◆ 日本は男女平等では世界の後進国
ILOでセクハラ含む条約制定へ報告採択 (『週刊新社会』)
◆ 国際基準作り
去る6月8日にジュネーヴで開催された国際労働機関(ILO)第107回総会において、「仕事の世界における暴力とハラスメント」基準設定委員会の報告が採択された。
職場における暴力やセクハラを含むあらゆるハラスメントをなくすための条約など、やっと本格的な国際基準作りへ動きが始まった。
ハラスメントの規定や防止対策、被害者支援などを盛り込んだ条約に、拘束力の有無などを調整した草案の採択を来年度のILO総会で目指し、法的整備も求めていく。
1791年に男女平等の権利を主張したオランプ・ドゥ・グージュの『女性および女性市民の権利宣言』が発表されてから227年目のこと
である。
それほど人類史は男性の権利中心の歴史に塗られ、女性はその男性力に便乗ないし利用して生きるか、多くの負担を背負い、たくさんの犠牲を払いながら社会に進出するほかない時代が続いている。
世界的国家だと自画自賛する日本だが、植民地支配や侵略戦争の歴史、そして原爆投下や空襲による廃嘘からの復興の歴史を通して、従順かつ物静かな良妻賢母型を美化してきた政治や教育の効果は社会に根強く残り、国際社会から見れば男女平等においては世界の後進国である。
世界経済フォーラム(WEF)が2006年以後、毎年報告している世界男女格差(Global Gender Gap)の2017年報告書によれば、日本は144力国の中の114位である。
「政治権限」「経済活動への機会」「健康」「教育」の男女格差で順位を示すのだが、日本は2015年の101位、2016年の111位から後退している。
安倍内閣が唱えるすべての女性が輝く社会になるためには、“人”が優先される社会のための政府・行政・言論・学校や家庭内での多角的取り組みが行われなければならない。
男女格差で123位と後退を見せた日本の政治分野だが、世襲政治家の大半が男性である。社会発展のために志をもって女性が選挙に出ようとしてもその負担は男性より重く、出たとしても、“下着を見せたら一票やる”“女はスカートを着たら大臣になれる”などの低俗な暴言に晒され、屈辱を受けざるを得ない。
男が占める比率の高いメディアの影響も加わり、女性はセクハラの対象ないし軽視され、色眼鏡のバイアスが複雑に交差し、日本は経済先進国よりもセクハラ大国という汚名から免れにくくなる。
◆ 「人権教育」を
今の若者は国境の越え方に抵抗のない多文化共生社会に生きており、世界をまたぐ時代を享受している。女性差別が付きまとう日本社会の矛盾に限界を感じるはずである。
彼らが担う明日のためにも、殺戮(さつりく)の戦争時代を栄華だと美化に走る無責任な時代逆行を止めることだ。
誇らしい日本にするには、命を大事にする福祉環境に尽力し、天恵の自然環境を保全し、タイの洞窟の子ども救援で見られたようなグローバル支援隊に力を注ぎ、人権先進国として世界を導くことである。
多文化共生社会化が進む世界の実態を直視し、男女の垣根を越えて乎和な日本を担える人材を育成するためにも、早期からの人権教育に積極的に取り組むことが必要である。
そして、少数弱者層をはじめ相手側を理解するトレーニングも兼ねた関連施設・教育機関などでの研修の機会も増やすことが望ましい。
育児、介護、火事など女性に偏りがちな負担を社会的に最大限配慮する職場作りと支援策に叡智を結集し、世界でも模範的な男女平等の労働環境を構築すること、それが今後、日本が歩むべき道である。
◆ 人権不在の空間に追い詰める
教員養成大学に在籍中の筆者の調査によれば、日本の現職教員たちも育児・介護・家事などを担うのは圧倒的に女性の方である。
文科省が行った「平成27年度公立学校教職員の人事行政状況調査」によれば、校長・副校長などの女性管理職の割合は過去最高の16・0%であるが、それでも男性の6分の1にも満たない。
