次回は、7月19日(木)10:30~ 東京地裁526号法廷
2018年5月31日
本日思いがけず、いわゆる『五輪読本』におけるIOC憲章違反記述に対する民事訴訟事件に関し、改めて同事案の訴えの趣旨と法廷審理のこれまでの概略について、原告の立場から意見陳述をする機会が与えられました。これより以下の通り意見陳述をし、同陳述を「意見書」にして提出することといたします。
訴えの趣旨は極めて単純、明確です。
2020年に東京で開催されることとなったオリンピック・パラリンピック夏季大会に合わせて東京都教育委員会が多額の公金をもって作成した『オリンピック・パラリンピック学習読本』(以下『五輪読本』、甲6・7・8号証)に看過し得ない問題点があるのです。
それは、国際オリンピック委員会(IOC)が定めているIOC憲章(甲1・2号証)に明確に違反した虚偽(ウソ)の記述が掲載されているということです。
この事態に対し、必要な是正措置を講じる義務が都教委にはあることの確認を、納税者等の立場から求めるということが、本件訴訟の主たる眼目です。
虚偽(ウソ)の記述に当たるのは、例えば小学校編64(2017年版では62)ページの「世界のマナー」と題した節で「国旗と国歌」という小見出しに続き、「オリンピック・パラリンピックでは、開会式で選手たちが自国の国旗を先頭に行進します。表彰式では、優勝した選手の国の国旗をかかげ、国歌を演奏します」とし、同65ページで「表彰式の国旗けいようでは、国歌が流されます」「国歌とともに国旗がけいようされます」などと繰り返している部分です。
五輪は本来、選手個人あるいはチーム間の技の競い合いであって、国家間の競争ではないのです。
それに選手個人やチームを大会に派遣する組織の区域単位は必ずしも国家ではなくカントリーCOUNTRYとされ、ホンコン、マカオ、グァムなどの非国家区域も平等に扱われているのです。
このことは、甲5号証の用語解説「COUNTRY」において明確に指摘されています。さらに同解説では「この語を単純に『国』と訳すのは誤りで、日本語にするときは『国・地域』としなければならない」とも念押しをしています。「国・地域」は分離して用いてはならない一つの用語なのです。
従って、『五輪読本』の上記の記述は、非国家区域からの参加者たちの存在を無視あるいは軽視している点で、五輪認識に差別的な解釈を持ち込むことになるものです。
本来、差別やいじめ等に対して厳しく対処することが求められている教育行政において、教育委員会自身が差別を助長するような教材を、多額の公費を持って作成し、同教材による学習を学校現場に求めている事態が、東京都全域で2016年度から形成され現在も継続されているという事態は、民主主義社会としては到底看過し得ない極めて不当なことです。このことだけをもってしても、都教委の責任は厳しく問われるべきです。
さらに、五輪では国家単位の区域からの選手団の多くが、国旗・国歌とほぼ同じものを用いていますが、それらはあくまでも大会組織委員会から選手団の旗・歌として認められ、IOC憲章では「NOC旗・NOC歌」と表記されているもので、五輪会場では国旗・国歌ではないのです。
例えば、中華民国(台湾)が国旗でなく台湾の人々が好む梅の花をデザインした旗を用いているのも、選手団を派遣している台湾のNOCがその旗を大会組織委員会に登録したからであって、共通ルールとは異なる例外規定を特に適用したわけではありません。
また、旗のサイズは五輪規格に合わせ縦横の比率が2:3に統一されています。他方で、国旗の比率がこれと異なっている国は少なくありません。
歌(曲)にしても、旗の掲揚に合わせた秒数に長さが変更されていて、国歌とは一致していないことが多いのです。
それに仮に国旗・国歌とそっくりのものが登録で認められたとしても、それらは五輪の会場で用いられている限りは国旗・国歌ではないのです。
例えるならば、ある国の王族の中の一人が代表選手として参加した場合、五輪会場では他のいわゆる庶民・平民の選手と同等に扱われのです。
日本でも冬の国民体育大会に当時の熊本県知事だった細川護熙氏がスキー競技の熊本県代表選手として参加し、あくまでも1選手として扱われた事例があります。
仮に安倍晋三氏が国内選考を勝ち抜いて五輪にテニス選手として参加した場合、五輪会場では総理大臣としての扱いを求めることはできません。もしそのような扱いを求めたなら、それは五輪に新たな差別を持ち込むことを意味します。少なくとも学校の中では、大臣の子弟であろうと、街の商店や農家の子弟であろうと平等・公平に扱わなければならないのと同じことのはずです。
「五輪では国旗・国歌が用いられる」と教え込むことは、児童・生徒に無意識の内に差別する側の認識を植え付けることになるのです。
