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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

保守派が抱いている現天皇不信の念のルーツは1987年の記者会見

2018年12月26日 | 平和憲法
 ◆ <資料紹介>安倍政権などとの確執の根底にある
   現天皇による父・昭和天皇批判の存在を証明する資料

   皆さま     高嶋伸欣です


 標題の資料のことに触れている報道がないようですので、この機会に改めて紹介させていただきます。
 1 昨日来、現天皇の誕生日に合せた「おことば」がしきりと話題になっています。事前に行われた記者会見の録画を、誕生日当日の朝から報道解禁ということにして新聞も全文を掲載できるようにしているのは、発表ものではよくあるケースです。
 2 ただし、天皇や皇太子など皇族のこうした「おことば」類が、事前に宮内庁記者クラブからの質問項目を受けた後の回答の形で、文章化して発表されるようになったのは1987年9月28日に、皇太子(現・天皇)が実行して以来のことです。
 3 その時までは、事前に記者クラブが質問項目を宮内庁に示し、記者会見の場でそれらの項目について口頭で回答するという形式でした。
 4 1987年9月、何度目かの米国訪問を予定していた昭和天皇が発病し、代理で皇太子夫妻が急遽渡米することになります。そこで米国のメディアの東京支局長など記者17人との記者会見が開かれることになります。
 5 その準備段階で、宮内庁側からそれまでの方式通りに、質問事項を文章にしての事前提出を求めたところ、海外記者が反発。それなら回答も文書で欲しいと求めたところ、宮内庁・皇太子側がそれに応じ、文書回答を準備しての会見になった、と当時の報道関係者が説明しています。
 6 そして、その形式が今日まで踏襲されていることになります。
 正確な報道に向けた一つの改善だったと言えそうです。それが宮内庁記者クラブからの要求によってではなく、海外のメディアの記者の要求の結果だったところに日本の記者クラブのなれ合いによる沈滞と海外メディアの覇気の差を感じます。
 7 ところで、この時の皇太子(現・天皇)の回答文には、父・昭和天皇を明らかに批判している部分があります。
 8 「古い時代には、人々は天皇について様々な見方をもっていました。しかし、1930年代から終戦まで、国民は天皇についてただ一つの見方をもっていました」「(現行)憲法に規定された天皇の地位は、日本の伝統に合っていると思われます」という部分です。
 9 この部分に右翼団体、天皇神道関係者などの多くが憤慨、落胆したと言われています。
 10 「生前退位」問題が表面化して以来の安倍政権の嫌がらせまがいの対応の根底には、この時に保守派が抱いた現天皇不信の念があると思い、私は見てきました。
 11 また、最近の天皇・皇后さらには秋篠の宮などの一連の「お言葉」にはそうした安倍政権やその支持勢力の神社本庁「日本会議」などによる戦前回帰の動きに対する精一杯の抵抗の姿勢が読み取れます。
 12 けれども昨日来の洪水のような皇室報道で、この点をきちんと踏まえた問題提起をしているものがどれだけあるでしょうか。
 13 少なくとも上記1987年9月28日の会見について言及したもの、あるいは別の機会に同様の昭和天皇批判をしたもの(寡聞にして私が知りませんが)を、この機会に紹介したマスコミ報道はないように見えます。
 14 結局は、大半のマスコミは安倍政権のマスコミ・コントロールの下に、相変わらずあるということでしょうか。
 会見内容が文書として残っているに、忖度して触れないでいるのであれば、情けない限りです。
 この会見内容を知らなかったのであれば、記者・デスク失格では?

 *上記記者会見の話題は、これまでにも何度か紹介しました。重複、ご容赦下さい。
 *上記の文書形式によるQ&Aの記者会見の全文は、『新天皇家の自画像・記者会見全記録』(文春文庫 511-1、1989年)に収録されています。
       取り急ぎご参考までに
   *以上 文責は高嶋です      転載・拡散は自由です

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