《再雇用拒否撤回2次訴訟第11回口頭弁論(2012/2/16)陳述》<6>
◎ 第7章 国際人権法違反の主張
1 被告は、原告による国際人権法違反の主張に対し、条約より憲法が優位するから、憲法解釈が第一義的になされるべきで、憲法違反がない以上、条約違反もないという独善的な主張をしています。
しかし、原告が主張している自由権規約や子どもの権利条約の人権規定が、条約として当然に国内法的効力をもち、裁判規範性を有していることは、判例学説上異論はありません。
被告の主張は、条約の裁判規範性を無視するものであり、国際協調主義にもとる考え方で、到底許されるものではありません。
近時の裁判例では、国際協調主義に則り、国際人権法の規定を積極的に解釈適用して人権侵害性の有無を判断すべきことが当然の前提とされており、例えば平成23年11月の福岡高裁判決は、憲法や国内法に明文の規定が無くても、条約を直接の根拠として、外国人の生活保護受給権に関し法的保護の必要性を認めています。
本件でも、憲法違反がない以上条約違反もないなどという独善的な思考に陥ることなく、国際社会に恥じない人権国家として、「条約」違反の有無が誠実に判断される必要があります。
2 また、被告は、原告による子どもの権利条約違反の主張に対し、他人である生徒の権利侵害を原告が主張することは許されないなどと主張しています。
しかし、最高裁は「第三者所有物没収事件」においても、第三者の人権侵害の主張を認めていますし、それを踏まえた学説でも第三者の権利の性質や実効性確保等の観点から、他者の権利侵害の主張が認められる場合があると考えるのが通説です。
本件で原告が主張するのは、子どもの思想・良心の自由、意見表明権、表現の自由、知る権利等、いずれも精神的自由権の根幹をなす重要な権利であり、子どもが自由かつ独立の人格として成長発達するために欠かせない権利です。
子どもの教育は、専ら子どもの利益のために行われるべきものであり、教育現場における子どもの人権保障は、子どもと直接に接する教師の教育実践により充足されるもので、教師の存在が不可欠です。教師に子どもの人権を主張することが認められなければ、子どもの人権保障の実効性を確保することは出来ません。一方、未だ発達段階にあり、受動的立場である子ども達が自ら権利救済を求めることは不可能です。
よって、本件では、先ほど述べた判例・通説の趣旨がそのまま当てはまり、教師による子どもの権利条約違反の主張が認められると考えます。
3 次に、自由権規約違反の主張に関して、2011年7月、自由権規約委員会が注目すべき採択を行ったことを加えて主張します。委員会は、表現の自由を定めた規約19条に関し「一般的意見34」を新たに採択し、「旗や象徴に敬意を払わないこと」に対して不利益を課す法律への懸念を表明しました。
国旗・国歌は、いずれも国家を象徴するもので、「旗や象徴」そのものです。本件で、都教委による起立・斉唱の強制が、国旗・国歌に対して敬意を表明する要素を含む行為の強制であることは、最高裁も認めています。
そうすると、先の一般的意見は、国旗・国歌への起立・斉唱を強制するのは、例え法律によったとしても、表現の自由に対する制限として目的自体が不合理であり許容されないことを明らかにしたものといえます。
「旗や象徴に対する敬意の表明」は、表現の自由だけでなく、従前原告が主張している自由権規約18条の思想・良心の自由にも共通する要素を含みます。
18条3項は、宗教又は信念を表明する自由に対し法律による制限が許容される場合について、19条とほぼ同じ定めを置いていますし、先の一般的意見においても、18条と19条が共通の保障内容を持っことが言及されています。
本件では、もとより法律による強制ではないため、19条や18条3項が定める「法律により制限」にも当たらず許されないことはもちろんですが、良心的拒否にもかかわらず旗や象徴に敬意を払うことを強制する制限目的自体が不合理であり許容されないことが、より一層明らかとなったもので、本件が自由権規約18条及び19条に違反することは明らかです。
◎ 第7章 国際人権法違反の主張
