◆ 戒告処分取消し訴訟 原告7名による共同提訴について
共同(総論)部分に関するこれまでの主張の整理と現段階
1 一連の最高裁判決を踏まえた私たちの主張
(1)大阪府条例下では、思想及び良心の自由への「間接的制約」説は成り立たない
a.国旗国歌条例の目的
①教職員が「日の丸・君が代」に敬意を示す姿を生徒に見せ、子どもたちに「我が国と郷土を愛する意識」を高揚させる。「意識」という人の内面への働きかけが目的である。
②同条例が厳格化の対象としている服務規律は、教職員のみを狙い撃ちするものである。
b.同条例下における「君が代」の起立斉唱は、「慣例上の儀礼的な所作」とは言えない。
①起立斉唱は、同条例が定める二つの目的を是認して推進するという意思表示を含む。
②原告らの思想良心の自由に対する直接的な制約である。
c.職員基本条例「同一職務命令違反3回で免職」という規定
①大阪府における「君が代」起立斉唱命令への違反を理由とする戒告処分は、免職と結びつけられた処分。他の地方公共団体における戒告処分とは質的に異なる。
②条例制定経緯から、「3回で免職」の規定が不起立処分者のみを対象にしているのは明らか。
③1回目の戒告でも、免職への道を3分の1進むという重大さ
(2) 教員としての思想・良心に対する制約
2011年5月30日最判、同年6月21日最判は、「教師としての思想・良心の自由に対する制約が許されるか否かという問題は、個人としての思想・良心の自由に対する制約が許されるかどうかという問題に包摂され」るから、別途の検討は不要であると解する判断を行ってきた。しかし、個人としての思想・良心は、個人の歴史観や世界観に裏打ちされて存在するものであるが、その一方で、教員としての思想・良心は個人の歴史観や世界観とは切り離された公教育における教育実践の中で培われて存在する。したがって、本件各職務命令は、原告らの教員としての良心を直接制約し違憲違法である。
①教員の職務が公共的であるがゆえに、「校長の奉仕者」には成り下がれない場面もあり、ときに教員は子どもの教育を受ける権利を保障する機関として、子どもの教育に対する妨害作用を遮断すべき立場にある。
②教員は、具体的な場面において、生徒に対する適正な教育活動を行うために、生徒の教育に対する妨害作用を遮断すべきか否かについて、それまでに教育実践の中で培ってきた「教育的良心」に従って判断することが許されなければならない。
(3) 教員を強制的に起立させることに侵害される子どもたちの権利
①自分の考えを持つこと、正しいと思うことを表明し行動すること、他者のそれを尊重すること、といった市民社会においてまた市民社会でその一員として生きて行くにあたり大切な価値を、生徒に対して伝え、また教員自らがそれを実践していくことは、大切な教育上の営みあるいは責務の履行であり、子どもの学習権の保障内容及び教師の教育の自由の内容として尊重され保障されなければならない。
②「日の丸」「君が代」に敬意を表することができないという生徒がいる場合に、その生徒ひとりに教員が寄り添うことは、個性に応じてひとりひとりの自己肯定を育む、極めて重大な、侵害してはならない教育実践である。
③これに反し、教師に一斉に起立し歌うことを厳罰をもって強制することは、上記の教育実践を禁止しさせないことである。そして、出席する教師全員が立つ歌うという実践を行う場合には、個々の教師が日頃生徒に対して何を言っていようと、立って歌うことが正しいと思い込ませる教育効果しか生まない。権力には逆らえない、多数に同調せよ(したほうが得である)という教育をわが身をもって行うことを強制されることである。この姿の強制が、政治(時の多数決原理)の結果に基づくものであることは、問題意識を持つ生徒は遅かれ早かれ容易に理解することができる。
2 大阪地裁(内藤裁判長)による不当判決(2018年3月26日)
(1)原告側請求をすべて棄却
判決理由の大部分は、被告・大阪府の主張をそのまま引き写しただけ。重要な争点として原告側が立証してきた諸点について、少しでもまともに検討したと思える部分はどこにもない。はじめから結論ありきの判決である。
(2)被告・大阪府さえ主張していない内藤裁判長の偏見に基づく理由なき判断
「原告らによる本件職務命令違反行為は、・・・自己の教育上の信念等を優先させて、あえて式典の秩序に反する特異な行動に及んだもので、厳しい非難に値するものであるいうべきである。」と断じ、裁判官個人の独断と偏見に基づいて被告側主張を補った。