同『五輪読本』は、小・中・高校編が、関連する教員向けDVD教材などと併せ、1億6千万円余の公費で作成され、2016年度から東京都内の公立・私立・国立等のすべての小(4年生以上)・中・高校生に配布されました。しかも、都教委から直接の指導を受ける公立校2168校(生徒総数約66万4千人)では、同書に基づいた授業等の実施を事実上義務化されています。
こうした教育行政は、最高裁判所大法廷判決(1976年5月21日、旭川学力テスト事件)が例示した「誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を子どもに施すことを強制するようなこと」であり、それは同判決に言う憲法26条(教育を受ける権利)、13条(個人の尊重)違反の基本的人権侵害行為に該当するものであることは明らかです。
しかし、都教委はもちろん東京都監査委員もこれらの違法状況についての私たちの指摘に耳を貸すことをせず、現在に至るまで何らの是正措置も講じていません。それどころか、2016年度以降も年度の更新に合せて、新規の入進学者にこれらの『五輪読本』の配布を続けています。
こうした、違法な人権侵害行為を東京都教育委員会が現在もなお強行している事態において、直接の当事者は不当な内容の学習を受けさせられている児童・生徒とその保護者たちです。
けれども学校において、教員は成績評価権を有し児童・生徒や保護者にとっては進学・入試などの際の「調査書(内申書)」の記述内容を決定する権力者という存在です。しかも東京都の公立学校では都教委の強権的な学校運営体制作りによって、教員は学校内において自由にものが言えない状況になってきています。
そのことは、東京都の教員採用試験の応募者近年減少している事実などをもって、全国の教育関係者の間ではつとに周知のこととなっています。また都教委に対する各種の裁判、さらには様々な報道等によって、全国的に見ても突出した都教委の教員管理状況は広く知られています。こうした状況に追い込まれている東京都の公立学校教員やその背後の都教委に対して、児童・生徒や保護者が『五輪読本』による人権侵害状況の是正を求めるのには、相当の勇気と覚悟が必要となります。
また仮に児童・生徒や保護者が勇気を奮って『五輪読本』による学習強要の違法性の指摘と是正措置の要求をしても、それに正面から応じる教員・校長を今の東京の公立学校で見出すことは極めて困難です。そのことは、都教委による卒業式・入学式での「日の丸・君が代」の強制、処分の多発等から容易に想定される事柄です。
しかし、こうしたIOC憲章違反記述の副教材使用の強制や基本的人権侵害の違憲行為が公費支出と都教委という公的機関の権限行使の下で遂行され続けている状況の存在を知りながら、それらを野放しにしておくことは、主権者としての義務を放棄することになります。
成績評価権等の関係で直接の当事者が違憲・違法行為についての責任追及や是正措置等を法的に求めることが困難である場合、主権者であり納税者である一般東京都民が、直接の当事者に代わって法的措置を求めることは、日本国憲法の下の社会正義にかなっているものと、私たちは思料しています。
さらに、2020年の東京五輪には関連施設の整備等で多額の国費が投入されます。またこの『五輪読本』は東京都だけでなく、首都圏の各県教委からの要望に応じて必要数を都教委から提供されるとの方針も明らかにされています。従って、本件については首都圏の各県住民も、同様の是正措置を法的に求めることができると思料し、私たちは本件の提訴に踏み切ったのです。
最後に本日の口頭弁論の中心的話題について申し述べます。
原告側は8点の甲号証と証拠説明書を提出し、準備書面(原告1)をもって4件の求釈明を提示しています。それらについての回答をされる際、特に留意されるべき点を改めて明らかにしておきます。
それは、甲3号及び甲5号証についてです。それらは、広島市及び青森市で開催されたアジア大会の時に、広島・青森両市の教育委員会が市内の小中学生に配布した下敷きで、それらには参加選手団の旗がカラーでプリントされ、「(参加)国・地域のNOC旗」と明記されています。
五輪やアジア大会では国旗ではなくNOC旗であるということを、広島・青森の小中学生にはそのまま理解できると判断されたと読み取れます。
一方で、東京都教育委員会はなぜそのまま理解できるものとみなさず、逆に混乱させることになりかねない不正確、不適切な「国旗」という記述にしたのか。この疑問が、上記求釈明の根底にはあることを踏まえた回答を求めるものであると、ここで改めて強調しておくことといたします。
2018年5月31日
意 見 書
