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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

⑯【2024.7.21「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会資料】(16/16)小寺

2024年08月18日 | 「日の丸・君が代」強制反対

【報告】大学と学術を軍事に動員する動きを許してはならない

小寺隆幸(軍学共同反対連絡会事務局長・明治学院大学国際平和研究所研究員)

 ★ はじめに 卒業式での生徒の姿から

誰に指示されたわけでもなく一人ひとりが判断した子どもたち
⇔自分で熟慮し判断しうる子どもを育てる教育ではなく、国や企業の定めた枠組みの中で「主体的」に行動する人材の育成を狙っている

 1 新自由主義的教育改革を推し進める教育DX(デジタル・トランスフォーメーション)

 今、学校では「個別最適な学びと協働の学び」が提起されている。だがAIに向き合う「個別最適な学び」とは何か?それに接ぎ木される「協働」の狙いは?

 「本当の学びとは、試行錯誤し、行きつ戻りつしつつ、仲間と共同で学びあうことである。
 孤立し、AIに指示された通りにおこなう受け身の学びを『個別最適』と言いうるのは、子どもを操作対象とし、決まったゴールへ効率よく送り込む立場だからである。
 中西新太郎は、『いまできそうなこと』を与え続けることで、『できないこと』を巡る多面的な問いを排除し、やればできると常にポジティブにさせると指摘する。そして『最適』なプログラムでもできないのは自己責任だと思い込ませる。

 小泉政権から始まる日本の新自由主義政策により非正規雇用は2020年に37%にまで増え、格差の拡大をもたらした。その状況に置かれた若者たちに、それでもポジティブに生きろ、競争に負けたのは自分の責任だという態度を植え付けることが新自由主義には必須なのである。
 学習指導要領に『学びに向かう力・人間性等』が書きこまれたのもその表れである。」小寺隆幸「新自由主義教育改革としての教育DX~共同の学びを創り実践的に克服を」(『歴史地理教育』2024年8月号所収)

 「協働では、多様な他者との間にある差異とそこから生じる緊張や葛藤はあいまいにされ、一緒にカを合わせることにもっぱら重点が置かれ、その結果、『協働』は社会のルールや規範意識の遵守の方向へと流し込まれる。」(池谷壽夫7月14日奈良教育大学附属小問題を考える集いでの講演から)

 2 大学の法人化が何をもたらしたか

 新自由主義の統制システム:入口での規制緩和、民間の参入促進、競争、結果を出口で管理する。
 2004年国公私立大学の認証評価制度導入、国立大学法人化。競争的環境の中で一層の自己統制とガバナンス改革を求める。
 基盤的運営費削減。研究費枯渇。外部委員の運営への介入。稼げる大学へ。

 6年ごとに中期目標・計画を策定し文科省の認可を得、その達成状況を評価し資金配分に反映させるシステムが作られた。その結果、大学は目先の成果を追い求め、基礎研究予算を削らざるをえなくなり、研究力低下がもたらされた。

 自然科学系の高注目度論文数
  2000年4位 米・英・独・日
 ⇒2020年13位 中・米・英・独・伊・印・豪・加・仏・韓・スペイン・イラン・日。

 さらに23年12月、国立大学法改定、東大、京大、東北大、阪大、東海国立大学機構(名大・岐阜大)を「特定国立大学法人」に指定。学外有識者を委員と学長で構成する「運営方針会議」設置義務化。中期計画、予算・決算、運営、学長の選考や解任に意見できる。委員は文科相の承認を得て学長が任命。
 外部【産業界】の介入強化。希望すれば対象校以外も設置可能なので、予算獲得のために他大学にも広がりかねない。そして軍事研究をしないという申し合わせも外部委員から撤廃を迫られ、稼ぐために防衛省の研究を受け入れうとされかねない。大学の自治、研究の自由と独立性を根底的に破壊する。

 3 学術会議攻撃の背景としての学術の軍事動員

 直接の発端は2020年10月の菅首相による6名の任命拒否だった。「学問の自由を侵害する暴挙」であるだけでなく「政府見解を国会審議もせず覆すという恣意的な法の解釈」「人事で政治をねじ曲げる」という民主主義への攻撃。
 保阪正康「理由も述べないパージが許されればファシズムが日常化する。」

