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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

国連の日本審査 第6回

2009年03月14日 | 人権
 <国連の日本審査 私が見て感じたこと> 第6回
 ■ 曖昧な「公共の福祉」 ①

鈴木亜英(国際人権活動日本委員会代表)

 「日本政府は『公共の福祉』の概念を定養しなさい」、
 「規約が保障する権利に対する『公共の福祉』による制限は、いかなる場合であっても、規約が許容できる範囲の制限は超えてはならない、と明記した法律を制定すべきです。」

 今回のこの勧告には日本の人権状況を打開しうる鍵があにます。つまり、人権は最大限に尊重されなければならない、しかし時にはそれに制限を探すことが出来る。ではいかなる場合にそれが可能か。
●人権制約の基準
 自由権規約では、その制約はそれぞれの権利ごとに定められています。例えば、規約19条「表現の自由」では、その3項に、(a)他のものの権利または信用の尊重、(b)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護となっています。これ以外の事由での制限は罷り成らぬというわけです。
 さて憲法ではどうかというと、憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とあるだけで何の制限もないかに見えます。
 しかし、憲法12条には「国民は、これ(憲法が保障する自由及び権利)を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」とあります。
 「公共の福祉」というものが、憲法上人権に対する制約の根拠となり得ると考えられます。
●「公共の福祉」論
 それではこの「公共の福祉」とはいかなる原理なのか。このことをめぐって戦後、判例と学説がさまざまな解釈を重ね、基準を立てようとしてきました。
 しかし、規約では制限できない規約上の人権が、無法の「公共の福祉」論によって、しはしば、そして容易に、侵害されてしまうという事態が長年続いてきました。
 自由権規約は条約でありながら、「日本国が締結した条約…はこれを誠実に遵守する」とした憲法98条2項が重く受け止められてきませんでした。
●国連の強い懸憲
 今回の総括所見にもあるように、自由権規約委員会には「『公共の福祉』の概念は曖昧・無限定で、規約が許容できる範囲を超えた制限を許しかねない」との強い懸念があります。
 規約が充分に尊重されていない。このことによって、規約上の人権が過度の制約を受けているというわけです。
 この懸念はこれまで審査のたびごとに委員会によって表明されてきました。
 言論表現の自由のように、人権のなかで中核的位置を占め、最も大切にされるべき人権が実際にはさまざまな場面で制約を受けていますし、しかもその制約が許容できるか否かについては、裁判所は厳しい審査基準を用いて判断してきませんでした。(つづく)
 日本国民救援会「救援新聞」より

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