パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「チョルノービリ原発」に変える必要はあるのか。「侵略」を理由に地名表記変更は前代未聞

2022年04月06日 | 平和憲法
  =たんぽぽ舎です。【TMM:No4448】「メディア改革」連載第94回=
 ◆ 「キエフ」を「キーウ」にするのは愚の骨頂
浅野健一(アカデミックジャーナリスト)

◎ 2月24日に始まったロシア軍とウクライナの軍事衝突は間もなく5週間になる。日本では「ウクライナ=善、ロシア=悪」の二元論で、戦争当事者2国の片方だけを支援する翼賛体制ができあがっている。
 日本政府は3月31日、ウクライナの首都の呼称に関し、ロシア語に由来する「キエフ」(Kiev)から、ウクライナ語の読み方に基づく「キーウ」(Kyiv)に変更すると発表した。「ロシアによる侵攻が続くウクライナへの連帯を示す狙い」(共同通信)という。
 また、「チェルノブイリ」を「チョルノービリ」に改めるなど、首都以外の地名も同様にウクライナ語読みに統一する。「オデッサ」を「オデーサ」、「ドニエプル」を「ドニプロ」にそれぞれ変える。
◎ キシャクラブメディアでは、日本テレビが3月24日、首都キエフの表記を「キーウ」に改めると発表。同日昼のニュースで、画面に表示した地図に「キーウ(キエフ)」と表記した。欧米メディアに追随した。
 NHKは3月31日夜のニュースから「キーウ」に変更。日本テレビ以外の民放キー局も同調した。
 新聞では、読売新聞毎日新聞が4月1日朝刊から、「キーウ」に変えた。
 共同通信は4月1日午前3時、「おことわり」と題し、<ウクライナの首都「キエフ」の表記を「キーウ」に変更します。日本政府の表記変更に合わせます>とする記事を配信した。
 朝日新聞東京新聞は2日の朝刊から「キーウ」に変えた。東京新聞は社告でこう書いた。<ロシアによる侵攻で人びとの命が奪われており、その人びとの意向を尊重するべきだと考えました>
◎ 日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」も4月2日から、「キーウ」に変えた。赤旗も政府とキシャクラブメディアに同調しての翼賛体制だ。
 赤旗の<校閲の目 キエフからキーウへ>という見出し記事は、政府が決めたからという説明だった。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-04-02/2022040203_02_0.html
 ◆ ロシア語はウクライナの公用語で広く使用の言語

◎ 戦争中に地名を変更することは、最近では例がないと思う。
 ロシアに侵略されたウクライナの政府がロシア語読みを拒んでいるとしても、ウクライナの人民が一致してウクライナ語読みを望んでいるかは疑問だ。
 ウクライナの東部にはロシア語を使う人が約3分の2いる。
 私は2019年5月、キエフのチェルノブイリ連盟の総会で福島第一原発事件について日本語で報告(ロシア語の通訳)をしたが、ウクライナ側は全員、ロシア語で報告していた。
 ウクライナでは、医学などの専門家はロシア語で学んでおり、学術書はロシア語が多い。
http://jishinga.com/map/TOUKAI_2_RVS/all_kiji/kiji20650.html
http://blog.livedoor.jp/asano_kenichi/archives/18729269.html
◎ ウクライナでは、2014年に民主的に選ばれていた親ロシアのヤヌコービッチ大統領がクーデターで追放されるまで、ロシア語も公用語だった。親米の政権に変わってから、ロシア語をめぐって国内で激しい対立が続いている。
 私の共同通信の2年後輩の三浦元博・大妻女子大学社会情報学部教授(欧州論)は今回の地名表記変更について「ものすごく違和感がある。悪乗りしすぎ、拙速だと思う」と述べた。
 「日本の平安時代ごろになるが、現在のウクライナの地にノルマン人を源流とする『キエフ・ルーシ』が登場し、これがロシア、ベラルーシ、ウクライナの共通の祖先だとされている。今後、世界史の教科書ではどう呼ぶのだろうか。『キーウ・ルーシ』?ルーシはロシアの語源だからそれもやめる?」
 「『外国の国名・地名はその国の言語の音で表記する』というルールはおかしくないが、例外はいくらもある。
 オランダは『ネーデルラント』だが、日本語ではポルトガル語由来の『オランダ』と呼ぶ。オランダ政府が表記変更を求めてきたという話は聞いたことがない」
 「おそらく今ウクライナでは民族主義的熱狂が高まっていて、それがロシア(語)由来のものを一掃しようという動きになっているのだろうと想像する。
 しかし、無関係な国がこれに早々と迎合してしまうのはどうかと思う。教育現場は大混乱するのではないか」
 私が三浦氏にウクライナ戦争についてインタビューした記事は私のブログにある。
http://blog.livedoor.jp/asano_kenichi/archives/28977904.html
◎ ビルマで軍事政権が国名を「ミャンマー」に変えた時、民主化運動を支持する人々は「ビルマ」と表現した。
 インドネシアが東チモールを侵略した時、日本政府は「インドネシア東ティモール州」と表記したが、連合国(「国連」は誤訳)は併合を承認せず、ポルトガル領東チモールとずっと表記していた。
 私は自分の著作では、今でも「ビルマ」「東チモール」と表記する。
 政府が決めたら、思考停止で追随するのでは、ジャーナリズムではない

コメント    この記事についてブログを書く
« 環境経済研論文「ウクライナ... | トップ | 原発は自国にとって致命的な... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

平和憲法」カテゴリの最新記事