◎ 意 見 陳 述 書
2018年7月25日 大阪高裁
控訴人 山口 広
控訴人 山口 広
私は「君が代」を歌うことができない。というよりも歌うことを拒否する。
なぜなら「君が代」は現人神とされた天皇の治める世の中が末永く続くことを願う歌(その意味で宗教歌)であり、その下で多くの若者が戦場に駆り出され、命を失い、また夥しい数のアジアの民衆の命を奪ったからだ。これは紛れも無い歴史的事実だ(個人的な歴史観・世界観ではない)。
私は、教え子を再び戦場に行かせないという、戦後民主主義教育の中で確立された原則を学び、戦争につながる一切のものに手を貸さない、拒否する、と心に誓った者として、天皇をたたえ、戦争を美化する「君が代」を学校教育で児童生徒に歌わせることに反対する。だから、私は一貫して「君が代」の強制に反対し、立って歌わなかった。これは私の思想良心の自由に関わる問題だ。それを守るのが憲法19条だ。
今、「君が代」を学校で歌ったからといって、それがすぐ戦争につながるなんて考えられない。スポーツ大会なんかではみんな立って歌ってるじゃないか。国歌なんだから日本の学校で歌うのは当然じゃないか。など、肯定する人の意見が多くあることは知っている。
しかしそれはあくまで立つ立たない、歌う歌わないという選択の自由がある限りにおいて、そういう意見を私は容認することができる。しかし立たない自由、歌わない自由が完全否定される職務命令の下では、なぜそこまでして強制しないといけないのか、その先に何がやってくるのか、考えると従うことはできない。
今、日本の政官界全般に腐敗堕落が進行している。
モリカケ問題に見られる安倍政権の対応。誰が見ても安倍の存在自体が根源であることが明確だ。にもかかわらず、決裁文書改ざんの責任をすべて部下に押し付け、本来同志であった仲間を詐欺師だといって裏切り、また一方で友達に金を儲けさせるために便宜を図らせる。そして息を吐くようにうそをつく。そんな批判もお構い無しに、自らは首相という地位に恋々としがみつこうとしている。まさに腐敗堕落の極みと言える。
そんな安倍の権力を恐れてか、忖度してか、取り入りたいからか、裁判所の裁判官自体の劣化も見るに耐えない状況である。
つまり原発問題、基地問題など憲法上の国民の権利を踏みにじってでも行政の裁量を優先させ、電力資本や土建資本などのより大きく強い側の見方をする判決を連発している。 この「君が代」処分問題もしかりである。
このまま行くと日本は戦争に明け暮れ、国民の自由や人権は大きく制限された、戦前のような暗黒の軍国主義社会に舞い戻ってしまう。そんな危機感が現実化しかねない。
安倍はそんな戦前社会を「美しい国」といって取り戻そうというのである。
裁判官諸氏に問う。
あなたはそんな社会に、あなた自身のみならず、あなたの子や孫、若者たちを引きずり込みたいか?
権力者が威張り散らし横暴を振るい、弱い者を虐げる、それがあたりまえという社会を法の番人として容認するのか?
日本国憲法の三原則、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重、これらは取るに足らないつまらないものか?
あなたたちはどう考えるのか?
ぜひその答えを聞きたい。
以上。
『グループZAZA』(2018-07-30)https://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/d089316211ea2c8a0ed48e63a9ba54f7
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