パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

★ 20年前の東京と同じ攻撃が始っている!

2024年02月27日 | 暴走する都教委と闘う仲間たち

 ★ 国立奈良教育大学附属小学校への攻撃

2024/02/26 岡山輝明(元都立高校教員)

 ★ 攻撃の経過

 2024/1/16(火)夕方に配信された産経新聞のネットニュースから、奈良教育大附属小学校で行われていた教育への攻撃が公然化しました。ニュースのタイトルは、"大半に「国歌」指導せず、道徳は全校集会で代替 国立奈良教育大付属小、法令違反教育常態化"です。
 産経は同日夜の内に二回("奈良教育大付属小の不適切授業、閉鎖環境で常態化"、"授業不足分は補習する方針 奈良教育大付属小で保護者説明会")、翌17(水)に一回"「職員会議」が最高議決機関…補習実施へ、不適切指導の奈良教育大付属小 改善策明らかに"と続報を出しています。
 産経を追いかけるように、17日から18日にかけて関西や地元の奈良を中心に、他のメディアからの報道が相次ぎました(読売、関西テレビ、MBS毎日放送、NHK、朝日、毎日、FNN)。
 さらに19日には、盛山文科相が記者会見で、同様の事案がないか全国の国立大学附属学校の点検に入るとまで述べています。

 産経新聞は、19日に至ってそれまでの報道をまとめ、「主張 国歌軽視の国立小 閉鎖性が偏向教育招いた」を発信しています(1/19 05:00)。ここに攻撃の内容と狙いが端的に示されています。

 攻撃の的は大きく二つあり、これを理由に「偏向的な指導」を同小学校から一掃することがねらいと分かります。

① 「道徳」「国歌『君が代』」「毛筆」などの授業をあげた学習指導要領「違反」
職員会議を「最高議決機関」と位置づけた教職員による学校運営

 ★ 学習指導要領「違反」を掲げた攻撃のおかしさ

 産経の「主張」は、「学習指導要領」を「法令」と見なし、「道徳」「音楽(国歌・君が代)」「毛筆」の授業をあげて、ここに示されたとおりに授業を行っていないことを、「違反」とか「偏向的な指導」と呼んで非難しています。
 1/16の産経の第一報では、国語、外国語、図工もあげられており、また読売新聞(1/17)では、この他に、社会、理科、体育なども「不適切な指導が確認された」科目として示されています。
 それが、この三つに集約されたところに産経の攻撃の意図が見えてきます。
 「国歌や毛筆などの指導は、子供たちに日本人としての自覚や誇りを抱かせ、主体的に生きる力を育む上で極めて重要だ」と主張で述べています。それは道徳についても同じでしょう。
 産経からみて、「日本人としての自覚や誇り抱かせ」る教育になっていないことを攻撃しているのです。

 しかし、そもそも学習指導要領どおりに教育課程を編成し実際に行っている学校が、全国にどれくらいあるでしょうか。
 現行の『小学校学習指導要領』の第1章総則には、「児童の心身の発達の段階や特性及び学校や地域の実態を十分考慮して,適切な教育課程を編成する」とか、「各学校においては,児童や学校,地域の実態を適切に把握し,教育の目的や目標の実現に必要な教育の内容等を教科等横断的な視点で組み立てていくこと」、あるいは、「週当たりの授業時数が児童の負担過重にならないようにする」、「学校の創意工夫を生かし」など、弾力的な学校運営を求める文言が随所に出てきます。
 当然のことながら、家庭の事情、地域の様子など、子ども達が生きている背景は実に様々です。むしろ同要領は、文言にのみ拘われた教育課程の編成によって、子ども達に硬直的に対応することを戒めているようにさえ読めます。
 文科省自身が著わした『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 総則編』の冒頭にも、これが「大綱的な基準」であると示されています。

 どの報道機関も、このような学習指導要領の位置付けすら確認することなく、大学側の発表をほぼそのままタレ流しています。
 しかしその中にあって、フリージャーナリスト前屋毅氏は、盛山文科相が19日の記者会見で、この件について大変遺憾だと述べ、学長からの聴取、学内調査や是正措置を指示したことを取り上げ、「文科相は、奈良教育大学附属小学校を批判するより〝支持〟を表明すべきなのでは?」題した記事を発信しています。
 この中で前屋氏は、昨年12月31日付の『教育新聞』に掲載されたインタビューで、学習指導要領について問われた盛山氏が以下のように述べたことを引用しています。

