『東京新聞』シリーズ【変えたい選挙制度 -中- 選挙運動】
● 80年変わらぬ規制
国連苦言、ネットもダメ
国会議事堂を仰ぎ見て、NPO代表の原田謙介さん(二六)はため息をついた。「政治はこれ以上、有権者にアプローチしたくないってことなんですか」
原田さんら二十代の有志は今年五月、選挙運動にプログやメールを使えるよう公職選挙法の改正を求める運動「ワンボイスキャンペーン」を始めた。
若者と政治の距離を縮めるにはネットを接点とすることが不可欠と考えたからだ。
全国会議員にアンケートで賛否を問い、超党派議員との討論で審議入りを迫った。しかし、七百人以上いる議員のうち回答したのは十分の一以下の七十人ほどだった。
現在、選挙運動で配ることができるのは、はがきやビラに限られる。ネットの解禁は二〇一〇年、与野党で一部合意したが、政局の混乱でたなざらしとなった。その後も交流サイト「フェイスブック」など、情報流通の手段にインターネット活用は広がるばかり。
今年に入り、千葉県船橋市議会と名古屋市議会が意見書を可決するなど、地方も解禁を迫るが、立法府である国会は解散含みの政局に明け暮れる。
選挙カーで名前を連呼し、後援組織を回る旧来型の選挙運動では、日中は家にいないことも多い若者の関心をひくことは難しい。
「市民が最も政治に興味を持つのは選挙の時。そこで(有権者を)取り込まないでどうするのか」。次の国政選挙での実現を原田さんはあきらめない。
候補者や政党以外の演説会の禁止や、投票を依頼する戸別訪問の禁止-。禁止だらけの公選法は「べからず選挙」とも言われる。
選挙運動に規制が加わったのは一九二五(大正十四)年。それまでの制限選挙から、男子の普通選挙が認められ、有権者の数が約四倍に広がる代わりに、戸別訪問や文書などに厳しい制限を設けた。
戦後の新憲法下でも規制は残った。上脇博之神戸学院大大学院教授は「自由化すると、組織力のある革新政党に有利に働くという保守政権の危機感があった」と指摘する。
八十年以上も変わらない規制に真っ向から異を唱えたのは国連。
二〇〇八年十月、自由権規約委員会は日本政府に、表現の自由と参政権の観点から、戸別訪問禁止や文書制限の廃止を勧告した。
これには、一つの伏線がある。〇三年、大分県豊後高田市の大石忠昭さん(七〇)が市議選告示前に地元十八戸に配った「後援会ニュース」に選挙支援の要請と受け取れる「支持を広げてください」との表記があったことから、公選法が禁じる戸別訪問と法定外文書の配布に当たるとして逮捕された。
この事件の弁護側証人として国連規約委元委員のエリザベス・エバットさん(七八)が〇五年に大分地裁の法廷に立ち「戸別訪問の全面禁止は国際人権規約に適合しない」と証言。
しかし、司法は「国連の公式意見ではない」と退け、○八年一月に罰金刑の有罪判決が確定していた。
大石さんは市政報告のビラを毎週配り、今はプログも使いこなす。「議員は自分が何をやってきたのか、何をやるのかを知らせる義務がある。演説も文書もネットもそれぞれ必要。法律で制限するのは、国民の目と耳をふさぐことと同じだ」
大石さんは事件となった選挙を含め三回トップ当選し、現在、市議十二期目。
公選法は、世界の潮流からも地域の民意からも取り残されている。
『東京新聞』(2012/11/7)
● 80年変わらぬ規制
国連苦言、ネットもダメ
国会議事堂を仰ぎ見て、NPO代表の原田謙介さん(二六)はため息をついた。「政治はこれ以上、有権者にアプローチしたくないってことなんですか」
原田さんら二十代の有志は今年五月、選挙運動にプログやメールを使えるよう公職選挙法の改正を求める運動「ワンボイスキャンペーン」を始めた。
若者と政治の距離を縮めるにはネットを接点とすることが不可欠と考えたからだ。
全国会議員にアンケートで賛否を問い、超党派議員との討論で審議入りを迫った。しかし、七百人以上いる議員のうち回答したのは十分の一以下の七十人ほどだった。
現在、選挙運動で配ることができるのは、はがきやビラに限られる。ネットの解禁は二〇一〇年、与野党で一部合意したが、政局の混乱でたなざらしとなった。その後も交流サイト「フェイスブック」など、情報流通の手段にインターネット活用は広がるばかり。
今年に入り、千葉県船橋市議会と名古屋市議会が意見書を可決するなど、地方も解禁を迫るが、立法府である国会は解散含みの政局に明け暮れる。
選挙カーで名前を連呼し、後援組織を回る旧来型の選挙運動では、日中は家にいないことも多い若者の関心をひくことは難しい。
「市民が最も政治に興味を持つのは選挙の時。そこで(有権者を)取り込まないでどうするのか」。次の国政選挙での実現を原田さんはあきらめない。
候補者や政党以外の演説会の禁止や、投票を依頼する戸別訪問の禁止-。禁止だらけの公選法は「べからず選挙」とも言われる。
選挙運動に規制が加わったのは一九二五(大正十四)年。それまでの制限選挙から、男子の普通選挙が認められ、有権者の数が約四倍に広がる代わりに、戸別訪問や文書などに厳しい制限を設けた。
戦後の新憲法下でも規制は残った。上脇博之神戸学院大大学院教授は「自由化すると、組織力のある革新政党に有利に働くという保守政権の危機感があった」と指摘する。
八十年以上も変わらない規制に真っ向から異を唱えたのは国連。
二〇〇八年十月、自由権規約委員会は日本政府に、表現の自由と参政権の観点から、戸別訪問禁止や文書制限の廃止を勧告した。
これには、一つの伏線がある。〇三年、大分県豊後高田市の大石忠昭さん(七〇)が市議選告示前に地元十八戸に配った「後援会ニュース」に選挙支援の要請と受け取れる「支持を広げてください」との表記があったことから、公選法が禁じる戸別訪問と法定外文書の配布に当たるとして逮捕された。
この事件の弁護側証人として国連規約委元委員のエリザベス・エバットさん(七八)が〇五年に大分地裁の法廷に立ち「戸別訪問の全面禁止は国際人権規約に適合しない」と証言。
しかし、司法は「国連の公式意見ではない」と退け、○八年一月に罰金刑の有罪判決が確定していた。
大石さんは市政報告のビラを毎週配り、今はプログも使いこなす。「議員は自分が何をやってきたのか、何をやるのかを知らせる義務がある。演説も文書もネットもそれぞれ必要。法律で制限するのは、国民の目と耳をふさぐことと同じだ」
大石さんは事件となった選挙を含め三回トップ当選し、現在、市議十二期目。
公選法は、世界の潮流からも地域の民意からも取り残されている。
『東京新聞』(2012/11/7)
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