また、育児休業の取得割合は、男性は1・8%、女性が96・5%で、介護休暇取得状況は、男性が267人に比べ女性が1,129人で、ある中年の女性教師は子どもの病気介護に明け暮れ、近場の旅行なども想像したことがないと嘆いていた。
東京の中小企業に就職した教え子が昼休みに新聞を読んだだけで、女が新聞を読むということでシカトされ、翌年の男性新入社員が同じことをすると、さすがインテリだと褒める差別を目の当たりにし、結局会社を辞めて大学院へ進学している。
これらは氷山の一角に過ぎない。日本の根底に潜む男性中心の村社会、家父長制度に、1890年の教育勅語以後に形成された男女観の固定観念、好戦主義者らによって生じた戦争に起因する女性蔑視(日本軍慰安婦問題も含む)、帝国主義的残像から生まれた貧困や経済格差の弊害が女性労働者をないがしろにしてきたことによって傲慢な歴史を許してきたのであろう。
◆ 近代は戦争の世紀
日本の近代は戦争の世紀であった。その中で、儒教文化の夫婦有別(孟子)という男尊女卑を下地に「良妻賢母教育」(森有礼文部大臣)が実施され、天皇制を頂点に強固な家父長制を作り、強い戦力のための“健康体の男”の兵士が讃えられ、“男”中心社会が形成されてきた。
戦後もその構造は変わることなく、男たちを企業戦士と褒め称え、家庭内や職場での女性の活動には限界があった。欧米文化の流入も必ずしも変革的なものではなかった。
ディズニー映画をとっても、『白雪姫』(1937年)を始め、『シンデレラ』(1950年)、『眠れる森の美女』(1959年)、『リトルマーメイド』(1989年)、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)までを見ると、物静かで美しく、お淑やかなプリンセスが強調され、献身的で我慢強い美女たちが力を持つ素敵な王子に選ばれるという結末になつている。
作品は人間的内面や自立した個々人の能力や努力が重視されるより、女性を“待つ身”と捉え、外見至上主義が根底に敷かれ、絶対権力を持つ男性に救われるか弱い女性の構図に描かれている。
さらに、男女平等の社会観は軽視され、権力者や富裕層の違に運よく出会い、玉の輿に乗る容易でない生き方に憧憬を覚える人々の量産に少なくない影響を与えた。
つまり、女性の社会進出における男女差別問題や各種ハラスメント問題は長い年月を通して複雑な要素と絡み合い、根強い偏見や差別を生み出してきたため、抜本的改善のためには世界規模での対応が必要となってくる。
しかし、世界には男性(集団や組織を含む)が圧倒的力を持っ絶対権力社会が存在し、日本のような先進国ですら多発する職場でのハラスメントに怒りを噴出させることはあまりない。
そこには両大戦間期から残存する沈黙と我慢を美意識化してきた村八分の購図や、トップダウン式の政策で受け身に慣れつつ、次第に他者の苦しみに無関心となり、出る杭で打たれるより目立たないで生きることが術であるかのように強いる日本社会全体の暴力的構図が背景にあることは否めない。
その結果、日本は世界で活躍できる人材育成には失敗し、安倍政権は日本を知るより英語習得を通してのグローバル化に力を入れており、働く女性が輝くどころか、現実に疲れ果てて、晩婚、非婚を選択するケースが増加している。
◆ 偏見・差別が絡み合う仕事
もちろん、これは日本だけの問題ではなく、隣の韓国も同じ状況である。むしろ、韓国は外部勢力によって国が支配され、大国の代理我争で同族間の戦争と分断が続いているため、南北両方とも強い民族統合政策で国家運営がなされてきた。
だが、多くの人々がネットの発達と情報氾濫の中から国の現状や歴史の矛盾に目覚めるようになり、高まった民意は不正腐敗を許すまいと、個々人を蝋燭デモへと向かわせ、世界で類を見ない無血革命で政権を倒した。
その勢いは男女問題にも発展し、儒教と軍隊文化が根強く残る韓国社会の弊害にまで及び、日頃の男女差別の問題化、日本軍「慰安婦」犠牲者支援、#MeToo(セクハラ告発)運動へと拡散した。
