◆ <都教委に喝!>指導要領は最低基準(最高裁大法廷判決)なのだから、
それを超える教育内容に制限を設けるのはカリキュラム編成権の侵害!
皆さま 高嶋伸欣です
都教委が足立区の公立中学での性教育への指導を名目とした介入を決めた、と報道されています。
根拠は「学習指導要領では受精・妊娠は取り扱うが、妊娠の経過は扱わないとされる」が「足立区の中学の授業では、避妊や人工妊娠中絶など、高校で指導する内容を取り上げた」からとのことです(「東京新聞」26日夕刊)。
この通りであるならば、都教委の指導は法的根拠に欠けた越権行為、職権乱用の違法性が問われます。
学習指導要領は、「大綱的な最低基準」とするなら法的拘束力がある、と最高裁判所大法廷判決(1976年5月21日)で認められたにすぎないのです。
指導要領に示された内容には触れることを義務付けているだけで、そのうえで発展的な内容を積み上げて状況に合わせたカリキュラムを編成する権限は学校現場に認めれれているものです。
従って、上記の「妊娠の経過は扱わないとされる」という位置づけは、法規扱いをしている学習指導要領の恣意的便宜的解釈で、それ自体が職権乱用の違法行為ですし、その違法な解釈による指導という権限行使も職権乱用で違法行為に当たる可能性が濃いです。
この法的論理は、第三次家永教科書裁判で東京高裁判決(1993年10月20日、川上裁判長)で示され、同裁判の最高裁判決(1997年8月29日、大野裁判長)でも踏襲され、確定しているものです。
ちなみに、同裁判で文部省はこの論理に全く反論できず、争点となった8件の検定事例の内4件を違法検定とされ、最終的には家永氏に40万円の賠償金支払をもって、家永訴訟は国側の敗訴で終結しています(『産経』や寺脇研氏は「国側の勝訴で終わった」としていますが)。
なお「避妊や人工妊娠中絶など、高校で指導する内容を取りあげた」ことが、いかにも不当であるかのようにされていますが、これも言いがかりです。
「最低基準」を満たした上で、適切と授業担当者が判断すれば、高校から大学レベルの内容に及んだとしても、そのこと自他を問題視はできないはずです。
学校教育法では、義務教育学校の目標の第1項の「公正な判断力の育成」を明記しています。
この条項に照らして、足立区の中学の授業こそ合法であって、都教委の今回の指導は法的根拠がどこにあるのか、政治的圧力に過度に迎合した恣意的な権限行使の疑いが濃厚です。
教育委員会の事務方が政治家に屈し易い時、教育現場の主体性を守るのは教育委員の役目のはずではないのか、都民として不満です。
月二回の会議で42万円の給与とか。それに見合った仕事がされているのであればともかくですが。
都教委(教育庁)は叩けば次々とボロがこぼれ出てくるブラックボックス?
私たち「都教委を訴える会」はこれまでに、会議のたびに委員の送迎にハイヤーを手配し、築地の車庫から八王子の委員宅まで空車で行き、八王子と都庁間の送迎をした後、また八王子から築地の車庫まで戻るという、空車走行の方が長い支払い8万円余(タクシーであっても往復5万円以下、JR特急とタクシーなら1万円以下)という無駄遣いの実態を掘り起し、法廷にかけました。
現在の都教委の委員は、電車かタクシー、それに徒歩に切り替えています。何しろ西武線新宿駅からの徒歩区間さえハイヤーを築地から出させていたのです。
こうした実態を都庁の記者クラブでも証拠資料を添えて公表しましたが、報道はされませんでした、
今回の件でも、学習指導要領が「最低基準」であることを報道関係者が熟知していたら、今日の報道の仕方もかなり違ったのではないかという気がします。
ただ、記者ばかりを責めるわけにはいきません。文部省は最高裁大法廷判決で1976年に指導要領は「最適基準」であって、超えてはいけない上限を示したものではないと判示されていたのに、教育現場や教科書執筆者たちが気付いていないのをいいことに、教科書検定などで「指導要領にないことは削除せよ」と、要領を上限とする違法な権限行使を長年続けてきたのです。
そのごまかしが次第に露見してきた1998年夏、ようやく寺脇研氏が長年のすり替え行為を認め(『総合教育技術』88年8月号)、02年の『文部科学白書(旧・文部白書)』で「指導要領は最低基準」と初めて明記したのですから、それまでに「要領」は「上限示しているので、超えてはいけないもの」という通念だ定着し、払拭されていない状況が今に続いていると言えます。
都教委はそうした状況を見越して、前出のような理由付けを意図的にやってのけたのではないか、とは勘ぐりすぎでしょうか。
何しろ都教委は時に狡猾なのです。
以上、高嶋の私見です。 ご参考までに。
転載・拡散は自由です
それを超える教育内容に制限を設けるのはカリキュラム編成権の侵害!
