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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

都教委はこうして実教出版『高校日本史A』の採択妨害に踏み切った

2012年07月25日 | 暴走する都教委
 ★ <第4報>都教委の『日本史A』採択干渉問題 = 経過の整理
 皆さま     高嶋伸欣です
 都教委による実教版『日本史A』採択干渉問題についての経過説明が後回しになってしまいましたが、現在までに分かっているところで、以下のように整理してみました。
 詳しく説明するために、かなりの長さになります。ご容赦下さい。

 1.そもそもの発端は、3月27日に公表された2013年度の1年生用高校教科書検定結果に対する、28日の『産経新聞』朝刊の、「不適切記述パス 基準疑問」という見出しの記事です。
 社説ではなく、執筆者の記者名も無い記事であるのに、一方的な報道姿勢であることが、見出しに鮮明に示されていて、いかにも『産経』ならではの意図的な記事でした。
 2.記事本文では、「国旗・国歌」と「米軍基地」に関する記述に不適切なものがあるとし、特に「国旗・国歌」の部分では、冒頭から「実教出版の日本史Aは」と名指ししてこの部分の記事全てを同教科書批判に当てています。
  記事では、同書が検定本(白表紙本)で、<国旗国歌法について「政府はこの法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし、そうなっていない」と記述したが、「国民に強制されていると誤解する恐れがある」と検定意見が付き、「しかし」以下を「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と修正して合格した>と事実を明らかにした上で、「『強制』という表現自体、不適切だ」という教育評論家・石井昌浩氏のコメントを、付けています。
 3.『産経』のこの記述批判へのこだわり様は、異常でした。2日後の3月30日の同紙「主張(社説に相当)」では、「『強制』の記述は不適切だ」との見出しの下で、「教科書がこんな記述では生徒に正しい指導などできない」と決め付けました。もちろん、ここでも、「実教出版の日本史Aでは」と、名指しでです。
 4.こうした『産経』の報道から10日ほど後の4月10日、自民党政調会の文部科学部会と同党教科書議連の合同会議に、文科省の検定担当者たちが呼ばれ、この件を含め、今回の教科書検定結果について激しく批判されます
 5.その時の厳しい様子は、その場に同席していた「日本政策研究センター(日本会議 系のシンクタンク?)」の岡田邦宏所長(センター長?)が、同センターの機関誌『明日への選択』5月号に掲載した、「高校教科書は一体どこの国の教科書なのか」と題する一文から、読み取れます。
  また、同様にその場に出席していた「日本教育再生機構」のメンバーから得た様子を、同機構の八木秀次・伊藤隆両氏が機関紙『教育再生』5月号から3回の連載「史上最悪の高校教科書検定を検証する」で、詳しく明らかにしています。
 6.それらによると、文科省の担当者たちは、安倍晋三・元首相に、自分の国会答弁と違う内容の記述をなぜ認めたのかと責められ、それに便乗した義家弘介議員に「文科省の検定は、首相の国会答弁や政府見解よりも重いのか? おどろくよ、もう本当に」と、罵倒されています。
  ここでも、集中的に名指しで批判されているのは、実教版『日本史A』です。

 7.でも、彼らの主張は、支離滅裂です。
  伊藤隆氏も、「政府見解に反する教科書を文科省が検定で通していいわけがない」と明言している(『教育再生』6月号)のですが、それなら『日本史A』の記述は政府見解に立脚しているのですから、批判ではなく「よく書いた」と推奨すべきです。
  八木秀次氏も「地理の教科書では、台湾が地図上で中国領の一部とされ」ているのが不当だとしています(『教育再生』7月号)。日本政府が、1972年以後にペキン政府の方針に合わせて、「2つの中国」扱いの教科書記述を検定では厳重に禁止してきていることが、教科書関係者の間では常識中の常識です。そのことを、今さら騒ぐお粗末さ!
  それに、これこそ政府見解通りの検定なのに、それを不当とするのはどうして?
  八木氏は政治史の研究家ということになっているようですが、この程度の政府見解も知らないとは? という具合です。
 8.それでも都教委は、こうした保守派の言いがかり同然の批判に同調して、「あの『産経』の記事のこと、分かっているでしょうね!」「読んでいますね?」などという電話を、今年度の授業で現行の実教『日本史A(正しくは「高校日本史A」)』を使用している高校の校長に掛けるという形で、同書の採択妨害に踏み切ったのです。
 9.その手順は、こうです。
  各社からの見本本が高校に届き始めた5~6月ごろ、校長全員が出席する「校長連絡会」の前の「幹事会」で高校指導課側が、「教科書採択は公正にやるように」といいつつ、「情報紹介」と称して3月28日の『産経』の記事に、言及したのだそうです。
  これで、大部分の出席者たちには、都教委の意図が読めたはずです。

