◆ 「で、結局『特別な教科・道徳』って何なの?」学習会報告
◆ 問題に気付いた一夜
新年早々のある日。同僚と飲んでいると、こんな質問を受けました。
「ところで宮澤さん。最近道徳が教科になるって聞いたんですけど、あれって何なんですか?ちゃんと道徳を教えるっていいことのようにも思うんですけど、評価が云々とかも言われてるし、なんかよくわかんないんですよね。」
学校の中にいる教員からこのような意見が出たことに衝撃を受けつつも、その後周囲の教員にこの間題について尋ねてみると、皆、異口同音に「何が何だかよくわからないから賛成も反対もできないけど、教科化されたら粛々とやるしかない。」との返答がありました。
そこで改めて振り返ってみると、たしかに現場もメディアもこの問題についてほとんど話題にしていないことに気が付きました。そこで急遽、まずは私の個人的なつながりの中から々な立場の方に声をかけ、30名程度の人数で学習会を実施することにしました。
本稿では、2月28日夜、三軒茶屋にて行われた学習会「で、結局『特別な教科・道徳』って何なの?」の様子をお知らせしたいと思います。
多彩な顔ぶれで…
Aさん 元Jリーガー。現在はあるJチームのユースを指導中
Bさん NHK記者
Cさん 朝日新聞記者
Dさん 障がい当事者。都内様々な学校に道徳地区公開講座の講演会講師で呼ばれている
Eさん 世界的デザイナーの息子さんで、自身もアーティストとして社会の様々な「ヤバいもの・こと」と対峙
字数の都合上ここで紹介はできませんが、遠路北海道から参加いただいた政治家や教員、在日3世教員、言論の自由を掲げ都教委と対峙している元校長、発明所の所長、美術館学芸員、教育総研研究員、写真家、発達障害の親の会主宰者等様々な方から発言していただけました。
◆ 道徳と愛国心
初めに、中央大学の池田賢市さんから道徳の教科化についての課題整理と提起をしていただきました。
池田さんからは、
「そもそも子どもたちは道徳的価値は理解している」
「道徳的判断とは環境や状況により常に変わるものであり、決して一般化・体系化できるものではない」
「学校とはそれぞれのもつ道徳がぶつかり合う場であり、それを人権の視点から調整していく場である」
「道徳を評価するということは、子どもにとっては‘答えを探すゲーム’となるということ」
など、道徳全般について話があり、その後「愛国心」にも触れていきました。
みなさんは白紙を渡され「ここに日本をかいてください」と言われたら何を書きますか?
多分、ほとんどの方は日本地図を描くと思います。
しかし、多くのヨーロッパの国々では国土を描くことはほとんどないそうです。
池田さんはフランスを例に挙げましたが、フランスではほとんど全員が「三権分立の図や言葉」を書くそうです。それは、国とは「制度」だから。
ですからフランス人の言う愛国心とは、「民主主義を愛する」ということになるそうです。
たとえば国旗。フランスでは学校も含めすべての公共施設に国旗が掲げられています。しかし敷地の外に掲げている。なぜか?それは「意昧がない」から。国旗とは「ここはみなさんの税金で作った建物ですよ」という意味しかなく、そのため施設の外側に掲げられているとのことでした。
翻って日本の愛国心、国旗はどうか。
日本は個人から同心円状に家族、地域、国家と広がっていくため、個人は国家の中に取り込まれてしまっている。ヨーロッパのように個人と国家が独立していない。ここに戦前から続く日本の「愛国」の怖さがあると述べていました。
最後に笑えない笑い話を1つ。あるフランスの研究者が祝日に日の丸を掲げている日本の民家の前を通り、池田さんに真面目な顔でこう言ったそうです。「この何の変哲もないように思われる家は何かの文化財なのかい?」
◆ 議論スタート 定期開催決まる
その後、教員から現場の現状報告ということで、道徳について意識のない現場、上意下達の徹底された学校制度について説明があり、それらの話を受けて参加者から様々な意見が出されました。そこでここでは主な意見を紹介していきたいと思います。
Aさん
俺たちはAという選手にパスを出したい時に周りにAに出すと思われたら二流。みんながAに出すと思っているところでBに出せる選手が1流。日本人はここが弱い。道徳の教科化と評価化というのはさらに金太郎飴みたいな選手を生み出してしまうんじゃないか心配だ。
Eさん
似たようなことだけれども、芸術ってある意味道徳をぶっ壊す面もある。でもそんなことを理解する先生はいないのか。いても教科化されると難しいのか。それなら日本の学校にはもう期待できない。なんで考えさせない子どもを増やそうとするの?文科はそれでいいの?