代理人弁護士 村山志穂
1 被告は、原告による国際人権法違反の主張に対し、条約より憲法が優位するから、憲法解釈が第一義的になされるべきで、憲法違反がない以上、条約違反もないという独善的な主張をしています。
しかし、原告が主張している自由権規約や子どもの権利条約の人権規定が、条約として当然に国内法的効力をもち、裁判規範性を有していることは、判例学説上異論はありません。
被告の主張は、条約の裁判規範性を無視するものであり、国際協調主義にもとる考え方で、到底許されるものではありません。
近時の裁判例では、国際協調主義に則り、国際人権法の規定を積極的に解釈適用して人権侵害性の有無を判断すべきことが当然の前提とされており、例えば平成23年11月の福岡高裁判決は、憲法や国内法に明文の規定が無くても、条約を直接の根拠として、外国人の生活保護受給権に関し法的保護の必要性を認めています。
本件でも、憲法違反がない以上条約違反もないなどという独善的な思考に陥ることなく、国際社会に恥じない人権国家として、「条約」違反の有無が誠実に判断される必要があります。
2 また、被告は、原告による子どもの権利条約違反の主張に対し、他人である生徒の権利侵害を原告が主張することは許されないなどと主張しています。
しかし、最高裁は「第三者所有物没収事件」においても、第三者の人権侵害の主張を認めていますし、それを踏まえた学説でも第三者の権利の性質や実効性確保等の観点から、他者の権利侵害の主張が認められる場合があると考えるのが通説です。
本件で原告が主張するのは、子どもの思想・良心の自由、意見表明権、表現の自由、知る権利等、いずれも精神的自由権の根幹をなす重要な権利であり、子どもが自由かつ独立の人格として成長発達するために欠かせない権利です。
子どもの教育は、専ら子どもの利益のために行われるべきものであり、教育現場における子どもの人権保障は、子どもと直接に接する教師の教育実践により充足されるもので、教師の存在が不可欠です。教師に子どもの人権を主張することが認められなければ、子どもの人権保障の実効性を確保することは出来ません。一方、未だ発達段階にあり、受動的立場である子ども達が自ら権利救済を求めることは不可能です。
よって、本件では、先ほど述べた判例・通説の趣旨がそのまま当てはまり、教師による子どもの権利条約違反の主張が認められると考えます。
3 次に、自由権規約違反の主張に関して、2011年7月、自由権規約委員会が注目すべき採択を行ったことを加えて主張します。委員会は、表現の自由を定めた規約19条に関し「一般的意見34」を新たに採択し、「旗や象徴に敬意を払わないこと」に対して不利益を課す法律への懸念を表明しました。
国旗・国歌は、いずれも国家を象徴するもので、「旗や象徴」そのものです。本件で、都教委による起立・斉唱の強制が、国旗・国歌に対して敬意を表明する要素を含む行為の強制であることは、最高裁も認めています。
そうすると、先の一般的意見は、国旗・国歌への起立・斉唱を強制するのは、例え法律によったとしても、表現の自由に対する制限として目的自体が不合理であり許容されないことを明らかにしたものといえます。
「旗や象徴に対する敬意の表明」は、表現の自由だけでなく、従前原告が主張している自由権規約18条の思想・良心の自由にも共通する要素を含みます。
18条3項は、宗教又は信念を表明する自由に対し法律による制限が許容される場合について、19条とほぼ同じ定めを置いていますし、先の一般的意見においても、18条と19条が共通の保障内容を持っことが言及されています。
本件では、もとより法律による強制ではないため、19条や18条3項が定める「法律により制限」にも当たらず許されないことはもちろんですが、良心的拒否にもかかわらず旗や象徴に敬意を払うことを強制する制限目的自体が不合理であり許容されないことが、より一層明らかとなったもので、本件が自由権規約18条及び19条に違反することは明らかです。
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