(3) 無理に無理を重ねた「職務命令」成立のこじつけ
尾之上校長による原告井前に対する職務命令の有無について、校長自身が証人尋問において「職務命令」という文言を使わなかったことをはっきりと認め、裁判所もその事実を認定しているにもかかわらず、それは校長の「誤解」だと勝手に事実をねじ曲げた。
3 大阪高裁(石井寛明裁判長)による不当判決、一部勝訴(2019年5月23日)
(1) 控訴人・井前に関する原審判決を変更し、井前に対する戒告処分を取り消す(一部勝訴)。しかし、共に闘った仲間6名の処分取り消し請求をすべて棄却し、賠償責任については7名全員の請求を棄却した。
私たちは、即座に上告した。しかし、大阪府は上告期限の6月6日までに上告状を提出せず、井前への戒告処分の取消しはひとまず確定した。
(2) 原審変更に関わる判断理由の主な部分
■大阪高裁は、中原教育長(当時)の校長会での訓示により、当該校長が「職務命令として明確に命じる必要はないものと理解していたと認めるのが相当」と教育長の責任を認めた。
「府教委が必要な調査を経て、・・本件戒告処分Gをしたことについて、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさなかったとはまでは認めるに足りず」とし、府教委の賠償責任を否定した。しかし、井前は今回争点の「職務命令の成否」への疑義を申し立て、事情聴取に出向いた上で、弁護士、同僚教職員、所属組合等第三者立会いを要求した。府教委は、これを拒否し会場からの退去を命じた。「職務命令の成否」、「事情聴取の不履行」につき、「教職員分限懲戒部会」での審理が一度は延期されたにも関わらず、同部会は2回目の審理で府教委側の一方的な報告のみをもって懲戒処分を決定した。府教委は、「職務上尽くすべき注意義務」を意図的に拒否したのであるから、その責任を免れないはずだ。
(4)「本件職務命令G」の「成否」をめぐる当時の背景
「大阪維新の会」(当時 橋下徹府知事)は、2011年6月、「国旗国歌条例」「職員基本条例」を強行し、従わない職員は3回で免職に追い込むと宣言した。2012年1月の校長・准校長および各教職員に宛てた教育長通達は、「大阪維新」の政治圧力によるものに他ならない。同年3月の卒業式で、橋下知事の同級生であった中原徹和泉高校校長は、教員が実際に歌っているかどうかを教頭にチェックさせた。橋下知事は直後の4月に中原校長を教育長に就任させ、中原は『口元チェック』を命じる通知(2013年9月4日付)を出した。
中原教育長は、実教出版「日本史A」教科書を採択した高校に政治的な圧力をかける行為を行ったこと等も府議会でも大きな問題となり、中原批判の声はさらに広がった。このような中で、2014年4月3日の府立学校校長会で、中原教育長は「口元チェック」を撤回し、卒業式・入学式の対応は「校長裁量で」といわざるを得なくなったのである。
共同(総論)部分に関するこれまでの主張の整理と現段階
1 一連の最高裁判決を踏まえた私たちの主張
(1)大阪府条例下では、思想及び良心の自由への「間接的制約」説は成り立たない
a.国旗国歌条例の目的
①教職員が「日の丸・君が代」に敬意を示す姿を生徒に見せ、子どもたちに「我が国と郷土を愛する意識」を高揚させる。「意識」という人の内面への働きかけが目的である。
②同条例が厳格化の対象としている服務規律は、教職員のみを狙い撃ちするものである。
b.同条例下における「君が代」の起立斉唱は、「慣例上の儀礼的な所作」とは言えない。
①起立斉唱は、同条例が定める二つの目的を是認して推進するという意思表示を含む。
②原告らの思想良心の自由に対する直接的な制約である。
c.職員基本条例「同一職務命令違反3回で免職」という規定
①大阪府における「君が代」起立斉唱命令への違反を理由とする戒告処分は、免職と結びつけられた処分。他の地方公共団体における戒告処分とは質的に異なる。
②条例制定経緯から、「3回で免職」の規定が不起立処分者のみを対象にしているのは明らか。
③1回目の戒告でも、免職への道を3分の1進むという重大さ
(2) 教員としての思想・良心に対する制約