 10.ただし、ことは簡単には都教委の思惑通りには進みません。
  都立高校ではかつて教科書採択の公正さが議論になった時に、校内に「教科書選定委員会」(校長、副校長教務主任他)の設置と、同委員会への各教科からの「調査票(なぜこの教科書にしたかの理由付きで採択希望教科書名を記したもの)」の提出に基づく決定とが、規則で定められているのです。
  この「調査票」によって「選定委員会」が決定したものが「選定理由書」にまとめられ、校長の名で都教委に届けられ、それを都教委が承認する形で最終決定にします。
  このシステムの途中で、校長が都教委の意向に合わせて、教科会が選んだのとは別の教科書に変更したら、大問題になるのは、いくら弱腰の校長でも予想できることです。
 11.当然、都教委からの電話でも、煮え切らない姿勢の校長は少なくないはずです。だからこそ、都教委は執拗に、何度も電話を掛けているのではないでしょうか。
 12.それにしても、都教委はなぜこれ程に実教の『高校日本史A』を嫌うのでしょうか?
 理由の(1) それは、何といっても「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という記述が、読みようによっては、東京都のことだと授業で扱えるからです。
  『産経』が問題にした「強制」の記述にしても、文科省側は「権限のある者が職務命令をもって命ずるということを『強制』と表現することは誤りとは言えない」と説明しています(『産経』3・28紙面)。
  これでは、ますます東京都のことを言っているのだということになります。

 13.理由(2) 都教委は「日の丸・君が代」の強制で、最高裁判所から処分の行過ぎを諌められたことで、面子をつぶされたという思いがあります。この上、高校の授業で、そうしたことを堂々と扱える記述の教科書が教室に持ち込まれたのでは、儀式以前に授業で生徒たちに「強制」にたいする免疫力を持たれてしまい、教師に対する締め付けの効果も半減しかねません
 14.何しろ、東京の高校教員は、検定はこんなにひどいのだという授業を、具体例を示してやってのけ、それが全国教研(盛岡)で発表されるや、新聞・テレビで広く紹介されるという事態を作り出した実例があるのです(1982年度)。
  この時、文部省は「教科書を何と思っているのだ」と大いに憤慨したのですが、都教委を経由して、その教員の勤務校の校長に「事実確認のため」という名目の電話をするのが、精一杯だったのです。
  その電話を受けた校長は、当たり障りのない返事をしただけで、当の教員にその電話があったことをはなしたのも、数ヵ月後の校内での立ち話でだった、と後日に当事者から聞きました。
  こうした、教育現場の主体性を守ろうという取り組みの中から、教科書問題自体を教科書に書き込むことは、当然なのだという機運が執筆者や教科書会社の間に広がり、それが「日の丸・君が代」問題にも及んだものとして、実教版『日本史A』のこの記述になったのだともいえます。
  それだけに、都教委の今回の不当な行為は見過ごせません。

 15.理由(3) 石原都政が教育について「破壊的教育改革」を打ち出し、「教育再生・円卓会議」などで、露骨に「愛国心」強調・日本の加害責任否定の方向付けを始めています。
  失点続きの教育委員会としては、『日本史A』の採択校を減らしたという数字で、その路線に合致した「実績」を挙げたいというあせりもありそうです。
  長くなりましたが、以上がとりあえずの経過報告(あくまでも、文責・高嶋の範囲内ですが)です。
  一部、省略したこともありますが、それらについては今後の取り組みとについての話の中で触れるつもりです。
                           以上。転載は自由です
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