『崩壊する日本の公教育』より #1
★ 「今はまるで『シャブ漬け』状態だ…」
~大阪府の元教員が明かすグロテスクな教育環境の“実情”
鈴木 大裕(教育研究者)
安倍政権以降、「学力向上」や「愛国」の名の下に政治が教育に介入し始めている。そう説くのは、教育研究者の鈴木大裕氏だ。氏が見据える日本の公教育の未来とは?
ここでは、著書『崩壊する日本の公教育』(集英社新書)の一部を抜粋し、「全国学力・学習状況調査」が抱える大きな問題点について紹介する。(全2回の1回目)
★ 「学力向上」という大義をまとった教育への政治介入
「どんな複雑な問題にも決まって短く、単純で、間違った答えがある」と言ったのは、アメリカの著名なジャーナリスト、H・L・メンケンだった。
1980年代以降、市場原理を導入して学校や教員を競い合わせれば公教育も改革できるという、あまりにも安易な新自由主義教育「改革」が、世界規模で子どもたちの教育をダメにしてきた。
日本も例外ではない。大きな転機となったのが、2007年に43年ぶりに復活した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)だった。
実は以前にも全国学力テストは行われていたが、地域・学校間の過度な競争を招いたことなどを理由に、1964年に中止されたという歴史的経緯がある。
それが、2004年のいわゆる「PISAショック」で高まった「ゆとり教育」への反動を機に、名前を変えて復活したのだ(注:PISAショックとは、OECDによる国際学習到達度調査[PISA]における日本の成績が、読解力は8位から14位に、数学的リテラシーは1位から6位へと失墜したことが社会問題となったときの呼称)。
しかし、「全国学力・学習状況調査」を純粋な学力調査と見るのはナイーブで、むしろ政治が教育に介入するためのツールと見る方が正しいのではないだろうか。それも「学力向上」という大義をまとったツールだ。
もし、その名の通り、生徒たちの日頃の学力を調査することが目的ならば、地域ごとに一部の生徒を抽出して調べれば十分だ。しかし、2007年当時の第一次安倍政権は、77.2億円もかけて悉皆式(全員参加形式)での実施にこだわった。
その後、民主党政権で一度は抽出式になったものの、第二次安倍政権はわざわざ悉皆式に戻すという執拗さを見せた。なぜか。その理由は2014年に明らかになる。
2014年、第二次安倍政権は、全国学力調査の結果を、従来の自治体別だけでなく学校別に開示できるよう規制緩和した。全国の小学校6年生と中学校3年生が共通のテストを受け、自治体の教育委員会が容認すれば学校別の成績も開示される……。
当然、知ることができるなら自分の子どもの学校の成績を知りたい、少しでも成績の良い学校を選択できるようにして欲しい、と求める保護者も出てくる。
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★ 年に13回もテストが…中学校で起きている異常な状況
また、教育の政治的中立性の原則から、教育問題にはなかなか手を出せずにいた政治家らも、77.2億円もの税金に対する「費用対効果」という観点から、当然のように教育現場に「結果責任」を求めることが可能になった。
こうして日本全国の地方自治体が全国学力テストの点数競争に翻弄されるようになっていったのだ。
★ 年に13回もテストが…中学校で起きている異常な状況
全国学力調査の対策として、都道府県、さらには市レベルでも模擬試験を導入する自治体が増え、2018年には、約70%の都道府県が独自の学力調査を実施し、さらには85%の政令指定都市までもが独自のテストを行うようになった。
次の写真(略)は、大阪のある市立中学校の2019年度のテスト計画だ。
この中学校では、学校独自で行っている1年に5回の中間、期末、学年末テストの他に、大阪府独自の「チャレンジテスト」、3年生はそれに加えて大阪市統一テスト、そして年5回の実力テスト、その上さらに、この計画には書かれていない全国学力テストまである。よって、3年生は年13回もテストを受けなければならない計算になる。
再任用で今も働く退職教員は、現在の異常な状況をこんな風に表現した。
「昔、教員は、全国一斉学力テストの直前に学校で行う試験対策を『ドーピング』と揶揄したものだが、今はまるで『シャブ漬け』状態だ」
自治体が独自で導入する模擬試験、生徒たちの成績を蓄積・分析するデータシステムの構築、テスト対策に使用される学習ドリル……。
深刻な教員不足で、教科担任が来ない学級が全国いたるところに存在するにもかかわらず、毎年莫大な教育予算が民間企業に流れている状況を、私たちはどのように理解したらよいのだろうか。
無駄なのはお金だけではない。いったいどれだけの貴重な授業時間がテストに浪費されているのだろうか。実際のテストに使われる授業時間はもちろんだが、テスト直前になると学校は対策に追われる。また、夏休みなどの長期休暇を短縮して補習を行う学校や、全国学力テスト直前の春休みに大量の宿題を課す学校も少なくない。