2011年5月30日最判、同年6月21日最判は、「教師としての思想・良心の自由に対する制約が許されるか否かという問題は、個人としての思想・良心の自由に対する制約が許されるかどうかという問題に包摂され」るから、別途の検討は不要であると解する判断を行ってきた。しかし、個人としての思想・良心は、個人の歴史観や世界観に裏打ちされて存在するものであるが、その一方で、教員としての思想・良心は個人の歴史観や世界観とは切り離された公教育における教育実践の中で培われて存在する。したがって、本件各職務命令は、原告らの教員としての良心を直接制約し違憲違法である。
①教員の職務が公共的であるがゆえに、「校長の奉仕者」には成り下がれない場面もあり、ときに教員は子どもの教育を受ける権利を保障する機関として、子どもの教育に対する妨害作用を遮断すべき立場にある。
②教員は、具体的な場面において、生徒に対する適正な教育活動を行うために、生徒の教育に対する妨害作用を遮断すべきか否かについて、それまでに教育実践の中で培ってきた「教育的良心」に従って判断することが許されなければならない。
(3) 教員を強制的に起立させることに侵害される子どもたちの権利
①自分の考えを持つこと、正しいと思うことを表明し行動すること、他者のそれを尊重すること、といった市民社会においてまた市民社会でその一員として生きて行くにあたり大切な価値を、生徒に対して伝え、また教員自らがそれを実践していくことは、大切な教育上の営みあるいは責務の履行であり、子どもの学習権の保障内容及び教師の教育の自由の内容として尊重され保障されなければならない。
②「日の丸」「君が代」に敬意を表することができないという生徒がいる場合に、その生徒ひとりに教員が寄り添うことは、個性に応じてひとりひとりの自己肯定を育む、極めて重大な、侵害してはならない教育実践である。
③これに反し、教師に一斉に起立し歌うことを厳罰をもって強制することは、上記の教育実践を禁止しさせないことである。そして、出席する教師全員が立つ歌うという実践を行う場合には、個々の教師が日頃生徒に対して何を言っていようと、立って歌うことが正しいと思い込ませる教育効果しか生まない。権力には逆らえない、多数に同調せよ(したほうが得である)という教育をわが身をもって行うことを強制されることである。この姿の強制が、政治(時の多数決原理)の結果に基づくものであることは、問題意識を持つ生徒は遅かれ早かれ容易に理解することができる。
2 大阪地裁(内藤裁判長)による不当判決(2018年3月26日)
(1)原告側請求をすべて棄却
判決理由の大部分は、被告・大阪府の主張をそのまま引き写しただけ。重要な争点として原告側が立証してきた諸点について、少しでもまともに検討したと思える部分はどこにもない。はじめから結論ありきの判決である。
(2)被告・大阪府さえ主張していない内藤裁判長の偏見に基づく理由なき判断
「原告らによる本件職務命令違反行為は、・・・自己の教育上の信念等を優先させて、あえて式典の秩序に反する特異な行動に及んだもので、厳しい非難に値するものであるいうべきである。」と断じ、裁判官個人の独断と偏見に基づいて被告側主張を補った。
(3) 無理に無理を重ねた「職務命令」成立のこじつけ
尾之上校長による原告井前に対する職務命令の有無について、校長自身が証人尋問において「職務命令」という文言を使わなかったことをはっきりと認め、裁判所もその事実を認定しているにもかかわらず、それは校長の「誤解」だと勝手に事実をねじ曲げた。
3 大阪高裁(石井寛明裁判長)による不当判決、一部勝訴(2019年5月23日)
(1) 控訴人・井前に関する原審判決を変更し、井前に対する戒告処分を取り消す(一部勝訴)。しかし、共に闘った仲間6名の処分取り消し請求をすべて棄却し、賠償責任については7名全員の請求を棄却した。
主文共同訴訟原告・弁護団は、裁判を通して大阪府「国旗国歌条例」「職員基本条例」そのものの違憲・違法性、同条例の下での教育への不当な政治介入である教育長通達と職務命令の違憲・違法性の根拠を積み上げてきた。高裁もまた、大阪の特殊で異様な現状を「最高裁判例」の枠組みの中にむりやり押し込めて逃げた。
1 控訴人井前弘幸の本件控訴につき、原判決中、控訴人井前弘幸に関する部分を次のとおり変更する。
(1)大阪府教育委員会が控訴人井前弘幸に対してした平成26年6月17日付け戒告処分を取り消す。(処分取消)
