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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

なぜ犠牲者追悼を止めるのか、知事は朝鮮人虐殺を容認するのか

2017年08月25日 | 暴走する都教委
  《尾形修一の紫陽花(あじさい)通信》
 ◆ 小池都知事、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼文を断る


 24日付東京新聞は、一面トップ「小池都知事 追悼文断る」という記事を掲載している。1923年9月1日の関東大震災に際して、東京を初め関東各県で朝鮮人(及び中国人や日本人)の虐殺事件が起こった。都立の慰霊堂がある都立横網町公園には朝鮮人犠牲者の追悼碑が作られている。その碑の前で、例年9月1日に追悼式が開かれ、石原慎太郎氏を含め、ずっと都知事の追悼文が送られていたという。昨年は小池知事も送っている。それが今年なぜ送らなくなったのか。
 実は今年3月の都議会で、自民党の古賀俊昭議員がこの問題を取り上げていた。近年、関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定するような「歴史修正主義者」が現れてきた。古賀氏は極右的な主張で知られてきた人で、それらの主張に沿うように「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」と述べていた。
 (この間の経緯に関しては、澤藤藤一郎氏の7月5日付のブログ記事「小池都知事に問います。あなたは「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文奉呈を辞めるつもりではないでしようね。」を参照。)
 7月の都議選で「都民ファーストの会」が圧勝したわけだけど、その後の小池都知事や「都民ファーストの会」には疑問が多い。(まあ予想されたことだけど。)
 「都民ファーストの会」で当選した都議は、各マスコミの取材に全く答えないという。失言を恐れているようだけど、野田数代表「民間では当たり前」と答えている。でも都議会議員は民間ではない。一人ひとりが「都民の代表」なんだから、(単なる採決時の要員として会社に採用された社員じゃないんだから)、取材には答える義務がある。
 案の定、議長などを選出する臨時都議会が開かれると、築地・豊洲の市場問題を審議する特別委員会の設置が否定された。これなどは「早くも都民ファーストという看板を下ろした」と言われても仕方ないだろう。
 今回の追悼文拒否の問題も、まさか小池都知事がそんなバカなことをするとは思わなかったので、今までは書いていなかった。3月の都議会では、「今後につきましては、私自身がよく目を通した上で、適切に判断をいたします。」と答えている。だから、「よく目を通した」「適切な判断」ということになる。これは都知事としては、「大変不適切な判断」というしかない。
 なぜなら、2020年の東京五輪を控えて、小池氏自身が「ダイバーシティ」多様性を意味するdiversityと都市のcityを掛けている)を東京が目指す目標としている。現に多くの外国人が暮らし、今後も多くの外国人を東京は受け入れる。そういう東京で、かつて大きな虐殺事件が起きた。それを認識し記憶し続けることが、再発を防止する前提になる。それなのに、都知事が右派系議員の排外的な要求に沿うような対応をしたら、「日本は外国人に配慮がない」というメッセージになる。
 ところで、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件そのものは疑いようのない、誰もが知っていることだけど、虐殺者数にはいろんな説がある。それは当然のことだろう。大きな一つのできごとではなく、バラバラに各地で起こったことだから、どうやっても総合するのは難しい。
 さらに当時の政府が自ら調査することなく、民間の調査を妨害したからである。各地の「自警団」による虐殺が多いが、流言飛語をあおったのは警察当局なんだから、これは「権力犯罪」である。今も昔も、洋の東西を問わず、(森友、加計問題のように)、調べられる権限を持った政府は調査せず、権力犯罪は隠されるのである。
 そんな中で、いくつかの民間調査がある。自分の部屋もグチャグチャなんだけど、姜徳相「関東大震災」(1975、中公新書)が出てきたので、巻末史料を紹介しておけたい。
 まず第一に「金承学調査」がある。金承学は上海にあった臨時政府系の「独立新聞」の社長で、ひそかに東京に来て留学生10数名とともに秋から冬にかけて調査した。その合計が関東6県で6415名となっている。この調査は警察の妨害にあいながら、相当にきちんと行われたようである。それは警察側資料で監視した様子が残されているので判る。これが犠牲者6千名説になるんだと思う。
 他に、東大教授吉野作造が、10月末まで調査した記録によれば、長野県まで含めて2711名
 右翼結社黒竜会による調査では、722名。この黒竜会調査というのは、政府が体裁を取り繕うためにいくつかの自警団を裁判にかけたため、「国策に協力したのに怪しからん」と調査したものだという。なお、
 司法省調査では243名になっているが、犠牲者の家族が納得せず、当時の朝鮮総督府が調査して、832名となり弔慰金を払った。
 この司法省調査の数は、はるか後の韓国の光州事件(1980)や中国の天安門事件(1989)時を思わせる数字だ。権力犯罪を権力側が「調査」すると、大体この程度に収めておくかという数字として似た範囲になるんだろう。
 もはや細かな確実な数字は確定不能だろうが、不自由な中をできるだけ調査して6千名以上の数のなっていることはそれなりの意味がある。警察の干渉無しに調査できれば、むしろもっと大きくなったというべきだろう。
 もちろん虐殺そのものは、当時の日本政府でさえ認めているわけで、否定のしようがない問題である。
 都知事としては、例年の例文を踏襲しなければいけないということではないけれど、今からでも「自分の言葉」できちんと追悼するというのが大事なんじゃないかと思う。石原、猪瀬でさえ行っていたことを小池知事がやらないというのでは困るだろう。
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2017年08月24日)
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/a4f38555dcc9d40581684d9c6a4409f1
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