 政府・自民党は学術会議の在り方論に問題をすり替えたが、本来の狙いを前面化することでもあった。
 11月、下村博文自民党政調会長(当時)は「防衛省の研究を一切認めないのは極端だ。行政機関から外れるべきだ」と語り、12月に自民党プロジェクトチームは学術会議の独立法人化を提起した。
 政府は22年12月に現状のまま会員選考に政府の介入を組み込む方針を決めたが、23年4月の学術会議総会は全員一致で反対し、法的根拠のある「勧告」を出したことで岸田政権は「法人化」へ踏み出した。
 その背景には「研究開発成果の安全保障分野での積極的な活用のため」に「アカデミアを含む最先端の研究者の参画促進」を掲げた22年12月の「国家安全保障戦略」がある。
 敵基地攻撃ミサイルや無人兵器などの新兵器開発を進める上で、多くの科学者の動員が欠かせず、そのために学術会議は軍事研究反対どころか、参画促進に動くべきだというのである。

 戦後長い間、日本社会は「戦争を目的とする科学の研究は絶対に行なわない」とした1950年学術会議声明を支持し、大学も軍事研究をしないという理念を掲げてきた。そこで軍事化を進める政府は、武器の研究・開発を防衛省の研究所と軍事産業に担わせてきた。
 しかしロボットやAIなど新たな科学・技術が日進月歩で進む今、最先端の研究に携わる大学などの研究者を軍事研究に動員することが欠かせないと考えた安倍政権は、デュアルユース(軍民両用技術)研究を大学などに担わせ、開発された技術を軍事利用することを狙って2015年に安全保障技術研究推進制度をスタートさせた。
 これに抗し学術会議は2017年声明を発した。

 それは軍事研究を拒否するという1950年および67年声明を継承するとともに、軍との緊張関係を自覚し、この制度は研究の自律性や公開性が侵される懼れが強いと警告した。学術会議は大学に指示はできないが、真摯に受け止めた多くの大学が応募していない。
 応募大学数は2015年58件と多かったが、17年声明後は毎年9~12件に激減した。だからこそ自民党は学術会議への敵意を募らせてきた。
 23年12月22日の産経新聞は、学術会議が法人化されても「今の軍事忌避の体質のままでは、国費の投入は到底受け入れられない。ナショナルアカデミーとして存続したいなら、過去の間違った言動の反省と声明の撤回は最低限必要だ」と書いている。
 これが軍拡派の本音であり、このため、独立を尊重すると言いつつ次の3つの縛りが内閣府決定に組み込まれている。

①会員選考の自律性・独立性の侵害

 独立性の根本は会員選考にある。しかし新たに「外部の有識者による選考助言委員会にあらかじめ意見を聴く」仕組みを設ける。しかも新たな学術会議の最初の会員選考は特別の選考委員会で行う。最初の会員に政府や産業界の意に沿う人を大量に送り込み、一気に変える狙いは明らか。

②運営への3重の介入

 外部委員が過半数を占める運営助言委員会の意見を聴く、主務大臣が任命した監事が監査する、主務大臣が任命する外部有識者による評価委員会が中期計画の策定と評価に関わる、の3つを新設。国立大学法人化同様、政府や産業界からの規制や介入を可能にする仕組み。

③財政面からのコントロール

 現在、学術会議の予算は年10億円弱で、大半が事務局職員人件費にあてられ、会員の旅費さえ十分まかなえず手弁当で活動している。
 欧米の政府支出に比べて格段に少ない。例えば英国王立協会では2020年の国からの公的資金は170億円だった。今後「法人化」した場合、内閣府方針は「財政基盤の多様化に努め、その上で必要な財政的支援を行う」としており、現在の10億円さえ維持するとは言っていない。この多様化の柱は、政府や産業界から審議の対価を徴収すること。学術会議は政府や企業のためのシンクタンク機能を果たし、資金を稼げというのである。そのためには時の政権や企業の問題意識に沿った提言が求められる。
 しかし学術は特定の政権・政策や企業活動に資するためのものではない。学術はすべての人々に価値がある最も公共性の高いものだからこそ、時の政権の思惑に左右されないように国費で賄うことを現行法のように書きこむべきである。

