別を今なお払しょくできていない「本土」社会の責任とを再確認させられる話題であるという意味があると思います。
その意味での議論を喚起したいと思い、このメールを発信することにした次第です。
以上 高嶋の私見です。 ご意見等をいただければ幸いです。
転送・拡散は自由です
皆さま 高嶋伸欣です
1.森喜朗氏の暴言に対する内外の批判とは別に、なぜこのような差別的認識が日本社会には根強くあるのかをかんげると、私たち教育関係者の在り方に繋がる話題でもあると思えてきています。
2.添付資料①は、森氏が首相だった時に「教育勅語」の「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ~」の徳目を羅列した部分まで否定したのは行き過ぎがと発言した時の記事です(4月2日の記事は『朝日新聞』です)。
森氏が歴代首相よりもこの件に執着していたことが分かります
3 そしてその「教育勅語」の徳目は男尊女卑の思想に染め抜かれていることが、教育史では定説です。
そのことがもっともよくわかるのが「夫婦相和シ」が本来(原文)では「夫婦別アリ」で「妻は黙って夫に従うものと女子生徒は心得よ」という意味だとされているところです(添付資料②)。
4 ちなみに私がいた筑波大学附属高校の「現代社会」に授業(1年生)でこのことを添付③のような質問の順番で明らかにした時、最初にこの差別的な意味に気づいたのは女生徒でした。
5 その時は、チャイムが鳴る少し前だったのであまり詳しい説明をしないまま終わりました。翌日、そのクラスの男生徒たちが用事で社会科準備室に来た時、「先生、昨日はあれから大変でした。女子がプンプン怒っちゃって、ボクたち男子は休み時間に教室にいられませんでしたよ」と教えてくれました。
6 「それは気の毒した。次の時間には、今の憲法にそれと正反対の規定があることを説明して、分かってもらいようにしよう」「あてにしてます」というようなやりととりになりました。
7 次の授業では、憲法の24条が男女平等・婚姻の自由を規定したものであること、そしてその条項をGHQ案に盛り込んだ中心人物がベアテ・シロタさんという女性だったことを確認しました。
女生徒たちは「今は違う」ということで安心し、シロタさんさんという女性の努力の成果であることを喜んでいるようでした。
8 そのシロタさんが、2001年5月3日の憲法記念日に沖縄・那覇市で講演した際に『沖縄タイムス』が掲載した島袋純氏のコメントが、添付④です。
9 当時、島袋氏は私と同じ琉球大学教育学部社会科教育教室所属でした。翌9日に学内で顔を合わせた折に「昨日の『タイムス』のコメントには引き込まれました。講義などに使わせて欲しいです」と話すと、「どうぞ使って下さい」と言われました。
続けて「昨日も学内で遠くにいた別の教室の女性の先生が手を挙げて飛んできて『あの記事よかった!うれしかった。それを言いたかったのよ』と言って走っていきました。そんなですかねえ」とのエピソードを教えてもらいました。
10 以来、私も自信と義務感をもってこの『沖縄タイムス』の記事を折ある毎に紹介しています。今回もその一環というわけでもあります。
11 添付資料の⑤は、2017年に安倍政権が「教育勅語」を教材として用いることを許容するとの答弁書を閣議決定したことで、物議を醸した際の沖縄の反応を示している資料です。
12 沖縄は、「本土」以上に「教育勅語体制」で”動物的忠誠心”を植え付けられ、不当な犠牲を強いられた痛恨の体験を語り継いでいる地域社会ですから、このような話題には敏感です。
それと比較して、「本土」社会はこの時どれだけ厳しく問題化したでしょうか。
13 今回の森発言については、国際的な批判とは別に戦前・戦中の皇民化教育態勢の残滓としての同氏及び背後の賛同者たちの存在に対する責任と、沖縄差別を今なお払しょくできていない「本土」社会の責任とを再確認させられる話題であるという意味があると思います。
その意味での議論を喚起したいと思い、このメールを発信することにした次第です。
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