皆さま 高嶋伸欣です
都教委が足立区の公立中学での性教育への指導を名目とした介入を決めた、と報道されています。
根拠は「学習指導要領では受精・妊娠は取り扱うが、妊娠の経過は扱わないとされる」が「足立区の中学の授業では、避妊や人工妊娠中絶など、高校で指導する内容を取り上げた」からとのことです(「東京新聞」26日夕刊)。
この通りであるならば、都教委の指導は法的根拠に欠けた越権行為、職権乱用の違法性が問われます。
学習指導要領は、「大綱的な最低基準」とするなら法的拘束力がある、と最高裁判所大法廷判決(1976年5月21日)で認められたにすぎないのです。
指導要領に示された内容には触れることを義務付けているだけで、そのうえで発展的な内容を積み上げて状況に合わせたカリキュラムを編成する権限は学校現場に認めれれているものです。
従って、上記の「妊娠の経過は扱わないとされる」という位置づけは、法規扱いをしている学習指導要領の恣意的便宜的解釈で、それ自体が職権乱用の違法行為ですし、その違法な解釈による指導という権限行使も職権乱用で違法行為に当たる可能性が濃いです。
この法的論理は、第三次家永教科書裁判で東京高裁判決(1993年10月20日、川上裁判長)で示され、同裁判の最高裁判決(1997年8月29日、大野裁判長)でも踏襲され、確定しているものです。
ちなみに、同裁判で文部省はこの論理に全く反論できず、争点となった8件の検定事例の内4件を違法検定とされ、最終的には家永氏に40万円の賠償金支払をもって、家永訴訟は国側の敗訴で終結しています(『産経』や寺脇研氏は「国側の勝訴で終わった」としていますが)。
なお「避妊や人工妊娠中絶など、高校で指導する内容を取りあげた」ことが、いかにも不当であるかのようにされていますが、これも言いがかりです。
「最低基準」を満たした上で、適切と授業担当者が判断すれば、高校から大学レベルの内容に及んだとしても、そのこと自他を問題視はできないはずです。
学校教育法では、義務教育学校の目標の第1項の「公正な判断力の育成」を明記しています。
この条項に照らして、足立区の中学の授業こそ合法であって、都教委の今回の指導は法的根拠がどこにあるのか、政治的圧力に過度に迎合した恣意的な権限行使の疑いが濃厚です。
教育委員会の事務方が政治家に屈し易い時、教育現場の主体性を守るのは教育委員の役目のはずではないのか、都民として不満です。
月二回の会議で42万円の給与とか。それに見合った仕事がされているのであればともかくですが。
都教委(教育庁)は叩けば次々とボロがこぼれ出てくるブラックボックス?
私たち「都教委を訴える会」はこれまでに、会議のたびに委員の送迎にハイヤーを手配し、築地の車庫から八王子の委員宅まで空車で行き、八王子と都庁間の送迎をした後、また八王子から築地の車庫まで戻るという、空車走行の方が長い支払い8万円余(タクシーであっても往復5万円以下、JR特急とタクシーなら1万円以下)という無駄遣いの実態を掘り起し、法廷にかけました。
現在の都教委の委員は、電車かタクシー、それに徒歩に切り替えています。何しろ西武線新宿駅からの徒歩区間さえハイヤーを築地から出させていたのです。
こうした実態を都庁の記者クラブでも証拠資料を添えて公表しましたが、報道はされませんでした、
今回の件でも、学習指導要領が「最低基準」であることを報道関係者が熟知していたら、今日の報道の仕方もかなり違ったのではないかという気がします。
ただ、記者ばかりを責めるわけにはいきません。文部省は最高裁大法廷判決で1976年に指導要領は「最適基準」であって、超えてはいけない上限を示したものではないと判示されていたのに、教育現場や教科書執筆者たちが気付いていないのをいいことに、教科書検定などで「指導要領にないことは削除せよ」と、要領を上限とする違法な権限行使を長年続けてきたのです。
そのごまかしが次第に露見してきた1998年夏、ようやく寺脇研氏が長年のすり替え行為を認め(『総合教育技術』88年8月号)、02年の『文部科学白書(旧・文部白書)』で「指導要領は最低基準」と初めて明記したのですから、それまでに「要領」は「上限示しているので、超えてはいけないもの」という通念だ定着し、払拭されていない状況が今に続いていると言えます。
都教委はそうした状況を見越して、前出のような理由付けを意図的にやってのけたのではないか、とは勘ぐりすぎでしょうか。
何しろ都教委は時に狡猾なのです。
以上、高嶋の私見です。 ご参考までに。
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