高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)
本日思いがけず、いわゆる『五輪読本』におけるIOC憲章違反記述に対する民事訴訟事件に関し、改めて同事案の訴えの趣旨と法廷審理のこれまでの概略について、原告の立場から意見陳述をする機会が与えられました。これより以下の通り意見陳述をし、同陳述を「意見書」にして提出することといたします。
訴えの趣旨は極めて単純、明確です。
2020年に東京で開催されることとなったオリンピック・パラリンピック夏季大会に合わせて東京都教育委員会が多額の公金をもって作成した『オリンピック・パラリンピック学習読本』(以下『五輪読本』、甲6・7・8号証)に看過し得ない問題点があるのです。
それは、国際オリンピック委員会(IOC)が定めているIOC憲章(甲1・2号証)に明確に違反した虚偽(ウソ)の記述が掲載されているということです。
この事態に対し、必要な是正措置を講じる義務が都教委にはあることの確認を、納税者等の立場から求めるということが、本件訴訟の主たる眼目です。
虚偽(ウソ)の記述に当たるのは、例えば小学校編64(2017年版では62)ページの「世界のマナー」と題した節で「国旗と国歌」という小見出しに続き、「オリンピック・パラリンピックでは、開会式で選手たちが自国の国旗を先頭に行進します。表彰式では、優勝した選手の国の国旗をかかげ、国歌を演奏します」とし、同65ページで「表彰式の国旗けいようでは、国歌が流されます」「国歌とともに国旗がけいようされます」などと繰り返している部分です。
五輪は本来、選手個人あるいはチーム間の技の競い合いであって、国家間の競争ではないのです。
それに選手個人やチームを大会に派遣する組織の区域単位は必ずしも国家ではなくカントリーCOUNTRYとされ、ホンコン、マカオ、グァムなどの非国家区域も平等に扱われているのです。
このことは、甲5号証の用語解説「COUNTRY」において明確に指摘されています。さらに同解説では「この語を単純に『国』と訳すのは誤りで、日本語にするときは『国・地域』としなければならない」とも念押しをしています。「国・地域」は分離して用いてはならない一つの用語なのです。
従って、『五輪読本』の上記の記述は、非国家区域からの参加者たちの存在を無視あるいは軽視している点で、五輪認識に差別的な解釈を持ち込むことになるものです。
本来、差別やいじめ等に対して厳しく対処することが求められている教育行政において、教育委員会自身が差別を助長するような教材を、多額の公費を持って作成し、同教材による学習を学校現場に求めている事態が、東京都全域で2016年度から形成され現在も継続されているという事態は、民主主義社会としては到底看過し得ない極めて不当なことです。このことだけをもってしても、都教委の責任は厳しく問われるべきです。
さらに、五輪では国家単位の区域からの選手団の多くが、国旗・国歌とほぼ同じものを用いていますが、それらはあくまでも大会組織委員会から選手団の旗・歌として認められ、IOC憲章では「NOC旗・NOC歌」と表記されているもので、五輪会場では国旗・国歌ではないのです。
例えば、中華民国(台湾)が国旗でなく台湾の人々が好む梅の花をデザインした旗を用いているのも、選手団を派遣している台湾のNOCがその旗を大会組織委員会に登録したからであって、共通ルールとは異なる例外規定を特に適用したわけではありません。
また、旗のサイズは五輪規格に合わせ縦横の比率が2:3に統一されています。他方で、国旗の比率がこれと異なっている国は少なくありません。
歌(曲)にしても、旗の掲揚に合わせた秒数に長さが変更されていて、国歌とは一致していないことが多いのです。
それに仮に国旗・国歌とそっくりのものが登録で認められたとしても、それらは五輪の会場で用いられている限りは国旗・国歌ではないのです。
例えるならば、ある国の王族の中の一人が代表選手として参加した場合、五輪会場では他のいわゆる庶民・平民の選手と同等に扱われのです。
日本でも冬の国民体育大会に当時の熊本県知事だった細川護熙氏がスキー競技の熊本県代表選手として参加し、あくまでも1選手として扱われた事例があります。
仮に安倍晋三氏が国内選考を勝ち抜いて五輪にテニス選手として参加した場合、五輪会場では総理大臣としての扱いを求めることはできません。もしそのような扱いを求めたなら、それは五輪に新たな差別を持ち込むことを意味します。少なくとも学校の中では、大臣の子弟であろうと、街の商店や農家の子弟であろうと平等・公平に扱わなければならないのと同じことのはずです。
「五輪では国旗・国歌が用いられる」と教え込むことは、児童・生徒に無意識の内に差別する側の認識を植え付けることになるのです。
