☆ いま、プロレタリア文学を(週刊新社会:沈思実行(208))
鎌田 慧
本誌に連載されていた、大崎哲人さんのプロレタリア文学紹介の記事が一冊にまとめられた。
「プロレタリア文学への道」(論創社)である。葉山嘉樹や黒島伝治、私の好きな作家たちが登場する。
最近は労働運動の停滞から、労働や職場をテーマにした作品が鳴りを潜めている。寂しい限りだ。現実社会の大きな部分、それももっと矛盾の激しい局面からの表現が、失われていることになる。
大崎さんの著書に登場する。長野兼一郎(「本名・相良万吉」)は、まったく未知の作家だが、強烈な印象を受けた。
友人のフランス文学者・市原豊太に宛てた手紙がある。
「もう歩く気力もなくなりました。このまま静かに餓死したいと存じます。愚かな乞食など放っておけ。ほんとに生前の御友情を感謝します。君が朗らかな顔、それは私にとって、大きな幸福でありました」
旧制一高でドイツ語を学んで翻訳したり、プロレタリア文学の雑誌「文芸戦線」の編集などをしていた。
アジア太平洋戦争に召集され、「満州」、フィリピン、ジャワ、ラバウルなどを転戦、肺結核とマラリアを患って本土に召還され、陸軍病院に入院していた。
戦後、ペンキ塗りの仕事をしていた時に、突風を受けて地上に転落、踵(かかと)の骨を砕いて失職。乞食となって子育ての境遇となる。
乞食なれば砂も頂く南風
北風吹けば南に坐われ父が楯
都心の路肩に坐って、「身の上書」を書き、置いてあった。
「或る時或る日その暮らしの足砕けてつひに路傍の人間屑おゆるし下さい。伏して一片の餌乞はんのみ。一老兵」
そういえば、戦後、松葉杖に頼(よ)った傷病兵が道端に立っていた風景を思い出した。相良万吉は自殺をなんどか試みた挙句、60年2月、61歳で死亡した。
「人間が人間らしく生きていく条件を保障できない社会で起きる死は、『社会的殺人』といっていいのではないか」と著者は書いている。
いま、都心の路上に寝ている人や公園で食料をもらう人たちがふえている。貧困化が進んでいる。
『週刊新社会 第1369号』(2024年9月4日)
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