☆ 闇を照らすジャーナリスト~東海林智さんの講演を聴いて (レイバーネット日本)
堀切さとみ
8月10日、さいたま市で市民ジャーナリズム講座が行われ、毎日新聞の東海林智さんの講演を聴いた。
「ジャーナリズムの役割は、闇を照らすこと。広報ではない」と東海林さんはいう。先日、レイバー映画祭で観た『燃え上がる女性記者たち』と同じで嬉しくなる。
今や新聞社内でも「ジャーナリズム」と言えば「何を青臭いことを」とはね返される時代。こんなことを本気で考える人は、数えるほどしかいなくなってしまった。
東海林さんのジャーナリズム魂は、どこから来ているのだろう。
入社してまもない頃、埼玉で連続幼女誘拐殺人事件が起きた。上司から「被害者の母親から手記をとってこい。他には何もやらなくていい」と言われ、東海林さんは絶望的な気持ちで被害者の家に向かう。現場には、同じように絶望的な顔をした新人記者がたくさんいた。
テレビ局が容赦なくインターホンを押す。新聞記者たちも上司に報告しなくてはいけないからインターホンを押す。人としてどうなのかと思う。
家からは誰も出てこない。数日後には記者たちは皆あきらめて、東海林さんだけが残った。デスクは喜んだ。「うちの圧勝じゃないか!」
結局、気の弱い東海林さんは、一度もインターホンを押せなかった。そんな彼のもとに母親から手記が届く。それは小躍りしたくなるような出来事だ。でも東海林さんは心から喜ぶことができなかった。子を亡くした親を集団で押しかけるメディアという仕事が、つくづくイヤになった。
母親の手記は反響を呼んだ。哀しみの底にある母親と社会をつなぐ役割を果たした。だからといって、それが闇を照らすということではないと東海林さんはいう。
そして、当事者と一緒に歩く記者になった。いつも現場にいる熱い人。年越し派遣村では自ら実行委になって活動した。
最新刊『ルポ低賃金』はどの章を読んでも泣けてくる。
取材した30年、労働の現場は大きく変わった。まっとうに働き普通に暮らしたいだけなのに、結婚や子供を持つことさえ夢のまた夢になった。世間も親も「自己責任」「仕事を選ぶからだ」と突き放す。彼らは国の誤った政策の犠牲者なのに。本当に照らすべき闇はこれではないか。
つくづく、辞めないでくれてよかったと思う。
東海林さんの話を聞きながら、自分の給食調理員として働いてきた自分のことを重ねてみた。「こんな仕事、辞めてやりたい」「向いてない」と何度考えたかわからない。社会的に意味がある仕事と言われても、現実はそんなことないよと。
それでも30年やっていれば、この仕事によって今の自分があることを痛感する。失敗したことも理不尽な目にあったことも数知れないが、教えてもらって庇ってもらえて、自分なりに考え、悩む時間があった。当然、得たことを還元したいという気持ちにもなる。それはまだ幸せなことだったと言えるのだろう。
非正規、雇止め、使い捨て。どんなに経験を積んでも、それを後輩に伝えたくても、それができないシステム。働く喜びや誇り。それどころか、食べることさえ叶わない社会になった。
労働力は商品なのだ。必要な時に買われて、いらなくなったら捨てられる。そんなことをされたら、人は生きていけない。
嬉しいことに今、若い世代から、ストや労働組合へのマイナスイメージが消えているという。西武そごうのストライキには、共感する声の方が圧倒的に多かった。東海林さんは、闘う当事者のみならず、その周りにいる人たちのことも丹念に映し出す。
萌芽は確実にあるのだと思う。一人でも声をあげる人がいたら、つながること。バラバラにならず、力を合わせること。
東海林さんの話を聞いて、それを待ち望む人たちが、たくさんいることに気づかされた。
『レイバーネット日本』(2024-08-14)
http://www.labornetjp.org/news/2024/0810kouza
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