 4 市民社会にとって独立した学術会議がなぜ重要か

 政府は今、憲法23条「学問の自由」を保証するために独立した国家機関と定めた日本学術会議法を改悪し、政府が介入できる法人に学術会議を変えようとしている。早ければ秋の国会に学術会議改革法案を上程する。しかしこの問題への市民の関心は高くない。学者の世界の問題と考えているからか?

 だが最先端の科学・技術が市民生活に直結する今だからこそ、これは私たち市民の問題でもある。
 例えば有識者懇談会で内閣府笹川室長は「福島の処理水について国際機関も安全だと言っているのになぜ学術会議はきちんと発信しないのか」「学術会議は国民や社会が直面する課題に対応していない」と批判した。
 IAEAが「科学的」に認めたことを学術会議も認めよというのである。だが原子力発電を推進する機関であるIAEAの見解が本当に「科学的」なのかも含め、独立の立場で学術的に厳密な議論をすることこそが学術会議の役割である。IAEA見解を押し付けること自体が学術への政治的介入に他ならない。

 そもそも学術会議は、今社会にとって大きな問題となっている高レベル放射性廃棄物の処分について2012年に、原子力推進派の学者も含めた徹底的な議論を通して、200年程度地上保管することが適切だとした回答を出している。
 今行われているのは巨費で釣って過疎の村に強引に押し付けることであり、分断をもたらすとともに科学的にも極めて危うい。
 しかし政府は学術会議の回答は無視し、目先の利益しか考えない。

 一方ドイツ政府は、倫理委員会が熟議の末出した原発から撤退するという結論を尊重して、現に撤退した。
 もちろん政府は科学的助言を踏まえつつ、様々な要因に基づき意思決定するので、科学的判断と政策が異なることもある。
 しかしその場合も「政府は決定が科学的助言と一致しない場合は、そのようにした証拠を示し公に説明すべきである」(英国政府科学局)が、日本ではなされない。

 またこの間露わになっているのは、戦争を行なうために過去の加害の記憶を抹消する動きである。群馬の慰霊碑破壊、3社もの歴史修正主義教科書の登場などもその一環である。日本では歴史学者が客観的証拠をいくら積み上げても、政府は、関東大震災でも南京でも慰安婦問題でも資料がないと居直っている。
 一方ベルギーでは、植民地統治時代の事実の検証を学術界に依頼し、その分厚い報告を受け止めた政府が旧植民地国に謝罪している。
 徴用工裁判における韓国大法院の判決も、日韓条約が日本の植民地統治自体を不問に付したことを問うものだが、日本は植民地支配の責任を認めようとしない。

 さらにゲノム編集、AI利用など、最先端の科学・技術をどのように受容するのかも問われている。
 政府や産業界は新たな産業を興しイノベーションにつなげるという視点で考えているが、市民社会にとっては、その有用性と共に危険性も直視し、それが人間と社会のあり方をどう変えるのかについて人文・社会科学の視点も含めて批判的に考察し、その議論の過程を社会に開くことで市民的合意を一歩一歩作り出すことこそが必要なのである。
 それを担う組織は、政府からも産業界からも独立した学術会議を措いて他にない。学術会議が、学者の良識を代表し、独立性を保ち、政府に対する勧告権を持つ倫理的な機関として存続しうるか否かは、市民社会にとっても切実な問題なのである。

 

【7月27日、シンポ「日本学術会議の法人化は社会と学術をどう変えるのか」が早大で開催される。梶田前会長らが講演。オンラインでもご覧になれます。https://www.youtube.com/watch?v=Be5kyC-ekHs 軍学共同反対連絡会ニュースに毎月の情報を記しています。http://no-military-research.jp/参照】

 

 


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