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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

群馬の森追悼碑裁判の高裁判決と第二小法廷「決定」は欠陥品

2022年06月20日 | 平和憲法
 ◆ 高崎市朝鮮人労働者追悼碑問題の最高裁判決(決定)に欠陥あり!
   皆さま     高嶋伸欣です


 本日(17日)の各紙朝刊で高崎市朝鮮人労働者追悼碑問題についての最高裁第2小法廷判決(決定)が16日に出されたと、伝えられています。そこでは、「『強制連行』という言葉を用いるのは政治的であって中立的であるべき公立公園内の設置拒否は妥当」とする旨の判断が示されたとあります。これには驚きあきれています。
 *こと経過については下の『上毛新聞』記事をURLから参照して下さい

 1 「強制連行」記述は4月から使用の教科書でも従来通りに維持されている!今さら”政治的言辞”などとは恥ずかしい。
 なにしろ、「強制連行」や「従軍慰安婦」などの歴史用語を教科書から排除させようとした昨年4月以来の一連の策動は失敗に終わっていることが、現在では明らかであるなのです。
 それらの策動は、「新しい歴史教科書をつくる会」『産経新聞』さらには萩生田文科大臣(当時)、「日本維新の会」の馬場幹事長などが連携して展開したものでした。
 多くのマスコミ報道では、教科書執筆者の側が押しまくられたかのように印象付けられているのも事実です。けれども策動の目的は果たせていないのです。
 その証拠に、この4月から全国で使用されている第一学習社版『高等学校歴史総合』の152pには本文と脚注に「強制連行」の語が、学術的・専門的とされる検定に合格して、従来通りに記載されているのです(添付資料参照)。
 2 群馬県庁は右派勢力の主張そのままに「強制連行」を政治的言辞とした!

 一方で、高崎市の県立公園内にある「追悼碑」設置の許可年限10年目に当たる2014年に合せて歴史修正主義の右派組織や『産経新聞』などが騒ぎ立て、設置許可の更新に反対する運動を展開しました。
 彼らが理由にあげたのが、碑を設置した市民グループなどによる追悼行事で「『強制連行』の事実を訴えたい」などと発言したのは政治的行為で設置許可条件に反する、ということでした。
 こうした右派の働きかけを受け、群馬県は「強制連行」という発言などを根拠に、設置許可を更新しない方針を2014年7月に表明します。
 これに対して、市民団体が同年11月に起こしたのが今回の裁判でした。
 18年2月の前橋地裁判決は、県側は不適切な根拠による職権濫用をしたとして市民側(原告)勝訴
 21年8月の東京高裁判決は「追悼式で『強制連行』という文言を含む政治的発言があり、追悼碑は中立的な性格を失った」などとして、県側が勝訴
 この高裁判決を不服とした市民グループの上告に対し、最高裁第二小法廷上告棄却(高裁判決に違法性はないとして、同判決を是認)にしたのが昨日16日の「決定」です。
 3 裁判所自身が中立公平ではなく極めて政治的な判断をした!

 この「決定」で右派グループの”言葉狩り”は成功したかのように見えます。
 けれども、上記のように安倍・菅政権下で図に乗って教科書からの「強制連行」「従軍慰安婦」記述排除をたくらんだ上記の『産経新聞』などのグループは、目的達成に見事に失敗しているのが現在の状況です。
 その証拠に、『産経新聞』自体が「教科書に『従軍慰安婦』残る」という”敗北宣言”記事を掲載しています(添付資料参照)。
 「強制連行」「従軍慰安婦」等の”言葉狩り”の攻防は、昨年秋の段階で右派の挫折で決着はついているのに、第二小法廷の裁判官たちは気づいていないのです。『産経』を読んでいないのでしょうか。
 以上のことから得られる一つの結論つぎの通りです。

 「強制連行」という言葉を用いたことをもって”政治的言動とみなす”ということを高裁や最高裁の一部が認めたとしても、それよりも広汎な組織や人々の議論・検証を経ている教科書記載とそれに基づく教育の場の教員・生徒などからは認証を得ることは、到底不可能なレベルの判断を表明したに過ぎない。
4 もう一つの欠陥=本件の高裁判決と「決定」は、先行判決書で「強制連行」の言辞を用いていることとの齟齬について言及していない!
 なお、この「決定」にはもう一つの欠陥があります。

 それは、最高裁第一小法廷が「徴用され、朝鮮半島の各居住地から広島まで連行され」た元徴用工への被爆者援護に関する裁判の判決文の冒頭部分で「朝鮮半島から広島市に強制連行され」と明記している事実が確認されているといいうことに由来します。
 2007年11月1日付の判決文です(添付資料参照)。

 前出のように「強制連行」を政治的言辞とみなした高裁判決は、2018年2月です。高裁の3人の裁判官が、最高裁の判例の検証を怠ったのでなければ、あのような逆転判決は出せなかったはずです。
 加えて、今回の第二小法廷の「決定」は高裁判決とこの第一小法廷判決との齟齬を是正する措置を講じる必要があったはずであるのに、そのことに気付いた気配がまるでありません。
 最高裁では小法廷の5人の裁判官とは別途に「調査官」が関連の事案・判例などについて様々な調査をすることになっています。今回の場合、「調査官」も手抜きをしたのではないかと疑われます。
 ともあれ、この点でも本件の高裁判決と第二小法廷「決定」は欠陥品ではないかと思われます。
 裁判官の中には、権力者中心の風向きには敏感でも、その権力者の退場で”正義”がしぶとく復活しつつある状況については鈍感であるケースが少なくないという、のが様々な市民訴訟に関わってきた私の印象です。
 以上 高嶋の私見と関連資料などです ご参考までに 転送・拡散は自由です


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