☆ 根津停職6月処分を取り消した画期的な高裁判快が確定 (「君が代」解雇させない会ニュース)
まさかの勝利判決確定!実にうれしいです。2012年最高裁判決が、私の2006年停職3月処分を適法とした理由=「過去の処分歴等」をまるで「通行証」のように使って、その後2013年9月に出された2005年減給6月、停職1月処分も、更にはこの2007年事件の地裁判決も私の処分を適法としてきたのですから、生涯、私についてだけは処分の取り消しはない、と思ってきましたから。
昨年、須藤判決が出されたとき、判決は2012年1月16日最高裁判決に沿い、かつ、その最判を最大限に駆使して、最高裁で覆されることのない論理展開がされていると思いました。
しかし一方で、最高裁は論理を飛躍して結論ありきとするのではないかとの疑念が消えることはありませんでした。
最高裁で覆されたとしても、須藤判決が出された事実と意味は歴史に残る、とも思っていました。「決定」を受けて、喜びに浸っています。
大勢の方々のご支援があったからこその決定です。皆で決定を共有したいと思います。今までのご支援に感謝いたします。ありがとうございました。
☆ 2012年1月16日最高裁判決
2012年1月16日最判は
①「職務命令は憲法19条に違反するとは言えない」として戒告を容認しましたが、
②「戒告を超える減給以上の処分は違法」とし、根津を除くすべての人たちの減給以上の処分を取り消してきました。しかし特例として、見せしめをつくるかのように
③「過去の処分歴」や「不起立前後の態度等」(併せて「過去の処分歴等」という)「学校の規律や秩序を害する具体的事情があり」、それが受ける不利益よりも重い場合は「戒告を超える減給以上の処分」も適法とし、根津の停職3月処分を取り消しませんでした。
☆ 須藤判決
しかし、須藤・高裁判決は、「『過去の処分歴』は前回根津停職処分において考慮されて」おり、2006年処分から200了年処分に至るまでの間に「処分を加重する新たな個別具体的な事情はない」として、停職6月処分を取り消しました。
「懲戒権者において当然に前の停職処分よりも長期の停職期間を選択してよいということにはならない」
「処分の加重を必要とするような特段の事情が認められるか否かという点に加えて、停職処分を過重することによって根津が受けることになる具体的な不利益の内容も十分勘案して、慎重に検討することが必要」
との基準を示したうえで、同一の「過去の処分歴」を使っての機械的累積過重処分を断罪したのです。
不利益について、「停職6月処分を科すことは、…根津がさらに同種の不起立行為を行った場合に残されている懲戒処分は免職だけであって、次は地方公務員である教員としての身分を失う恐れがあるとの警告を与えることとなり、その影響は、単に期間が倍になったという量的な問題にとどまるものではなく、身分喪失の可能性という著しい質的な違いを根津に対して意識させざるを得ないものであって、極めて大きな心理的圧力を加える」と、停職6月の意味することを明示したうえで、「自己の歴史観や世界観を含む思想等ににより忠実であろうとする教員にとっては、自らの思想や信条を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られることとなり、・・・日本国憲法が保障している個人としての思想及び良心の自由に対する実質的な侵害につながる」(下線は筆者)と判示。
憲法19条の実質的侵害に踏み込んだ判決であり、「君が代」起立を求める職務命令は憲法19条の「間接的制約」と性格付けをして憲法判断を逃げてきた一運の最高裁判決を見直すことに道を拓くのではないかと思います。
なお、都が累積過重処分適法を主張するために「特段の事情」として挙げた2点(停職出勤、朝日新聞紙上においての呼びかけ)については、次のように言いました。
「勤務時間中に勤務場所で行ったのではなく、これらの行為によって具体的に学校の運営が妨害されたような事実はなく、…根津の歴史観や世界観に基づく思想等の表現の自由の一環としてなされたというべきであるから、根津がこれらの行為を行ったことを、…停職期間の加重を基礎づける具体的な事情として大きく評価することは、思想及び良心の自由を保障する日本国憲法の精神に抵触する可能性があり、相当ではない。」
ここでも憲法判断に踏み込みました。