(学習指導要領が)追加、追加でどんどん増えていくだけなら、限られた授業の時間で全部教えるのは無理だろう。そうすると、今まで丁寧にやっていたものを軽くしたり、場合によってはなくしたりすることも必要になる。また、文科省はベースとなるものを学習指導要領としてお示ししているだけだ。実際には学校の先生や教育委員会の判断になる

 盛山文科相の言動が矛盾していることは明らかです。
 「児童や学校,地域の実態」などを熟知しない者が、「法令違反」「不適切」指導と騒ぎ出すこと自体が、そもそも怪しげなことなのです。
 そういいつのった攻撃の狙いは、産経の主張があからさまに示しているように、奈良教育大附属小学校での「君が代」指導の徹底であり、長年行われてきた職員会議による学校自治の解体と見るべきです。
 この「国旗掲揚国歌斉唱の徹底」「職員会議の校長補助機関化」などは、東京都においても2000年代に入って強行されてきたことです。


 ★ 20年前に始まる東京都での攻撃との共通性

 2003年7月2日、日野市にある七生(ななお)養護学校は、東京都議会で、その「性教育」に重大な問題があるとして取り上げられました。
 4日には質問した都議らが都教育委員会の職員や産経新聞の記者を引き連れて同校を視察します。産経新聞は学習指導要領を踏まえない「過激性教育」と大キャンペーンを張ります。
 保護者からも信賴を得、男女の対等な関係をめざして積み重ねられてきた「性教育」が、都議らと結託した都教育委員会によって弾圧され、校長も含め多数の教員が処分を受けたのです。
 但し、この取消を求めた裁判の控訴審判決では、同要領の「一言一句が拘束力すなわち法規としての効力を有するということは困難」であり、「具体的にどのような内容又は方法の教育とするかについて,その大枠を逸脱しない限り,教育を実践する者の広い裁量に委ねられて」いると判示されています。
 その上で、都議らの行動は教育基本法が禁じる「不当な支配」にあたると認められ確定しています(平成21年(ネ)第2622号 各損害賠償等請求控訴事件)。

 同じ7月2日の都議会で「日の丸・君が代」の実施状況の質問もありました。「性教育」を質問したと同じ都議からです。
 これに答えて都教育長は「都立学校等卒業式・入学式対策本部」の設置を表明しています。一週間後に開かれたこの最初の会議で、「都立学校における『国旗国歌の適正な実施』は、学校経営上の弱点や矛盾、校長の経営姿勢、教職員の意識レベル等がすべて集約される学校経営上の最大の課題であり、この問題の解決なくして学校経営の正常化ははかれない」と明記された資料が配付されます。
 10月には、都立学校全校長に対し、卒業式などの式典に際して「国旗掲揚国歌斉唱」の徹底を求めて、教職員一人ひとりへの「職務命令」の発出などが命じられました。

 この「10.23通達」に付随する「実施指針」は、ステージの使用(参列者が向かい合うフロア形式を否定)、その正面への「日の丸」掲揚、これに起立・正対しての「君が代」の斉唱、音楽教員によるピアノ伴奏など、式内容を画一的に定めるものです。
 1999年の国旗国歌法制定後、「立つ立たない」「歌う歌わない」は自分で考えてと説明してきた学校もありましたが、この「内心の自由」の説明も禁じられました。生徒や保護者にとって人生の節目である晴れがましい場面の冒頭に、仰ぎ見るようにして国家を意識させる演出が強引に持ち込まれ、今日にまで至っているのです。

