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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

★ 辻野けんまさん(大阪公立大学・准教授)の久保校長の「人権侵害救済申立書」についての意見書

2023年02月25日 | 「日の丸・君が代」強制反対

★ 久保敬氏「人権侵害救済申立書」についての意見書

 大阪市立木川南小学校の元校長・久保敬氏が、大阪市長と市教育長に対して提言書を送付し大阪市教育委員会から訓告をうけたことにつき、「人権侵害救済申立書」が提出されるに至りました。この件について、教育学研究者という立場から意見書を提出します。

 久保氏の「提言書」は、その内容への共感や支持がSNS等を介して拡がり、地方自治体や教育委員会だけでなく、文部科学大臣会見にも波及しました。様々な市民団体が大阪市や教育行政当局に対して、久保氏を処分しないよう求める要望書を提出し、訓告が出された後には撤回を求める要望書が提出されています。

 さらにこの問題は、国内のみとどまらず、海外の教育学者も重大事案と認識し、社会に与える影響の深刻さに鑑みて、インターネットにメッセージ動画を発表しています。
 (YouTube動画:"School Education for/as Human Rights: To Conclude Kubo-sensei's 37-years Teaching Career"[久保校長ご退職に寄せて]

 大阪市の松井一郎市長は当初会見で強い不快感を示されましたが、それでも表現の自由があることや教職員の人事権が市長にはないこと等を説明され、処分を求める意思もないと言明されていました。
 しかし、大阪市教育委員会は、2021年7月27日の第12回教育委員会会議において「訓告」を決定するに至りました。

 「大阪市教育委員会第12回教育委員会会議議事録」では、久保氏が提言書を突然送付したのではなく、以前から複数の方法で教育行政や一般行政とのやりとりを試みてきたことが確認されています。
 くわえて、実際の学校運営では市の方針をふまえて行われており、提言書はあくまでも意見として表明されたものであることも確認されています。
 にもかかわらず、教育委員会がなお「訓告」の判断に至ったことは、深刻な問題と言わざるをえません。

 提言書の第一報をうけた2021年5月25日には文部科学大臣会見でも言及がなされていますが、文部科学大臣からは、校長が首長に意見を出すこと自体は悪いことではなく、教育政策はそうした声にも耳を傾けながら行われるべき、との見解が示されています。
 久保氏が、実際には市の方針に反することなく学校教育に尽力しつつ、教育現場の最前線を預かる校長としての知見から提言書で意見を表明したことの何が問題なのでしょうか。
 そもそも、提言書に先立って何度も教育行政や一般行政に意見具申が本人からなされてきたのであり、それに対する意味ある応答が何らなされてこなかったことは問題ではないのでしょうか。提言書は、市長と教育長の双方へ送られており、手続きとしても妥当なものでした。
 この提言書の内容をめぐっては、社会から大きな反響があり、教育現場の声を社会の人々が知る機会を提供することにもなりました。
 久保氏の提言は、守秘義務に反したり信用失墜行為にあたるようなものではありえません
 それどころか、学校が真摯に子どもの教育に向き合う状況を社会に伝えるものとなり、子どもが育つ学校のあり方を社会全体で考える機会を提供しました。
 それまでの行政上の応答責任を問わずに、意見を表明した校長が訓告に処されたことは、著しく正当性を欠き、このことこそが教育行政への信頼を失墜させているのではないでしょうか。

 2022年1月24日に久保氏は教育長宛に訓告の取り消しを求める文書を送付していますが、それに対する応答は今日に至るまでなされていません。教育行政の応答責任は問われなくて良いのでしょうか。
 久保氏の「人権侵害救済申立書」にあるように、訓告には異議申し立ての機会が与えられないとする教育委員会の対応も、常軌を逸しています
 不名誉な事実上の処分であるにもかかわらず、異議申し立ての機会が与えられないのであれば、人事権が濫用されても教職員の側は泣き寝入りするしかありません。そのような状況が罷り通るならば、本来学校現場を指導・助言・援助するはずの教育行政が逆に学校を委縮させるばかりになってしまいます。

 訓告に示されている事由は、久保氏の提言書についての大阪市教育委員会の解釈が述べられていますが、それは文意全体をふまえない処分ありきの曲解となっています。
 元来、教育委員会制度は、民衆統制と専門的リーダーシップの調和に拠って立ち、政治的党派性からも距離をおいた教育行政の相対的な自律性が与えられた行政委員会とされています。首長や地方議会、学校現場の教職員、市民などの間で教育をめぐる葛藤が顕在化した場合こそ、教育委員会はその自律性を発揮することが求められます。
 コロナ禍では社会全体が混乱を極め、そうした葛藤が先鋭化しました。久保氏の提言書は、休校と学校再開による深刻な影響が出たパンデミック1年目の経験をふまえて出されたものでした。
 そのような学校現場の専門的な判断がないがしろにされ、それどころか逆に、意見を表明すること自体が処分対象になってしまう事態ならば、もはや教育の行政という名に値しないのではないでしょうか。

 奇しくも、久保氏の提言書はインターネットを通じて世界の教育学者にも読まれるところとなりました。
 訓告への問題意識が、アメリカ、ドイツ、インドネシア、キプロス、キューバ、ブルガリアの教育学者にも共有され、上述のメッセージ動画で実名を挙げてメッセージが寄せられました。
 この動画がインターネットで公開されているのは、久保氏の37年間にわたる教職人生が訓告をもって閉じられる不条理に抗するためですが、それと同時に、教職離れをますます深刻化させ将来に禍根を残すことを看過できないためです。
 なお、2022年5月14日には上記の海外研究者らにさらに2名が加わる形で久保氏への感謝状が贈呈されました。世界的にも表彰に値する功績が、教育行政からは罰せられるという現実は皮肉なものです。

 提言書から今回の「人権侵害救済申立書」に至るまで、久保氏は自身の権利侵害よりも子どもの発達環境への侵害を問題にしてきました。提言書を出すという行為は、校長にとってはリスクなのであり、それをあえて退職年に行ったのは、後世に禍根を残すような教育を看過できなかったからに他なりません。
 自律的な人間を育てる学校は、みずからが自律的でなければならないはずです。管理されただけの学校であれば、子どもの自律への教育を期待することはできないでしょう。

 教育行政といえどもときに誤りを犯してしまうことはありえます。重要なのは、誤りを素直に認め、軌道修正する姿勢を示すことです。
 教育委員会を敵視することが本意見書の目的ではありません。教育行政の内部にも多くの良識的な職員がおられることも承知しています。教育委員会の民衆統制と専門的リーダーシップの調和が機能しているのかを自省され、今回の訓告という誤った決定がなぜ審議の途上で是正されなかったのかが熟慮され、今後の教育行政に生かされてほしいと願っています。
 制度や文化を異にする外国からも共感を集めたのは、提言書による問題提起がローカルな問題にとどまらず、グローバルな問題でもあったからです。
 世界の教育が、競争主義や成果主義の政治に晒される中で、学校現場を預かる専門職として「何のため/誰のための教育か?」という根源的な問いを世界に惹起した功績は特筆されるべきです。
 世界から共感を集める教育者を大阪市の公立学校が擁してきたことは、実は誇るべきことなのです。そうであるならば、教育行政が軌道修正し子どもの教育を正常化させる姿勢も、世界に示してほしいと願うところです。
 教育委員会が君子豹変の姿勢をもって信頼回復に努めることは、学校はもとより、教育行政の内部で日々奮闘している心ある職員にとっても、大いに励みとなるはずです。

2023年2月4日
大阪公立大学・准教授
辻野けんま

 


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