また、損害賠償については、「停職期間中は授業をすることができず、児童生徒との信頼関係の維持にも悪影響が生じ、精神的な苦痛を受けるだけでなく、職場復帰後も信頼関係の再構築等で精神的な苦痛を受けるものと認められ、そのような苦痛は、本件処分の取り消しによって回復される財産的な損害の補てんをもっては十分ではない」と、都に損害賠償金の支払いを命じました。
☆ 須藤判決確定を得て
この判決確定で最もうれしいのは、「君が代」不起立で停職6月以上の処分は原則不可、免職はもってのほかとなったことです(「原則」としたのは、新たな「不起立前後の態度等」が発生していないとの条件は消えていないことから)。
都教委は2008年卒業式処分で私を免職にできなかった後、「分限事由に該当する可能性がある教職員に関する対応指針」を発表。そこには、「職務命令に違反する、職務命令を拒否する」「研修を受講したものの研修の成果が上がらない」など分限免職にしてよい事由をあげており、「君が代」不起立者をターゲットにしたものであること、都教委がこれを2009年卒業式以前に私に適用しようとしたことは間違いありません。
しかし、判決確定によって、都教委は「君が代」不起立で分限免職はできなくなりました。「君が代」不起立を続ける田中聡史さんを分限免職にはできないのです。
また、大阪府教委は2回目の不起立をした教員に「次に職務命令違反を行えば免職もあり得る」と記した「警告書」を渡してきましたが、判決は「警告を与えることは」だめだと判示しています。「同一の職務命令違反3回で免職」を謳った大阪府職員条例は破たんしたも同然です。
憲法に沿った判断をしようとする裁判長に担当してもらえたからの判決であり、決定です。もしも、須藤裁判長に当たっていなかったなら、「規律と秩序を害する」者を処罰することが「公益」という論が強まる中、勝訴はありえなかったと思います。
個人の名誉回復ができないだけでなく、都教委や大阪府教委の暴走を倍加させることになってしまったかもしれません。そう思うと、心の底から須藤裁判長にお礼を申し上げたい気持ちにさえなります。本当は、当たり前の判決なのですが。
ところで、須藤判決を手にすることができたのも、それ以前に「君が代」起立命令に対し闘い続けることができたのも、2001年から1年余にわたる多摩中での攻撃に対し、一緒に闘ってくださった大勢の人たちがいらしたからでした。
私一人であったなら、計画通り簡単に「指導力不足等教員」に認定され、2年後「研修の成果なし」とされ免職にされていた、「君が代」の闘いはできなかった、といっも思っています。ですから、大勢での闘いが勝ちとった須藤判決と最高裁決定です。
2008年にも2009年にも都教委は私を免職にしようと企んでいましたが、大勢の方々が一緒に闘ってくださったことによって、その企みは頓挫。私は、徹底して闘いきることが権力の弾圧を鎮静させ、道を拓くのだということをからだで学びました。
都教委及び国の教育行政に加担することを拒否し、心を偽らずに子どもたちに向き合うことができ、かつ、免職にされずに定年退職を迎えることができて、私個人は幸せをかみしめています。
☆ 子どもたちが戦場に駆り出される今
全ての教職員が「『日の丸』に正対し、『君が代』を起立斉唱する」姿を見せることによって、子どもたちは「そうするもの」と受け取ります。学年が上がるにつれ、更には「お国のために」「愛国心」という意識を醸成させていく子どもも少なくないでしょう。
昨年9月の戦争法の「成立」で、政府が戦場に命を差し出す若者を必要としていること、そしてその手始めが「日の丸・君が代」の強制と「君が代」処分であったこと、政府見解を書かせた教科書や道徳の教科化もそのためであることがより明確になりました。
読者の皆様は私と同様、そのことに対して危機感を持たれていると思います。そうした今、教員には、戦場に送り出すことに加担している現実に向き含ってほしい、自身の仕事の中で子どもたちに語り、同僚に提起してほしいと強く思います。仕事の中で声をあげれば、次に声をあげる人がきっと現れると思います。外から私も、私たちの会もがんばります。
『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇させない会ニュース 57号』(2016.7.6)
根津公子
