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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

若者受難の時代と教育基本法

2006年12月04日 | 平和憲法
  若者受難の時代と教育基本法

 教育基本法改正の参院審議が始まった。

 パラサイト・シングル、フリーター、アルバイト、ニート、ひきこもり、非正規雇用、格差社会、下流社会、使い捨て、少子化、負け組、貧困化、二極化、世代間格差、社会的弱者、無年金者、未婚化、晩婚化、できちゃった婚、おひとりさま、ストレス社会、犯罪の若年化、落ちこぼれ、学力低下、個食、孤食、不安定、やる気なさ、横ならび感覚、希望がもてない、決められない、選択の自由、自己選択・自己責任などなど、巷にひろがる若者にまつわる言葉をとりだしてみた。あらためてみるとマイナスイメージがなんと多いのだろうか。

 『若者が「社会的弱者」に転落する』(2002年・洋泉社新書)を著した宮本みち子さんは、「青年が成人になる時期が遅くなっている、躊躇している若者が増え、青年期と成人期の間の「ポスト青年期」といわれるライフステージが出現し、これは先進国に共通した現象」という。

 日本の高度経済成長期に子ども時代をすごし、その消費文化に恩恵を受けてきた1980年代の独身貴族は、大学・短大進学率4割、20代から30代の未婚率が上昇に転じ、稼ぎ以上の暮らしを謳歌していた。「大人になれない未熟な若者」が社会化し、1990年代には、自由な時間、十分な小遣い、恵まれた家庭環境が、親と同居の未婚者を「パラサイトシングル」と、自立できない若者を称するようになった。

 しかし、バブル経済の破綻以降、1990年代後半の1997年(1998年)を境に、若者たちは学校から仕事へとスムーズに移行できなくなってきている。規制緩和・グローバリゼーション、という社会経済構造の変化が、若者世代の意識・暮らしへと多大に影響している。高等教育を卒業しても仕事が得られない、正社員になれない、就職しても自分の思った/やりたかった仕事ではないと離職する、更なる高等教育を受け就労しない期間が延び、ポスト青年期の時代が長くなっている。



 男性のフルタイム労働者(一般労働者)の2004年実質所得は、388.43万円で前年より若干下がり2001年より低く、1時間当たりの2004年実質賃金は1988年の1047円より低く1022円である。男性のパートタイム労働者は、1988年12.7万人から2004年には64.6万人と年々増加しているが、給与額は146.7万円から128.4万円と下がっている。労働時間が短くなっているからだ。

 一方、女性のフルタイム労働者は男性の約7割の所得で、女性労働者数は増加しているが、パートタイム労働者が増加し(1988年の約1.9倍、258万人)、フルタイム労働者は556.9万人(1988年)が509.2万人へと減っている。また、世帯あたりの実質可処分所得は、20~29歳の395万円(88年)が403万円(2003年)、30~39歳501万円が511万円と、子育て世代全体も90年代と殆ど変わっていない。

 貯蓄残高ゼロ世帯も1988年の6.7%が、2003年には3倍の21.8%となっている。ジニ係数(所得の分布が完全平等状態からどれだけ乖離しているか、0~1の間の係数で、0が平等)をみると、1987年、20~24歳男性0.186、25~29歳男性0.184が、2002年20~24歳0.216、25~29歳0.204と拡大していて、その幅が大きいのも若年層である。いずれも多くが子育て世代といわれる若者たちであり、パート、アルバイトが増加し、所得格差が拡大しているといえる。(厚生労働省平成17年版国民生活白書「子育て世代の意識生活」、平成17年度賃金構造基本統計調査より)。

 子育て世代(20~49歳)の就労機会や収入の減少から未婚化、晩婚化、フリーター化、非正規雇用化、貧困化がすすんできているにも関わらず、若者たちのやる気のなさや飽きっぽさ、我慢のなさなど若者バッシングに今でもすりかえられているのではないか。



 従前の、高等教育を卒業するとそのまま会社に就職し定年までその会社で仕事をするという終身雇用社会で、ある意味ポスト青年期は、企業で訓練され「自立」してきたともいえる。そのため日本での若者施策は遅れていたが、ヨーロッパでは、ポスト青年期問題が社会問題として政策がとられてきた。フランスでは、就労・職業訓練機関が国内に300ヶ所以上あり、学校を卒業して社会にでるまでの間、いつでも訓練機関で受講できる。国が個人の支援をするときいた。

 日本でも、若年者の適職探しのため、経済産業省・厚生労働省などが2004年からジョブカフェのモデル事業を実施してきた。ジョブカフェとは、2003年に国が策定した「若者自立・挑戦プラン」の一環として地域の実情にあった若者の能力向上と就業促進を図るために若者が雇用関連情報やサービスを1箇所でまとめて受けられるようにと各都道府県に設置されたセンターである。ジョブカフェ、インターンシップ制(企業や団体で実務を経験する研修)など、ようやく若者の自立や就労を促す施策がとられるようになってきた。

 しかし、まだまだ就労訓練や学校教育との連携など検討課題は多々あるので、さらなる社会政策が議論され実行されることを望むとともに、若者自体が立ち上がりNPOなどの訓練機関や政策をたてていくことも一計ではないだろうか。(参考:ジョブカフェ・サポートセンター)



 さて、教育基本法改正案(政府案)が11月15日衆議院特別委員会で与党のみで採決、翌16日の本会議で野党欠席のまま採決がされ、参議院に審議の場が移された。第164回通常国会・今国会での衆議院特別委員会での審議の過程をみると、なぜ教育基本法をかえなければいけないのか、その根拠や問題点が提案法案の逐条ごとにきちんと説明されていない。子どもたちの育ちなど全く考慮していないに等しいではないか。

 今一度ここで、教育基本法の前文、そして、政府案では削除された第2条(教育の方針)「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」を熟慮したい。

 現行法第1条「教育の目的」「(前略)平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期しておこなわれなければならない」が政府案では、「(前略)国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と簡略化されていて、個人の価値や自主的精神に充ちた国民の育成ではないのが気にかかる。

 また、現行の第2条(教育の方針)が削除され、新たに「教育の目標」が付け加えられた。現2条は第1条を実現するために「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」と簡潔明瞭である。

 ところが改正案(政府案)では、「教育の目標」が5項目も掲げられ「それにそう態度を養う」ことが目標だという。いわゆる「愛国心」の他に、生涯学習の理念や職業生活との関連の明確化などが項目化された。6月の委員会では、改正法の第2条第2項に「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う」ことで、職業生活との関連に大変重きを置いているという発言が見受けられた。「(第2条第2項は)専修学校も含めた職業教育の重要性を明らかにしている」という大臣答弁だが、なら先ず、これまでの政策を見直し、各種学校での職業教育だけでなく多様な訓練機会提供が必要なのではないか。

 失敗をしてもやり直しができる力を育むもの、自分自身で解決する力をつけていくことが教育であり、若者たちこそ、その育ちの過程でのやり直しが必要だと思うが、政府案では努力しない人や能力が育っていない人は切り捨てられていくようだ何も考えずに「態度を養う」ことや国のために奉仕しろ、愛国心をもって押し付ければよいと本当に考えているのだろうか。

 未来ある若者たちへの真の支援を切に願うとともに、参議院での慎重審議を心から願う。
(安部宝根)

「インターネット新聞JANJAN」 (2006/11/29)
http://www.janjan.jp/living/0611/0611160816/1.php

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