 実はこれに先立つように都内の国立市ではすでに攻撃が始まっていました。市立小中学校全11校では、卒業式等での「日の丸・君が代」の実施を「義務づけた」1989年の学習指導要領改訂後も、子どもたち、保護者、教職員が話し合いを重ね、これらの掲揚や斉唱が見送られてきました。同市議会も「強制しない意見書」を採択し文部省に届けています。
 にもかかわらず1999年春頃から強制の圧力が強まり、2000年3月、校長達は一斉に屋上への「日の丸」掲揚を強行する事態となりました。4月に入ると産経新聞はこれに反対してきた教職員に「偏向教育」キャンペーンをはり、同調するように右翼団体の街宣車も街中に現れます。
 翌年の卒業式からは全校で式場に「国旗」が掲揚され、「国歌」斉唱が行われるようになりました。抗議の意思を表わして胸にピースリボンを付けて式典に臨んだ教職員は、そのことを理由に文書訓告を受けています。懲戒処分も出されています。このような経過の後、今度は都立学校への攻撃が本格化したのです。

 年に何回かの式典場面で「日の丸・君が代」の強制が徹底されたというだけではありません。「性教育」への攻撃もそうですが、教育委員会による教育内容・教育課程への介入は、学校運営全体に及びます。
 生徒や保護者の皆さんと直接向き合っている教職員が、対等な立場で話し合い、合意を形成する場であった「職員会議」が、管理職による一方的な情報伝達の場に過ぎなくなっていきます。「校長のリーダーシップの確立」の名の下、校長教職員の代表者としての立場を否定され、教育委員会による学校支配の代理人に貶められていきます。
 お互いに協力し合ってきた教職員の仕事を個人個人の業績に切り分けて管理職と教育委員会とが評価を下す人事考課制度、教員を階層化する主幹教諭や主任教諭などの導入ともあいまって、学校は上意下達・上命下服の息苦しい場となってきたのです。
 校長の学校経営に意見する教職員に対しては、昇給等の基準となる業績評価を低く付けることも可能となりました。
 また異動要綱も改められます。同一校勤務が基本6年にせばめられ、さらに校長の意向によっては1年でも異動させられるようになりました。筆者も多摩地区西部の夜間定時制高校に勤務していた時、突然、片道2時間近くかかる都心部の全日制高校に移動させられた経験があります。

 今回の奈良教育大付属小の問題に戻ると、2月19日の朝日新聞デジタルは、「新年度からの3年間ですべての正規教員に出向を命じ、異動させる」という方針が、学長から教員に示されたことを報じています(2024/02/19配信「小学校正規教員3年で全員出向へ 奈良教育大学長の方針に教員が反発」)。
 これは国立大学附属学校として、基本的には他校への異動のないこと前提に採用され勤務してきた教員にとってありえないことでしょう。事実上の懲罰であり、追放にほかなりません。「学習指導要領違反」と言いがかりを付けたこれまでの学校運営の全否定は、在校生や保護者、卒業生のみなさんにも深刻な打撃を与えるのではないでしょうか。

 ★ 強制された式典の形が示す攻撃のねらい

 国立大附属小学校は、都立学校とはその在り方が違うとは思いますが、「性教育」にしても「日の丸・君が代」にしても、東京での攻撃も「学習指導要領違反」が口実として掲げられたのです。
 その直接の狙いは、教職員の合議による学校運営の解体にありますが、究極の狙いは、「一人ひとりを尊重する」ことをめざす教育を、「個人よりも国家を大切にする態度を刷り込む」教育に転換することだと考えます。

 式典冒頭に強制された「国旗掲揚国歌斉唱」の形式がこれを端的に表わしています。
 会場のステージ正面に「国旗」を掲げ、これに参列者全員が正対して「礼」をし、「国歌」を歌う所作は、まず日本でしかみられないものです。
 同じ東アジアの韓国の友人に尋ねても、中国の全国人民代表者会議の開会式の模様などをテレビで見ても、式典での「国旗掲揚国歌斉唱」はこのような形をとってはいません。香港の小学校では、校庭のポールに掲げられる「五星紅旗」に向かって中国国歌「義勇軍行進曲」が歌われていました。

 この日本独自の形式は、明治に入って整えられてきた四大節学校儀式(新年拝賀式1/1、紀元節2/11、天長節4/29、明治節11/3)の天皇崇拝儀礼に基づいたものです。
 学校儀式での「御真影」への拝礼、「君が代」斉唱、「教育勅語」奉読、勅語に基づく校長訓話などの順序は、儀式規程や小学校令施行規則、国民学校令施行規則によって定められていました。キリスト教の礼拝儀式から考え出された儀式儀礼であることが指摘されています(佐藤秀夫)。「神聖天皇崇敬」によって人々を大日本帝国の「臣民」として統合するために他なりません。

