☆ 関東大震災朝鮮人犠牲者迫悼式典と東京都の責務
宮川泰彦(9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会)
1 関東大震災50周年・1973年に東京都横網町公園内に関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑が建立され、翌1974年以降追悼碑前で関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典が執り行われています。
追悼の碑建立、追悼碑に刻まれた碑文と東京都の関係を確認します。
○朝鮮人犠牲者を心から追悼し、不幸な歴史を再び繰り返さず、日朝友好と在日朝鮮人との親善を促進したい、との思いから追悼行事実行員会が発足し、13名の実行委員会が構成され、その中には当時の都議会各派(自民・社会・公明・共産・民社)の幹事長も参加し、都議会全会派の賛同・協力のもと.追悼碑が建立されました。
○朝鮮人犠牲者追悼碑は追悼行事実行員会から東京都横網町公園に寄付(正式な寄付申請は1973年8月1日)。追悼の碑の所有者は東京都です。
○追悼碑の前の石碑には「この歴史、永遠に忘れず、在日朝鮮人と固く手を握り、日朝親善、アジア平和を打ちたてん」と記された石板があり、その左側には趣旨などが刻まれた石碑があり、「・・・関東大震災の混乱の中で、あやまった策動と流言飛語のため、六千人余にのぼる朝鮮人が尊い生命が奪われました。・・・・・」と刻まれていますが、誤った策動と流言飛語の主体・官憲の文字が消えています。
この主語の削除を求める都側の要求に対し追悼実行委員会は抵抗しましたが、9月1日の鍬入れ式が目の前に迫っているため、やむを得ず応じたとのことです。
○東京都は追悼碑碑の所有・管理者であること、石碑の文には責任をもっていること等などに照らすと東京都知事が毎年9月1日に執り行われる朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼の辞を送付してきたのは当然のことです。
2 小池都知事になって就任2年目以降は追悼の辞送付を拒否
○歴代の都知事は(就任1年目の小池都知事も)追悼式典実行員会の要求に応じて毎年式典に追悼の辞を送付し、式典会場で紹介されてきました。
「強度の混乱の中、多くの在日朝鮮人の方々がいわれのない被害を受け、犠牲になられたという事件は我が国の歴史の中でも稀に盛る誠に痛ましい出来事でした」
「私たちはこのような不幸な出来事を二度と繰り返すことなく、誰もが安全な社会生活を営めるよう、世代を超えて語り継いでいかねばなりません」
と述べてきました。
○ところが、就任2年目の小池都知事は「慰霊堂で執り行われている大法要に参列し全ての被災者に追悼の辞を送っているから」、との理由で都知事の辞送付は差し控える旨の応答です。この小池都知事の対応は、二度手間論(あるいは虐殺否定論)です。
歴代の都知事も慰霊堂への参列はしていたのだが、小池都知事によれば歴代都知事は二度手間を続けてきたというのだろうか。
自然災害で命を失った犠牲者と人の手によって命を奪われた被害者を一括りにするもので、人道上の観点からも大きな問題を提起している。
○行政の継続性からも問題
歴代都知事が送付してきた追悼の辞を小池都知事2年目になって取り止めるには高度の政治性・必要性が求められる。永年継続してきた行政を時のトップの意向で断絶させるには行政の継続・安定と言う観点からも重大な問題を抱えている。
○歴史認識を行政のトップの判断で変えてはいないか。
○虐殺事実を認めない・認めたくない行政のトップに忖度した動きはないか。
『関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会』(2023年8月31日)
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