まさかの勝利判決確定!実にうれしいです。2012年最高裁判決が、私の2006年停職3月処分を適法とした理由=「過去の処分歴等」をまるで「通行証」のように使って、その後2013年9月に出された2005年減給6月、停職1月処分も、更にはこの2007年事件の地裁判決も私の処分を適法としてきたのですから、生涯、私についてだけは処分の取り消しはない、と思ってきましたから。
昨年、須藤判決が出されたとき、判決は2012年1月16日最高裁判決に沿い、かつ、その最判を最大限に駆使して、最高裁で覆されることのない論理展開がされていると思いました。
しかし一方で、最高裁は論理を飛躍して結論ありきとするのではないかとの疑念が消えることはありませんでした。
最高裁で覆されたとしても、須藤判決が出された事実と意味は歴史に残る、とも思っていました。「決定」を受けて、喜びに浸っています。
大勢の方々のご支援があったからこその決定です。皆で決定を共有したいと思います。今までのご支援に感謝いたします。ありがとうございました。
☆ 2012年1月16日最高裁判決
2012年1月16日最判は
①「職務命令は憲法19条に違反するとは言えない」として戒告を容認しましたが、
②「戒告を超える減給以上の処分は違法」とし、根津を除くすべての人たちの減給以上の処分を取り消してきました。しかし特例として、見せしめをつくるかのように
③「過去の処分歴」や「不起立前後の態度等」(併せて「過去の処分歴等」という)「学校の規律や秩序を害する具体的事情があり」、それが受ける不利益よりも重い場合は「戒告を超える減給以上の処分」も適法とし、根津の停職3月処分を取り消しませんでした。
☆ 須藤判決
しかし、須藤・高裁判決は、「『過去の処分歴』は前回根津停職処分において考慮されて」おり、2006年処分から200了年処分に至るまでの間に「処分を加重する新たな個別具体的な事情はない」として、停職6月処分を取り消しました。
「懲戒権者において当然に前の停職処分よりも長期の停職期間を選択してよいということにはならない」
「処分の加重を必要とするような特段の事情が認められるか否かという点に加えて、停職処分を過重することによって根津が受けることになる具体的な不利益の内容も十分勘案して、慎重に検討することが必要」
との基準を示したうえで、同一の「過去の処分歴」を使っての機械的累積過重処分を断罪したのです。
不利益について、「停職6月処分を科すことは、…根津がさらに同種の不起立行為を行った場合に残されている懲戒処分は免職だけであって、次は地方公務員である教員としての身分を失う恐れがあるとの警告を与えることとなり、その影響は、単に期間が倍になったという量的な問題にとどまるものではなく、身分喪失の可能性という著しい質的な違いを根津に対して意識させざるを得ないものであって、極めて大きな心理的圧力を加える」と、停職6月の意味することを明示したうえで、「自己の歴史観や世界観を含む思想等ににより忠実であろうとする教員にとっては、自らの思想や信条を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られることとなり、・・・日本国憲法が保障している個人としての思想及び良心の自由に対する実質的な侵害につながる」(下線は筆者)と判示。
憲法19条の実質的侵害に踏み込んだ判決であり、「君が代」起立を求める職務命令は憲法19条の「間接的制約」と性格付けをして憲法判断を逃げてきた一運の最高裁判決を見直すことに道を拓くのではないかと思います。
なお、都が累積過重処分適法を主張するために「特段の事情」として挙げた2点(停職出勤、朝日新聞紙上においての呼びかけ)については、次のように言いました。
「勤務時間中に勤務場所で行ったのではなく、これらの行為によって具体的に学校の運営が妨害されたような事実はなく、…根津の歴史観や世界観に基づく思想等の表現の自由の一環としてなされたというべきであるから、根津がこれらの行為を行ったことを、…停職期間の加重を基礎づける具体的な事情として大きく評価することは、思想及び良心の自由を保障する日本国憲法の精神に抵触する可能性があり、相当ではない。」
ここでも憲法判断に踏み込みました。
