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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

控訴審第5回判決公判抄録(5/29)

2008年06月01日 | 板橋高校卒業式
 《 君が代強制反対に刑事罰!? 》 板橋高校「君が代」刑事裁判・不当判決
 ◎ 憲法の表現の自由は校門の前で立ちすくんでしまった


 小雨の中、何本も幟が立ち、報道陣も多数陣取り、傍聴券を求める人波が出来た霞ヶ関。東京高裁102号法廷で、「板橋高校卒業式君が代刑事弾圧事件」の判決が言い渡された。
 新憲法施行61年目の今日の司法状況を体現した無惨な有罪判決であった。卒業式前の軽微な出来事が、「君が代強制」に反対する内容だったから「刑事罰」が科せられた。つまり実質的な「思想裁判」である。高裁よ、お前もか。こんな判決、公権力以外誰が喜ぶか。
 弁護団は即日上告したが、最高裁も同じなら日本に「憲法」はいらない。「刑法」があれば十分だ。「憲法」は誰のために作られたのか。司法への不信感が募る。

「記者会見」 《撮影:平田 泉》

 ◎ 推定有罪? ~憶測で物証を否定する刑事裁判官

 判決文朗読は、約80分間にわたって行われたが、その前半45分が「事実認定」に充てられた。今回の判決は、「制止行為」という偽証をすべての判断の根拠として組み立てられた。「制止行為があってもなくても」威力業務妨害罪は成立するとした検察側主張より踏み込んでいる。検察は避けたがっていたが、教頭偽証がやはり最大の焦点だったことが明らかになり、検察官も立証仕切れなかったところを裁判官が強引に想像力で補ってしまった。

 裁判官は検察に不利な証拠、①現場でICレコーダを録音していた指導主事が「制止行為」を見ていないこと、②ICレコーダに何らやり取りが録音されていないことを、各々①他のことに気を取られていたに違いない、②教頭が「小さい声で言った」と証言しているから録音されなかったに違いない、と想像力をたくましくして葬り去ってしまった。刑事裁判で物的証拠よりも推測や解釈を優先させるのはありなのか。
 教頭が控え室から会場までかけつけた距離や時間などを詳細に検証して見せていたが、要所に検察側証言を採用した自作自演にすぎず、所詮は状況証拠でしかない。
 何人もの目撃証言に対しては、弁護側証人は「制止行為はなかった」こと以外は細部に食い違いがあるから不自然であり、検察側証言は細部まで一致しているから信用できると決めつけた。しかし細部まで一致する方が不自然なのではないか。口裏を合わせたとは考えないのか。検察側証言の中にもICレコーダ録音者による「見ていない」という明確な証言もあるというのに。

 ◎ 構成要件該当性 ~校長の意に反するから「威力」

 藤田さんが呼びかけを行ったのは、保護者しかいない開式前の待機時間であった。それでも校長作成の『実施要領』に、「国歌斉唱の際、生徒、教職員、来賓、保護者にも起立を求める」とあるから、保護者への呼びかけはやってはいけなかったのである。また待機時間は「卒業式の開式を待つ『厳粛な時間』」であるから、まして校長が容認できない行動(呼びかけ・抗議・怒号)は、「威力」に当たるという。
 現実には談笑や挨拶や出入り自由でざわついている「開式前の時間」が、「厳粛な時間」と表現されることで「威力」が成立してしまった。裁判官の好みや主観でで作り上げられた虚像としか言いようがない。

 ◎ 違法性阻却 ~校長は保護者に起立斉唱を命じられるか?

 藤田さんの呼びかけは、保護者の権利を都教委・校長らの侵害行為から守ろうとする正当な行為であった。
 それを裁判所は、保護者が起立・斉唱することは都教委・校長から「法的にも事実上も」強制される関係にないから侵害行為はありえないとした。だから表現行為に正当性はないとする。
 しかし、校長が作成した『実施要領』に「保護者にも起立を求める」と明記されていることは前段で裁判所自身が引用しているのであり、明らかに矛盾している。
 『実施要領』に強制力があるなら保護者は起立・斉唱を「法的にも事実上も」強制されているのであり、もし『実施要領』に強制力がないのなら藤田さんの行為に何の違法性もないことになるのではないか。