(2)控訴人井前弘幸のその余の請求を棄却する。(賠償請求)
2 控訴人井前弘幸を除くその余の控訴人らの本件各控訴をいずれも棄却する。
私たちは、即座に上告した。しかし、大阪府は上告期限の6月6日までに上告状を提出せず、井前への戒告処分の取消しはひとまず確定した。
(2) 原審変更に関わる判断理由の主な部分
■大阪高裁は、中原教育長(当時)の校長会での訓示により、当該校長が「職務命令として明確に命じる必要はないものと理解していたと認めるのが相当」と教育長の責任を認めた。
当該校長は、平成26年度の入学式における国歌斉唱時の起立斉唱に関し、控訴人井前を含む教職員に対して、校長からの口頭による職務命令であると理解することが可能な発言をしたとは認められないのであり、むしろ、校長会における教育長からの説明とも相まって、上記入学式における国歌斉唱の際に起立して斉唱すべき旨を校長による職務命令として明確に命ずる必要はないものと理解していたと認めるのが相当である。そうすると、○○高校の平成26年度の入学式における国歌斉唱に関し、尾之上校長が控訴人井前に対して国歌斉唱時に起立斉唱すべき旨の口頭による職務命令(以下「本件職務命令G」という。)を発したとは認められない■大阪高裁は、事実上、「教育長通達違反」だけでの懲戒処分は違法であることを認めた。
本件戒告処分Gが地公法32条違反に該当するとする控訴人井前の職務命令違反行為のうち、校長からの職務命令(本件職務命令G)違反の点については、本件職務命令Gの発令があったとは認められないのであるから、本件通達が有効な文書による職務命令であり、控訴人井前が本件通達に違反したものと認められるとしても、本件戒告処分Gは、同処分において懲戒事由とされた職務命令違反行為のうち一つを欠いていたものである。(3)「賠償請求」棄却の根拠 違法処分の責任を校長ひとりに押しつけ、事実上、府教委の責任を不問とした。
府教委の指導内容とこれに基づく府立学校の校長等による説明及び職務命令発令の状況、校長等による職務命令がない場合における国歌斉唱時の起立斉唱に関する府教委の指導方針ないしは運用は、府立学校の教職員に対し、本件通達による職務命令の他にこれを踏まえた校長等の発する職務命令が存する場合において、これらに従わないときに初めて懲戒処分を受けるものであるとの認識ないし予測を抱かせるものであったといわざるを得ない
「府教委が必要な調査を経て、・・本件戒告処分Gをしたことについて、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさなかったとはまでは認めるに足りず」とし、府教委の賠償責任を否定した。しかし、井前は今回争点の「職務命令の成否」への疑義を申し立て、事情聴取に出向いた上で、弁護士、同僚教職員、所属組合等第三者立会いを要求した。府教委は、これを拒否し会場からの退去を命じた。「職務命令の成否」、「事情聴取の不履行」につき、「教職員分限懲戒部会」での審理が一度は延期されたにも関わらず、同部会は2回目の審理で府教委側の一方的な報告のみをもって懲戒処分を決定した。府教委は、「職務上尽くすべき注意義務」を意図的に拒否したのであるから、その責任を免れないはずだ。
(4)「本件職務命令G」の「成否」をめぐる当時の背景
「大阪維新の会」(当時 橋下徹府知事)は、2011年6月、「国旗国歌条例」「職員基本条例」を強行し、従わない職員は3回で免職に追い込むと宣言した。2012年1月の校長・准校長および各教職員に宛てた教育長通達は、「大阪維新」の政治圧力によるものに他ならない。同年3月の卒業式で、橋下知事の同級生であった中原徹和泉高校校長は、教員が実際に歌っているかどうかを教頭にチェックさせた。橋下知事は直後の4月に中原校長を教育長に就任させ、中原は『口元チェック』を命じる通知(2013年9月4日付)を出した。
中原教育長は、実教出版「日本史A」教科書を採択した高校に政治的な圧力をかける行為を行ったこと等も府議会でも大きな問題となり、中原批判の声はさらに広がった。このような中で、2014年4月3日の府立学校校長会で、中原教育長は「口元チェック」を撤回し、卒業式・入学式の対応は「校長裁量で」といわざるを得なくなったのである。
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