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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

近藤順一の〈中国通信1566〉半藤一利『歴史とは人間学。』

2018年08月13日 | 平和憲法
 皆様へ、日中友好と教育の自由のために〈中国通信1566〉を送ります。重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。*記事の中国語原文については大幅に(略)しています。全文を読みたい方はご連絡ください。
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  故宮博物院院長・単?翔(Shan Yuxiang)
 ★ 故宮を“見守る人”
    原文:『読者2018.8』作者:李占梅
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 2017年11月8日、トランプ夫婦が故宮を訪れたが車で乗り入れることはできなかった。72万平方メートルの故宮を電気自動車に乗って、故宮博物院院長・単?翔が全工程を案内して回った
 単?翔は、2012年1月院長になった。その時、最も大事なことは世界で最も古い建築の火災に気を付け、参観者の安全を守ることだ。 “故宮に尊厳を持たせる”、これが、単?翔の口癖だ。任に着いてから、故宮の改革に取り組んだ。
 50棟の彩色部屋を改築した。
 また、車を乗り入れると、混雑して建物を壊す恐れがある。
 単?翔は5カ月かけて紫禁城の1万以上の部屋を研究して、“平安故宮”を申請し国務院の承認を得て、徹底的に整理、清掃した。
 これは簡単に見えて、実際には煩雑で2年かけて完成した。

 2015年、故宮博物館90周年の時、2年準備して“宝物特別展”を開催し、《蘭亭序》《清明上河図》など283点の収蔵品を展示した。
 参観者は行列を成して夜8時になっても2000人以上がまだ見ていた。
 この特別な状況に、単?翔は、観衆にみんなが完全に見終わるまで閉館しないと約束した。
 当時、気温が下がり始めたので、単?翔は機転を利かして急いでお湯を沸かし2500杯のお茶と800個のインスタントラーメンを用意して配った。
 以前、たくさんの参観者が疲れ果てて階段のところに座り込んでいた。これは、みっともない光景だった。
 単?翔はすぐに400余りの椅子を用意し観客に敬意を表した。

 この他、彼は大量の解説書を用意し、出展品の説明を休憩室で読めるようにした。
 単?翔は、自分は“故宮の見守り人”だという。
 彼は友達と一緒に景山に登り故宮の瓦や灰色の建物を見た時のことを忘れない。
 壮大な故宮・紫禁城はその周りと共に生命があると感じた。
 単?翔は言う。自分の責任は紫禁城を守り切ること、故宮人の精神を守り、参観者の創造的な環境を守ることだ。
 2020年、この故宮は600周年を迎え、その壮観な美しい紫禁城を次の600年に引き継いでいくことこそ彼の最大の願いである。
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 ★ 半藤一利『歴史と人生』
   歴史を正しく知るために

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 《あらためていうまでもないことながら、「歴史」という言葉の裏側には、常にぴったりと“事実”というものが貼りついていることをしっかりと理解しなければ、歴史を正しく知ったことにならない。たださらーと歴史の表層をなでまわしたことにしかならない。史料をもって語らしめよ、という言葉の意味深いところはそこである。》
 *その史料も都合よく操作されたり、何より一級史料である歴史の証言者もこの世から退場してしまっていることも多い。日中戦争、太平洋戦争期も急がなければならない。(近藤)
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