同『五輪読本』は、小・中・高校編が、関連する教員向けDVD教材などと併せ、1億6千万円余の公費で作成され、2016年度から東京都内の公立・私立・国立等のすべての小(4年生以上)・中・高校生に配布されました。しかも、都教委から直接の指導を受ける公立校2168校(生徒総数約66万4千人)では、同書に基づいた授業等の実施を事実上義務化されています。
こうした教育行政は、最高裁判所大法廷判決(1976年5月21日、旭川学力テスト事件)が例示した「誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を子どもに施すことを強制するようなこと」であり、それは同判決に言う憲法26条(教育を受ける権利)、13条(個人の尊重)違反の基本的人権侵害行為に該当するものであることは明らかです。
しかし、都教委はもちろん東京都監査委員もこれらの違法状況についての私たちの指摘に耳を貸すことをせず、現在に至るまで何らの是正措置も講じていません。それどころか、2016年度以降も年度の更新に合せて、新規の入進学者にこれらの『五輪読本』の配布を続けています。
こうした、違法な人権侵害行為を東京都教育委員会が現在もなお強行している事態において、直接の当事者は不当な内容の学習を受けさせられている児童・生徒とその保護者たちです。
けれども学校において、教員は成績評価権を有し児童・生徒や保護者にとっては進学・入試などの際の「調査書(内申書)」の記述内容を決定する権力者という存在です。しかも東京都の公立学校では都教委の強権的な学校運営体制作りによって、教員は学校内において自由にものが言えない状況になってきています。
そのことは、東京都の教員採用試験の応募者近年減少している事実などをもって、全国の教育関係者の間ではつとに周知のこととなっています。また都教委に対する各種の裁判、さらには様々な報道等によって、全国的に見ても突出した都教委の教員管理状況は広く知られています。こうした状況に追い込まれている東京都の公立学校教員やその背後の都教委に対して、児童・生徒や保護者が『五輪読本』による人権侵害状況の是正を求めるのには、相当の勇気と覚悟が必要となります。
また仮に児童・生徒や保護者が勇気を奮って『五輪読本』による学習強要の違法性の指摘と是正措置の要求をしても、それに正面から応じる教員・校長を今の東京の公立学校で見出すことは極めて困難です。そのことは、都教委による卒業式・入学式での「日の丸・君が代」の強制、処分の多発等から容易に想定される事柄です。
しかし、こうしたIOC憲章違反記述の副教材使用の強制や基本的人権侵害の違憲行為が公費支出と都教委という公的機関の権限行使の下で遂行され続けている状況の存在を知りながら、それらを野放しにしておくことは、主権者としての義務を放棄することになります。
成績評価権等の関係で直接の当事者が違憲・違法行為についての責任追及や是正措置等を法的に求めることが困難である場合、主権者であり納税者である一般東京都民が、直接の当事者に代わって法的措置を求めることは、日本国憲法の下の社会正義にかなっているものと、私たちは思料しています。
さらに、2020年の東京五輪には関連施設の整備等で多額の国費が投入されます。またこの『五輪読本』は東京都だけでなく、首都圏の各県教委からの要望に応じて必要数を都教委から提供されるとの方針も明らかにされています。従って、本件については首都圏の各県住民も、同様の是正措置を法的に求めることができると思料し、私たちは本件の提訴に踏み切ったのです。
最後に本日の口頭弁論の中心的話題について申し述べます。
原告側は8点の甲号証と証拠説明書を提出し、準備書面(原告1)をもって4件の求釈明を提示しています。それらについての回答をされる際、特に留意されるべき点を改めて明らかにしておきます。
それは、甲3号及び甲5号証についてです。それらは、広島市及び青森市で開催されたアジア大会の時に、広島・青森両市の教育委員会が市内の小中学生に配布した下敷きで、それらには参加選手団の旗がカラーでプリントされ、「(参加)国・地域のNOC旗」と明記されています。
五輪やアジア大会では国旗ではなくNOC旗であるということを、広島・青森の小中学生にはそのまま理解できると判断されたと読み取れます。
一方で、東京都教育委員会はなぜそのまま理解できるものとみなさず、逆に混乱させることになりかねない不正確、不適切な「国旗」という記述にしたのか。この疑問が、上記求釈明の根底にはあることを踏まえた回答を求めるものであると、ここで改めて強調しておくことといたします。
以上です
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