 ◎ 憲法21条違反 ~裁判所は校長の権利の方を守る

 表現の自由は、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限に服することもある。その根拠として校長が起立斉唱を求めたことは『学習指導要領』の定めに従った職責であったと、延々『学習指導要領』を引用朗読していた。しかし、そもそも『学習指導要領』とは生徒を対象としたものであって、「保護者」を対象に含まないことは誰でも知っていることだろう。裁判官は知らないのか?
 今問題となっているのは、起立・斉唱を求められる「保護者」への呼びかけが違法かどうかなのに、法的根拠として『学習指導要領』を持ち出すのは、ピントがずれているか、意図的な争点ずらしとしか言いようがない。
 何でも都合の良い材料(この間公権力が常時使い回ししている決まり文句)をつぎはぎして、政治的結論に導こうとしている魂胆が見え透いている。

 ◎ 閉廷後に傍聴席から抗議の嵐

 「控訴棄却」の一言で済むところを、延々80分間の朗読は何のつもりだったのだろう。丁寧な説明?お説教? しかし、朗読の途中でおかしなところでは傍聴席がざわつき、廷吏が何度も立ち上がってにらみを利かす場面が相次いだ。傍聴人・市民を納得させる判決文と思っているのか。それとも傍聴人・市民の方が日本の憲法に無知なのか。
 閉廷後、先に傍聴人が退場するのがこの法廷のルールだ。ところが今回は誰一人席を立たない。
 「国策裁判」「暗黒裁判」「思想弾圧」「うそつき」「権力の犬」「開式前にビラを配って何が悪い」「これじゃ憲法はいらない」「裁判長は憲法を勉強し直せ」「そんなに出世がしたいのか」「恥ずかしくないのか」…
 弁護士が止めなければ、やりきれない抗議の声はいつまでも続いたろう。

 ▲ 何が何でも有罪に、との執念を見た ~そして1つの冤罪が

 80分間は、終わってみると、同じフレーズの繰り返しが多く、中味の薄いものだった。「卒業式の開式を待つ厳粛な時間」「校長にとって容認できない」「卒業式を円滑に執り行う校長の職責」…それらは公権力の行為を「権利」と強弁しつつ、藤田さんや保護者・生徒の「権利」には一言も触れない、行政の立場に立つ言葉ばかりだった。

 保護者へのコピー配布・呼びかけ行為は、外形的に「威力」にあたるものではない。内容的に「反社会的・違法」なものも含まれていない。「被害」は軽微で管理職以外に被害と受け止めた者は無く、卒業式本体は感動的に行われたし、卒業生自身の着席行動が藤田さんの訴えの公共性・社会性を立証している。
 それが簡単に言えば「校長の意に反する内容で、予期せぬ対応を余儀なくされた」から、という公権力サイドの迷惑論だけで、犯罪とされてしまった。
 これは、実質的に「表現内容」を裁いているのだ。もし「日の丸・君が代」に関わる内容でなければ、穏やかな「表現行為」も開式2分間遅れても別に騒ぎにもならなかったろう。(退場時の抗議行為は、「表現」が正当なら当然「正当防衛」になるが、裁判所は「表現」が違法だから「自ら招いたもの」と断罪した)

 検察官は、5回の公判を通して、1回も発言することはなかった。代わりに裁判長が、ことごとく弁護側主張に反論してくれるのだから、こんな楽な仕事はない。裁判長も検察官も、公権力の側であって、国民の権利を「憲法の名において」否定する役割であることがよく分かった気がする。
 こうしてまた1つ、裁判所によって「冤罪」を作られようとしている。

 裁判長も、検察官も、見て見ぬふりをしている。
 良心をかけて戦後民主憲法の精神を守り抜こうと叫び声を上げている人々がいることを。
 一部の勢力が公権力を私して、全体主義・軍国主義・個性否定の戦前回帰を目論んで着々と歩みを進めていることを。


 せめて最高裁は、冷静さを取り戻して、「憲法の番人」として、「憲法」にこそ忠実に、創作された「制止行為の事実」を検証することを望みたい。それがなければ高裁の論理はほとんど崩れるだろうから。私たちが「憲法」に誇りを持てる上告審であって欲しい。

 ところで、「判決文全文」が、被告・弁護団の手に渡るのに2~3週間かかるという。読み上げ終わったものを出すのに、なぜそんなに時間がかかるのかな?

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