とくに女性の検事ですら男性検事からのセクハラ、それを黙らせるパワハラを受けていたことが明らかになり、ノーベル文学賞候補だと言われてきた著名文学者による女性文学者たちへの長年のセクハラ・パワハラ問題が浮上し、保守的で閉鎖的だと言われた文化芸術界を代表する著名人や大学の教授らが相次いで訴えられ、刑務所行きとなった。
さらには、民主化運動家出身で次期大統領の有力候補だと言われた安煕正・忠南道知事(当時)による秘書への性暴行問題や、アシアナ空港の社長に対する女性乗務員たちの忠誠儀式に潜んだ強いパワハラ構造が明るみに出された。
それらを通して絶対権力で君臨する上司に、生計のために身動きがとれない女性職員たちを人権不在の空間に追い詰め、歪んだ各種ハラスメントが行われてきた仕組みが赤裸々に伝わり韓国社会を驚愕させた。
世界規模で広がった#MeTooキャンペーンが導火線になり、一人で悩んでいた人もSNSを通して声を出すようになり、それらを応援・支持する#WithYou(あなたとともに)運動が連帯と共感の広がりを見せている。
◆ 連帯と共感広がる
ILOでもやっと職場内の様々なハラスメントの根絶を求める声やそれらの対策のための法整備を課題として取り上げている。
日本でも多発しているハラスメント問題は、しかし被害者の声が社会全体の大きな怒りにまでは至っていない。我慢や無関心は次の犯罪を容認することになり、被害を増幅させることにつながる。
“私だけ我慢すれば”が、職場環境をダメにしていく。
各種ハラスメントや偏見・差別が絡み合う仕事の空間には様々な暴力装置がおかれ、自立や社会活動を試みる女性労働者にとってはピラミッド型の権力の構図から個々人が抜け出ることはそう容易ではない。
しかし、声を出し、社会を変える連帯を培い、働きやすい環境にしていくこと、それによって「人間らしく、効率よく働ける」空間と自由が確保されるのである。
世界は動いている。
隣の韓国社会も変革のうねりを見せている。日本社会はどこまで両性平等社会に近づけるだろうか。
『週刊新社会』(2018年8月28日・9月4日)
ILOでセクハラ含む条約制定へ報告採択 (『週刊新社会』)
東京学芸大学教授 李 修京
◆ 国際基準作り
去る6月8日にジュネーヴで開催された国際労働機関(ILO)第107回総会において、「仕事の世界における暴力とハラスメント」基準設定委員会の報告が採択された。
職場における暴力やセクハラを含むあらゆるハラスメントをなくすための条約など、やっと本格的な国際基準作りへ動きが始まった。
ハラスメントの規定や防止対策、被害者支援などを盛り込んだ条約に、拘束力の有無などを調整した草案の採択を来年度のILO総会で目指し、法的整備も求めていく。
1791年に男女平等の権利を主張したオランプ・ドゥ・グージュの『女性および女性市民の権利宣言』が発表されてから227年目のこと
である。
それほど人類史は男性の権利中心の歴史に塗られ、女性はその男性力に便乗ないし利用して生きるか、多くの負担を背負い、たくさんの犠牲を払いながら社会に進出するほかない時代が続いている。
世界的国家だと自画自賛する日本だが、植民地支配や侵略戦争の歴史、そして原爆投下や空襲による廃嘘からの復興の歴史を通して、従順かつ物静かな良妻賢母型を美化してきた政治や教育の効果は社会に根強く残り、国際社会から見れば男女平等においては世界の後進国である。
世界経済フォーラム(WEF)が2006年以後、毎年報告している世界男女格差(Global Gender Gap)の2017年報告書によれば、日本は144力国の中の114位である。
「政治権限」「経済活動への機会」「健康」「教育」の男女格差で順位を示すのだが、日本は2015年の101位、2016年の111位から後退している。
安倍内閣が唱えるすべての女性が輝く社会になるためには、“人”が優先される社会のための政府・行政・言論・学校や家庭内での多角的取り組みが行われなければならない。
男女格差で123位と後退を見せた日本の政治分野だが、世襲政治家の大半が男性である。社会発展のために志をもって女性が選挙に出ようとしてもその負担は男性より重く、出たとしても、“下着を見せたら一票やる”“女はスカートを着たら大臣になれる”などの低俗な暴言に晒され、屈辱を受けざるを得ない。
