☆ 「汚染水」の海洋放出と、関東大震災時の虐殺事件と
岡山です。
こんばんは。夜分お騒がせします。
「海洋放出」について、「処理水」と呼ぶことで安全であるかのような印象を与え、放射能汚染の拡散を「風評被害」の問題として、人々の受け止め方の問題にすり替えているように受け止めています。
これは陸上においては、農産物に対する「風評被害」を強調し、福島周辺の低線量被曝の問題に触れないようにしてきたことと連動していると思います。
*れいわ新選組の声明(8/23)(リンク)が、「汚染水」と呼び続ける根拠などを分かりやすく示していました。
*見えないはずの放射線の問題を可視化している1043基のタンク、プレコンパックなど積み重ねられた汚染土、これらをなくすことで原発事故をなかったことにしようとしていることは、小出裕章氏が指摘(リンク)されています。
これは、100年目を迎えた関東大震災時の朝鮮人等の虐殺事件に対する日本政府等の姿勢と同じです。
私は、田中正敬氏(専修大)や、犠牲者の遺骨発掘などに取り組まれてきた矢野恭子氏(ほうせんか)のお話を伺って、警察や軍隊を通した「妄動」などの情報伝達と、これを受けた新聞報道が、市民に自警団等を組織させ、東京区部を中心に関東各地での事件を煽ったことが分かってきました。
「混乱の中で」「流言が飛び」「偶発的に」起こった事件ではなく、そう仕向けた動きがあったということです。
100年目ということもあって、今年は例年になく報道が多いように思います。
最近のNHKの二つの番組も虐殺事件を事実として扱っています。
※8/21解説委員室「関東大震災100年 流言による惨事は"過去のこと"か」(リンク)
※8/31クローズアップ現代「集団の“狂気”なぜ ~関東大震災100年“虐殺”の教訓~」(リンク)
しかし、これを調査しようともしない日本政府は、これまで同様あったことをなかったことにして、責任を回避したいのではと考えます。事実確認によって責任を明らかにし、謝罪、補償があって初めて再発が防止されます。
「海洋放出」については、日本の内外をとわず人々を危険にさらすという点で同じことが言えるかと思います。
呉江浩中国大使の発言8/29(リンク)など、多方面から指摘されている問題点をごまかす政府の作為があり、政府発表のままの報道されることで、人々の被曝の危険認識が妨げられ、結果として、長い年月をかけて身体に深刻な影響を被る可能性があるからです。
これは形をかえた虐殺のように思えます。
平和国家、主権在民の民主主義国家として再出発したはずの戦後日本が、実は根底においては戦前の体制を受け継いできて、一方では「差別」による人々の分断を通して「国民意識」を固め、他方ではその「国民」よりも「国家」を大事にして、様々な場面で「棄民」をくり返しているように見えます。
「海洋放出」の強行は、内外の人々の犠牲を省みない政府の姿勢をあからさまにしたという点で、軍事大国への転換をもう一つ象徴的に表わしているように考えます。
なお、映画『福田村事件』、本日早速見てきました。なかなか良く出来た映画です。
平凡な日常を生きていた人たちがどうして集団殺戮に走ってしまったのか、日本人として考えなければならない問題を突き付けられた気がします。
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