 1888(明治21)年6月、枢密院で大日本帝国憲法草案の審議が始まる際、議長を務める伊藤博文は、ヨーロッパにおいては、人々が憲法政治に習熟してきた歴史があること、宗教(キリスト教)が「深ク人心ニ浸潤シテ」基軸となっていることを挙げ、「我國ニ在テ基軸トスヘキハ獨リ皇室アルノミ」と述べています。
 国民意識の形成には「愛国心」、究極のところ「国家のためには命を差し出すこともいとわない気持」を、人々の間に醸成することが不可欠です。このために日本は、欧米列強への脅威に対抗して、天照大神から神勅を受けた「萬世一系の皇統を奉戴する帝國」と自らを位置付け、天皇への崇敬の念を軍隊や学校教育を通して「浸潤」させてきたのです。
 その天皇を現わすものとして神聖視された「御真影」の代わりに、様々な式典で舞台壇上正面に「日の丸」が掲げられる形が広がったのは、日中戦争が本格化した1937(昭和12)年頃からです。国民精神総動員運動が展開する中で入学式や卒業式でも行われるようになりました(森川輝紀、籠谷次郎)。
 「日の丸」そのものはペリー来航後、徳川幕府によって「日本総船印」と定められ、戊辰戦争時には官軍の錦の御旗に対抗して旧幕府軍で掲げられた歴史があります。しかし、この事実は次第に触れられなくなり、この時期には天照大神の化身と見なされるようになっていました。
 (補足:旗として天皇の化身と受け止められていたのは、陸軍の「軍旗」と海軍の「軍艦旗」です。この旭日旗のデザインは、明治の初め諸藩の軍勢を統合した演習が行われた際に初めて考案されたものです。連隊創設時、軍旗拝受式で天皇から「親授」された「軍旗」は、天皇そのものとして神聖に扱われ、戦闘時には先頭に掲げられていました)。

 敗戦後、「御真影」や「教育勅語」が回収され、1947年、教育基本法を受けて定められた学校教育法や同施行規則には儀式規程は盛り込まれず、四大節の学校儀式は次第に姿を消していきます(お正月の新年祝賀式は、明治以前から行われてきた風習もあって1960年代半ば頃までは続いたようです)。
 しかし、米ソの冷戦体制が深まり「愛国心教育」が強く求められ出したことを背景に、1958年以降、学習指導要領の改訂を通して、「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱が、「儀式的行事」と位置づけられた卒業式等で強く求められるようになりました。
 「軍国主義のシンボル」としてこれに反対する教職員と学校管理職のせめぎ合いが全国各地でつづきました。

 当初は屋上や校門に掲げられた「日の丸」が、ステージに三脚で載せられて登場し、さらにその正面に掲げられるようになります。これに続いて管理職だけが起立する中、「君が代」がテープやCDで流され(メロディだけから歌詞付きに)、ついには参列者全員が起立して「日の丸」に正対し、その唱和を誘うように音楽教員が「君が代」をピアノ伴奏する形へと強制が強められてきました。
 反対する教職員の処分事例は、「建国記念の日」が施行された1967年前後から出てきます。文部省が「国旗掲揚国歌斉唱」実施状況の全国悉皆調査を始めた1980年代半ばからは全国各地で見られ、「卒業式や入学式などでの実施を義務づけた」1989年の学習指導要領改訂、さらに1999年の国旗国歌法成立後に著しく増加していきます。
 なお抵抗をつづけた東京や大阪などでは、2000年代に入ってから通達や条例を定めてまで教職員を処分してきました。その取消を求める裁判が今も続いています。
 今日、当たり前のようになってきた卒業式等の式典冒頭の「国旗掲揚国歌斉唱」には、戦後の文部行政による処分等を背景にした強制があったことは忘れてはならないことです。
 「個人の尊重」を基軸とする日本国憲法の理念とは真逆に、子どもや若者たちの人生の節目を祝い合う場を、人々をして自発的に国家に服従させる訓練の場とすることは強制によってしかなしえないことです。「学習指導要領違反」はこの口実として掲げられてきたに過ぎません。

 


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