男が占める比率の高いメディアの影響も加わり、女性はセクハラの対象ないし軽視され、色眼鏡のバイアスが複雑に交差し、日本は経済先進国よりもセクハラ大国という汚名から免れにくくなる。
◆ 「人権教育」を
今の若者は国境の越え方に抵抗のない多文化共生社会に生きており、世界をまたぐ時代を享受している。女性差別が付きまとう日本社会の矛盾に限界を感じるはずである。
彼らが担う明日のためにも、殺戮(さつりく)の戦争時代を栄華だと美化に走る無責任な時代逆行を止めることだ。
誇らしい日本にするには、命を大事にする福祉環境に尽力し、天恵の自然環境を保全し、タイの洞窟の子ども救援で見られたようなグローバル支援隊に力を注ぎ、人権先進国として世界を導くことである。
多文化共生社会化が進む世界の実態を直視し、男女の垣根を越えて乎和な日本を担える人材を育成するためにも、早期からの人権教育に積極的に取り組むことが必要である。
そして、少数弱者層をはじめ相手側を理解するトレーニングも兼ねた関連施設・教育機関などでの研修の機会も増やすことが望ましい。
育児、介護、火事など女性に偏りがちな負担を社会的に最大限配慮する職場作りと支援策に叡智を結集し、世界でも模範的な男女平等の労働環境を構築すること、それが今後、日本が歩むべき道である。
◆ 人権不在の空間に追い詰める
教員養成大学に在籍中の筆者の調査によれば、日本の現職教員たちも育児・介護・家事などを担うのは圧倒的に女性の方である。
文科省が行った「平成27年度公立学校教職員の人事行政状況調査」によれば、校長・副校長などの女性管理職の割合は過去最高の16・0%であるが、それでも男性の6分の1にも満たない。
また、育児休業の取得割合は、男性は1・8%、女性が96・5%で、介護休暇取得状況は、男性が267人に比べ女性が1,129人で、ある中年の女性教師は子どもの病気介護に明け暮れ、近場の旅行なども想像したことがないと嘆いていた。
東京の中小企業に就職した教え子が昼休みに新聞を読んだだけで、女が新聞を読むということでシカトされ、翌年の男性新入社員が同じことをすると、さすがインテリだと褒める差別を目の当たりにし、結局会社を辞めて大学院へ進学している。
これらは氷山の一角に過ぎない。日本の根底に潜む男性中心の村社会、家父長制度に、1890年の教育勅語以後に形成された男女観の固定観念、好戦主義者らによって生じた戦争に起因する女性蔑視(日本軍慰安婦問題も含む)、帝国主義的残像から生まれた貧困や経済格差の弊害が女性労働者をないがしろにしてきたことによって傲慢な歴史を許してきたのであろう。
◆ 近代は戦争の世紀
日本の近代は戦争の世紀であった。その中で、儒教文化の夫婦有別(孟子)という男尊女卑を下地に「良妻賢母教育」(森有礼文部大臣)が実施され、天皇制を頂点に強固な家父長制を作り、強い戦力のための“健康体の男”の兵士が讃えられ、“男”中心社会が形成されてきた。
戦後もその構造は変わることなく、男たちを企業戦士と褒め称え、家庭内や職場での女性の活動には限界があった。欧米文化の流入も必ずしも変革的なものではなかった。
ディズニー映画をとっても、『白雪姫』(1937年)を始め、『シンデレラ』(1950年)、『眠れる森の美女』(1959年)、『リトルマーメイド』(1989年)、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)までを見ると、物静かで美しく、お淑やかなプリンセスが強調され、献身的で我慢強い美女たちが力を持つ素敵な王子に選ばれるという結末になつている。
作品は人間的内面や自立した個々人の能力や努力が重視されるより、女性を“待つ身”と捉え、外見至上主義が根底に敷かれ、絶対権力を持つ男性に救われるか弱い女性の構図に描かれている。
さらに、男女平等の社会観は軽視され、権力者や富裕層の違に運よく出会い、玉の輿に乗る容易でない生き方に憧憬を覚える人々の量産に少なくない影響を与えた。