また、損害賠償については、「停職期間中は授業をすることができず、児童生徒との信頼関係の維持にも悪影響が生じ、精神的な苦痛を受けるだけでなく、職場復帰後も信頼関係の再構築等で精神的な苦痛を受けるものと認められ、そのような苦痛は、本件処分の取り消しによって回復される財産的な損害の補てんをもっては十分ではない」と、都に損害賠償金の支払いを命じました。
☆ 須藤判決確定を得て
この判決確定で最もうれしいのは、「君が代」不起立で停職6月以上の処分は原則不可、免職はもってのほかとなったことです(「原則」としたのは、新たな「不起立前後の態度等」が発生していないとの条件は消えていないことから)。
都教委は2008年卒業式処分で私を免職にできなかった後、「分限事由に該当する可能性がある教職員に関する対応指針」を発表。そこには、「職務命令に違反する、職務命令を拒否する」「研修を受講したものの研修の成果が上がらない」など分限免職にしてよい事由をあげており、「君が代」不起立者をターゲットにしたものであること、都教委がこれを2009年卒業式以前に私に適用しようとしたことは間違いありません。
しかし、判決確定によって、都教委は「君が代」不起立で分限免職はできなくなりました。「君が代」不起立を続ける田中聡史さんを分限免職にはできないのです。
また、大阪府教委は2回目の不起立をした教員に「次に職務命令違反を行えば免職もあり得る」と記した「警告書」を渡してきましたが、判決は「警告を与えることは」だめだと判示しています。「同一の職務命令違反3回で免職」を謳った大阪府職員条例は破たんしたも同然です。
憲法に沿った判断をしようとする裁判長に担当してもらえたからの判決であり、決定です。もしも、須藤裁判長に当たっていなかったなら、「規律と秩序を害する」者を処罰することが「公益」という論が強まる中、勝訴はありえなかったと思います。
個人の名誉回復ができないだけでなく、都教委や大阪府教委の暴走を倍加させることになってしまったかもしれません。そう思うと、心の底から須藤裁判長にお礼を申し上げたい気持ちにさえなります。本当は、当たり前の判決なのですが。
ところで、須藤判決を手にすることができたのも、それ以前に「君が代」起立命令に対し闘い続けることができたのも、2001年から1年余にわたる多摩中での攻撃に対し、一緒に闘ってくださった大勢の人たちがいらしたからでした。
私一人であったなら、計画通り簡単に「指導力不足等教員」に認定され、2年後「研修の成果なし」とされ免職にされていた、「君が代」の闘いはできなかった、といっも思っています。ですから、大勢での闘いが勝ちとった須藤判決と最高裁決定です。
2008年にも2009年にも都教委は私を免職にしようと企んでいましたが、大勢の方々が一緒に闘ってくださったことによって、その企みは頓挫。私は、徹底して闘いきることが権力の弾圧を鎮静させ、道を拓くのだということをからだで学びました。
都教委及び国の教育行政に加担することを拒否し、心を偽らずに子どもたちに向き合うことができ、かつ、免職にされずに定年退職を迎えることができて、私個人は幸せをかみしめています。
☆ 子どもたちが戦場に駆り出される今
全ての教職員が「『日の丸』に正対し、『君が代』を起立斉唱する」姿を見せることによって、子どもたちは「そうするもの」と受け取ります。学年が上がるにつれ、更には「お国のために」「愛国心」という意識を醸成させていく子どもも少なくないでしょう。
昨年9月の戦争法の「成立」で、政府が戦場に命を差し出す若者を必要としていること、そしてその手始めが「日の丸・君が代」の強制と「君が代」処分であったこと、政府見解を書かせた教科書や道徳の教科化もそのためであることがより明確になりました。
読者の皆様は私と同様、そのことに対して危機感を持たれていると思います。そうした今、教員には、戦場に送り出すことに加担している現実に向き含ってほしい、自身の仕事の中で子どもたちに語り、同僚に提起してほしいと強く思います。仕事の中で声をあげれば、次に声をあげる人がきっと現れると思います。外から私も、私たちの会もがんばります。
『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇させない会ニュース 57号』(2016.7.6)
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