◆ 「卒業証書授与式」の名称を使うべきでないと学校に要請する理由
D-TaC(Democracy for Teachers and Children~「君が代」調教やめて~)
現在の公式文書(法令、学習指導要領、文科省や大阪市教育委員会の通知文等)の中に、「卒業証書授与式」ということばはありません。(大阪市教育委員会の回答などを参照)
「卒業証書授与式」は、戦前の卒業式の呼び方でした。
明治初期の日本の近代学校発足時の学校編制は、等級制を採用していたということです。
小学校は、学制の場合、下等小学・上等小学の二種類あり、それぞれ第八級から第一級の八段階(第一級が最高学年)の八つの級(グレード)に分かれ、各級は半年の学習として、試験に合格して、初めて次のグレードに進む(進級)することが可能というものでした。
当時の評価は試験のみで合格点に達しなければ原級留置(現在の留年)となり、三回続けて不合格になると放校処分となる、厳しいもので、徹底した個人主義、能力主義にもとづく制度でした。卒業を証明する「卒業証書」は国のエリートの証として重要な意味を持っていました。その卒業証書を授与する式として「卒業証書授与式」と呼ばれたわけです。
その後、明治政府は、プロイセンドイツを範とする君主が強い権限を持つ立憲君主制国家の構築に舵を切り、教育の在り方に大きな変更を行いました。
第一次伊藤博文内閣(1885 年~)に文部大臣として入閣した森有礼は、学校の集団性に着目し、そこに、国民教育の活路を見出しました。試験による過度な個人主義を否定し、「人物第一、学力第二」の方針のもと、立憲君主国家に奉仕する人材こそが国家が求める人材としました。
学校編制も等級制を廃止し(1885年)、1年単位の学級による集団主義による学級制を前提とする学年制による教育編制を採用しました。学年制への移行後、単なる卒業証書授与に儀式としての性格が強くなり、その内容は、天皇制国家の構成員となるためのもので、天皇制と深く関係する儀式が強制されるようになります。
一度入学した「同級生」は、定められた期間(4年乃至6年間)同じ経験をし、個人主義ではなく、集団主義の中で忠実な「臣民」になるための誓いの儀式が入学式、そして、忠実な「臣民」になるための課程が修了し、これから「臣民」としての分を尽くすことを確認するのが卒業式とがセットで注目されるようになりました。
1910年代までの学校文書では卒業証書授与式、授与式、卒業式が混在しますが、第三次小学校令による戦前日本の義務教育が軌道に乗るころには卒業式が一般化されました。その時期と入学式・卒業式の儀式内容が三大節・四大節学校儀式の内容に準じるようになったという経過です。
「卒業証書授与式」は、戦前からすでに「卒業式」という名称に変更されていたわけですが、戦前の「卒業証書授与式」「卒業式」はともに學校長が主役の式典でした。【川島次郎氏著作『学校禮法 儀式編』(1942 年)】によると、以下のように進行しました。
第四章 卒業式
職員兒童(修業生)式場に入る。
⇒次に卒業兒童式場に入る。
⇒次に来賓式場に入る。
⇒次に學校長式場に入る。
⇒次に一同敬禮。
⇒次に国歌を歌ふ。
⇒次に学事報告。
⇒次に卒業證書を授輿す。
⇒次に學校長訓辭。
⇒次に卒業兒童答辭。
⇒次に卒業生卒業の歌を歌ふ。
⇒次に修業生送別の歌を歌ふ。
⇒次に一同敬禮。
⇒次に學校長退出。
以上
公式文書にない「卒業証書授与式」の名称をあえて使用する学校は、戦前のような校長が主役の卒業式を志向しているのではないかとの疑念を抱かざるを得ません。
「卒業証書授与式」という名称を使用している学校には、なぜ、その名称使用しているのか、説明を求めます。
このような疑念をもつ者がいることを知ったうえで、「卒業証書授与式」の名称を使用し続けるのかどうか、お聞きしたいと思います。
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