つまり、女性の社会進出における男女差別問題や各種ハラスメント問題は長い年月を通して複雑な要素と絡み合い、根強い偏見や差別を生み出してきたため、抜本的改善のためには世界規模での対応が必要となってくる。
しかし、世界には男性(集団や組織を含む)が圧倒的力を持っ絶対権力社会が存在し、日本のような先進国ですら多発する職場でのハラスメントに怒りを噴出させることはあまりない。
そこには両大戦間期から残存する沈黙と我慢を美意識化してきた村八分の購図や、トップダウン式の政策で受け身に慣れつつ、次第に他者の苦しみに無関心となり、出る杭で打たれるより目立たないで生きることが術であるかのように強いる日本社会全体の暴力的構図が背景にあることは否めない。
その結果、日本は世界で活躍できる人材育成には失敗し、安倍政権は日本を知るより英語習得を通してのグローバル化に力を入れており、働く女性が輝くどころか、現実に疲れ果てて、晩婚、非婚を選択するケースが増加している。
◆ 偏見・差別が絡み合う仕事
もちろん、これは日本だけの問題ではなく、隣の韓国も同じ状況である。むしろ、韓国は外部勢力によって国が支配され、大国の代理我争で同族間の戦争と分断が続いているため、南北両方とも強い民族統合政策で国家運営がなされてきた。
だが、多くの人々がネットの発達と情報氾濫の中から国の現状や歴史の矛盾に目覚めるようになり、高まった民意は不正腐敗を許すまいと、個々人を蝋燭デモへと向かわせ、世界で類を見ない無血革命で政権を倒した。
その勢いは男女問題にも発展し、儒教と軍隊文化が根強く残る韓国社会の弊害にまで及び、日頃の男女差別の問題化、日本軍「慰安婦」犠牲者支援、#MeToo(セクハラ告発)運動へと拡散した。
とくに女性の検事ですら男性検事からのセクハラ、それを黙らせるパワハラを受けていたことが明らかになり、ノーベル文学賞候補だと言われてきた著名文学者による女性文学者たちへの長年のセクハラ・パワハラ問題が浮上し、保守的で閉鎖的だと言われた文化芸術界を代表する著名人や大学の教授らが相次いで訴えられ、刑務所行きとなった。
さらには、民主化運動家出身で次期大統領の有力候補だと言われた安煕正・忠南道知事(当時)による秘書への性暴行問題や、アシアナ空港の社長に対する女性乗務員たちの忠誠儀式に潜んだ強いパワハラ構造が明るみに出された。
それらを通して絶対権力で君臨する上司に、生計のために身動きがとれない女性職員たちを人権不在の空間に追い詰め、歪んだ各種ハラスメントが行われてきた仕組みが赤裸々に伝わり韓国社会を驚愕させた。
世界規模で広がった#MeTooキャンペーンが導火線になり、一人で悩んでいた人もSNSを通して声を出すようになり、それらを応援・支持する#WithYou(あなたとともに)運動が連帯と共感の広がりを見せている。
◆ 連帯と共感広がる
ILOでもやっと職場内の様々なハラスメントの根絶を求める声やそれらの対策のための法整備を課題として取り上げている。
日本でも多発しているハラスメント問題は、しかし被害者の声が社会全体の大きな怒りにまでは至っていない。我慢や無関心は次の犯罪を容認することになり、被害を増幅させることにつながる。
“私だけ我慢すれば”が、職場環境をダメにしていく。
各種ハラスメントや偏見・差別が絡み合う仕事の空間には様々な暴力装置がおかれ、自立や社会活動を試みる女性労働者にとってはピラミッド型の権力の構図から個々人が抜け出ることはそう容易ではない。
しかし、声を出し、社会を変える連帯を培い、働きやすい環境にしていくこと、それによって「人間らしく、効率よく働ける」空間と自由が確保されるのである。
世界は動いている。
隣の韓国社会も変革のうねりを見せている。日本社会はどこまで両性平等社会に近づけるだろうか。
『週刊新社会』(2018年8月28日・9月4日)
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