ちなみに、大阪府では府が独自に取り入れた「チャレンジテスト」という学力テストを行っているが、そのテストでは生徒個人だけでなく個々の中学校の偏差値までもが算出され、生徒たちが高校を受験する際の内申点に影響を及ぼす仕組みになっている。
つまり、偏差値の高い中学校の「3」という評価と、偏差値の低い学校の「3」とでは異なる価値として計算されるのだ。だからチャレンジテストでは、一部の生徒の成績が優秀でも成績の悪い生徒が多ければ、3年生全体の受験に悪影響が出てしまう。チャレンジテストが「団体戦」と呼ばれる所以である。
2016年に広島で行われた教育シンポジウムでは、大阪の教員が紹介したエピソードが会場をどよめかせた。チャレンジテスト前日、成績の悪い生徒が「明日は学校を休もうかな」と言ったら、それを聞いた周りの生徒たちから拍手が起きたというのだ。
なんというグロテスクな環境に子どもたちは閉じ込められているのだろうか。
★ 行き過ぎた学力調査がもたらした負の影響
2017年、私は秋田県に講演に招かれた。秋田といえば、全国学力調査が復活した2007年以降、何年もの間「学力ナンバーワン」と言われ続けてきたところだ。その秋田の教員たちから、行き過ぎの学力テスト対策に疑問の声が上がっており、『崩壊するアメリカの公教育』について話を聞かせて欲しいということだった。
聞けば、秋田県では2007年当初から、全国学力テストが終了次第、文科省に送り返す前に各学校で全答案をコピー・自主採点し、結果が公表される前から翌年に向けて対策をしてきたのだという。
秋田県教職員組合が実施したアンケートからは、テストに翻弄され、負担感に苛まれる教員の声が聞こえてくる。
「常にトップを要求され続ける怖さがある」
「1位を死守するために年々厳しい取り組みを求められる」
「事前の取り組みが負担。是が非でも成績を上げないといけないという雰囲気を感じる」
秋田の次に「学力ナンバーワン」の座についた福井県では、2017年3月に起きた県内の中2男子自殺事件を受けて、「『学力日本一』を維持することが本県全域において教育現場に無言のプレッシャーを与え、教員、生徒双方のストレスの要因となっている」として、「福井県の教育行政の根本的見直しを求める意見書」を採択するという異例の事態となった。
福井の次に「学力ナンバーワン」のタイトルを得た石川県でも、行き過ぎた事前対策の状況は変わらなかった。石川県教職員組合の谷内直執行委員長は、県教委から教育現場への是正の勧告があったにもかかわらず、全体の4割を超える学校が従来通り、過去問を解くなどの対策を講じていたことに驚いている。
「普通、県の教育委員会が(対策を)しないように言ったらゼロになるはずですよ。それがならないというところに根の深さというか問題の大きさを痛感している」
また、県教職員組合による実態調査で記録された、「1年間、学力調査のために仕事をしている印象」という教員の声は、全国学力テストに振り回される教育現場の姿を露呈している。
先にも述べたが、もし全国学力調査がその名の通り「調査」なら、毎年数十億円もの税金をかけて悉皆式で行う必要はない。抽出式で十分に精度の高い調査はできる。それどころか、幅広い成績開示を前提に悉皆式で行えば、逆に正確なデータは取れないとさえ言われている。
日々の授業による生徒たちの学力の定着度を測るための調査なのに、授業を潰して入念なテスト対策を行えば、テストのための授業となり本末転倒であるし、生徒たちの日頃の学力などはかれなくなる。
そして何よりも、テストやテスト対策に明け暮れるなら、「学校」と「塾」との違いがわからなくなってしまう。
全国学力調査が全員参加方式で再開されたのが2013年。その年を境に、子どものいじめ、不登校、校内暴力、そして自殺は増加傾向にあるのだが、単なる偶然なのだろうか。
それを懸念するように、国連子どもの権利委員会は、2019年に発表した日本政府に対する意見書で、「生命、生存および発達に対する権利」に関して、次のように日本政府に勧告している。
子どもが、社会の競争的性質によって子ども時代および発達を害されることなく子ども時代を享受できることを確保するための措置をとること。
不登校や子どもの自殺に歯止めがかからない中、政府に求められているのは、早急に子どものストレス要因を取り除く努力なのではないだろうか。
『文春オンライン』(2024年12月5日)
https://bunshun.jp/articles/-/75035
※ 鈴木大裕 (すずき だいゆう) 1973年、神奈川県生まれ。教育研究者。
16歳で渡米し、1997年コルゲート大学教育学部卒業、1999年スタンフォ―ド大学教育大学院修了。帰国後、千葉市の公立中学校で英語教師として勤務。2008年に再渡米し、コロンビア大学教育大学院博士課程で学ぶ。2016年、高知県土佐町へ移住、2019年に町議会議員となり、教育を通した町おこしを目指しつつ、執筆や講演活動を行なっている。著書に『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(岩波書店)など。
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