《被処分者会通信から》
◆ 英話と入試スピーキングテスト導入の可否
中山滋樹(府中東高校)
外国語教育関連で近年もっとも世間を賑わせたものが、大学入試へのスピーキングテスト導入・民間試験利用の問題でした。ご存じの通り、このもくろみは直前で中止されました。
しかし一方で、東京都立高校入試へのベネッセ製スピーキングテストは、この文を書いている時点では中止されていません。
共通テストと多くの点で同じ欠陥を抱えているので、理屈で言えば、当然、中止とするのが合理的判断ですが、それができずにいます。
大学入学共通テストへの民間試験導入の経緯においては、そもそも出発点が教育界ではなく、2013年の経済同友会のTOEFL活用提言と教育再生実行会議の新テスト提言にある点、また2016年8月に、それまで表だった議論がなかった民間試験必須化(共通テストから英語が廃止される案が出ていた)が唐突に打ち出された点など、不可解なことが多く見られました。
結果として、理念・哲学の問題だけでなく、物理的に不合理で実現不可能なことも次々と指摘され、反対運動には被害を被る高校生も行動に参加する事態に及び、2019年11月の延期発表、そして2021年7月30日の断念発表に至りました。
導入案の背景は「民活」で、民間試験の受験と、その準備教材・塾・通信教育などで、教育産業界のために大きな利益を得る場を作るものでした。もちろん、それは受益者負担という名の元に受験生家族が支払うものでした。
それ以外にも、問題作成から試験実施、評価、その利用がすべて公から私へと移ることによって、入試のみならずそれにつながる学校教育の在り方を民間企業がコントロールできてしまう事態になっていたはずです。
問題点を数えるとすぐに10を越えるのですが、そもそもちゃんと実施できそうになかったことは重大です。各年度の受験生は50万人を越えます。よく知られた採点の公平・正確さへの疑念も含めてその人数をさばききれる見通しが立ったという発表はなく、悲観的な情報ばかりが伝わってきていました。
その他にも、受験生には負担・不利益しかないという、本質的に誰のための改革かというところでねじ曲がっている点、入試テストとしての利用にアカデミックな立場から間違いだらけと指摘されている点(例えば(EFRの誤用など)、教育環境を改善せずにテストだけ変えても話せるようにならないので生徒の学力を向上させるものであるはずがない点など、いくつも挙げられます。
事の異常さに最初に気づいたのは大学の入試に関わる教授達で、そこからだんだんと書籍やシンポジウムなどにより情報が共有され、民間試験導入反対の署名運動も行われました。
外国語教育に携わる人たちのロビイング活動が功を奏し、政治家間にも理解が広まって国会でも取り上げられるようになり、2019年の夏には現役高校生達が運動に加わって一挙に世間の理解関心が高まりました。
その成果が、民間試験導入の中止でした。
経緯を振り返ると、もっと早く無理を悟り中止できたはずでした。
しかし、「一度ころがり始めたら途中で『違った』と言えない」、だから「不都合は見ないふり」で自分の担当範囲に引きこもり誰も全体像を把握することなく、したがって誰も止めないままずるずるいってしまう、という日本にありがちな展開になりました。
そして、都立高校入試へのスピーキングテスト導入に関してもほぼ同様に、ずるずる引きずる日本の典型的失敗パターンに陥っているものと思われます。
導入反対に関わって思ったのは、自由に考え行動するには、それなりの知識も必要だということでした。おかしいと感じていても、どこがどう間違っているかを分析できないと、様子を見るしかできません。
日本人の典型的失敗パターンを「一律に指示に従う習慣化」で強化するのも、「知識を元に各自が考える自由化」で過去のものとするのも、教育の在り方次第なのだと思います。
『被処分者の会通信 第140号』(2022.9.28)
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