→予測不能な動きを嫌うのが国家。(明治の国家づくりの枠組みを例に)
Bさん
国も現場もフレームを求めてるのでは?業務過多の中で、上から「こうこうこういうふうに教えてください」といわれたら食いつくのでは?この問題に対して現場が向き合えない以上、このままスルッと通ってしまう気がする。道徳の副読本も今見たけどものすごく安易。もっといい教材なんて世の中に山ほどある。現場の先生に裁量権はないの?
→管理職に評価されることで、あまり脱線できないという強迫観念はある。
→元管理職の立場からすると、強権発動以前に現場教員が管理職の意向を「酌んで」いると感じる。
→たしかに現場はフレームを欲しがっている。Cさん今現在、すでに通知表では「生活の記録」の欄で内面の評価を行っている。だから道徳を評価すると言っても今までとの違いがわからずピンとこない。
→教員もその点については何の問題意識もなくやってしまっている。結局フレームがあるとスッと行ってしまう怖さ。
Dさん
立場上よく学校に呼ばれる。しかし教員からは「困っている人がいたら助けてあげよう」という話をしてくれと頼まれるが、困っている人はいないし、困らせているのは社会。だから授業をするなら企画の段階から呼んでほしいのに、答えありきで話せと言われる怖さを感じている。
文字数の都合上、ここではすべてを紹介することはできませんが、次回につながる良い議論ができました。偶数月の第4土曜日に定期開催し、最終的には何かアピールしていこうと考えています。
最後に、会終了後に参加者から来た問題提起のメールを一つ紹介します。
終了後だったので議論できませんでしたが、これもまた、内輪では出てこない意見でした。次回はこんな視点も取り上げて、道徳教科化反対への議論を深めていきたいと思っています。
「心ある方々の考えを知るという意味では興味深い討論会でした。が、多くの場合がそうであるように、問題はこの場に集まっている人の外側にあると思いました。道徳なんて無意味というのは大前提ですが、あえて言わせてもらうと、道徳教育が進むことで画一的な考えの子が育つ、というのは教師の影響力を過信しているような気がします。表現の自由といいますが、自由が保障されている時代に才能が育って、抑圧の時代より良い作品が生まれるかというと、必ずしもそうはいかないのが人間の面白いところです。考え方によっては教師は国の手先として抑圧した方が、反発力・打開力のある才能が育つ可能性があるかもしれない。問題の本質はそこではないかと思いました。」
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 101号』(2015.4)
M(東京都公立小学校教員 道徳の教科化を考える会代表)
◆ 問題に気付いた一夜
新年早々のある日。同僚と飲んでいると、こんな質問を受けました。
「ところで宮澤さん。最近道徳が教科になるって聞いたんですけど、あれって何なんですか?ちゃんと道徳を教えるっていいことのようにも思うんですけど、評価が云々とかも言われてるし、なんかよくわかんないんですよね。」
学校の中にいる教員からこのような意見が出たことに衝撃を受けつつも、その後周囲の教員にこの間題について尋ねてみると、皆、異口同音に「何が何だかよくわからないから賛成も反対もできないけど、教科化されたら粛々とやるしかない。」との返答がありました。
そこで改めて振り返ってみると、たしかに現場もメディアもこの問題についてほとんど話題にしていないことに気が付きました。そこで急遽、まずは私の個人的なつながりの中から々な立場の方に声をかけ、30名程度の人数で学習会を実施することにしました。
本稿では、2月28日夜、三軒茶屋にて行われた学習会「で、結局『特別な教科・道徳』って何なの?」の様子をお知らせしたいと思います。
多彩な顔ぶれで…
Aさん 元Jリーガー。現在はあるJチームのユースを指導中
Bさん NHK記者
Cさん 朝日新聞記者
Dさん 障がい当事者。都内様々な学校に道徳地区公開講座の講演会講師で呼ばれている
Eさん 世界的デザイナーの息子さんで、自身もアーティストとして社会の様々な「ヤバいもの・こと」と対峙
字数の都合上ここで紹介はできませんが、遠路北海道から参加いただいた政治家や教員、在日3世教員、言論の自由を掲げ都教委と対峙している元校長、発明所の所長、美術館学芸員、教育総研研究員、写真家、発達障害の親の会主宰者等様々な方から発言していただけました。
◆ 道徳と愛国心
初めに、中央大学の池田賢市さんから道徳の教科化についての課題整理と提起をしていただきました。
池田さんからは、
「そもそも子どもたちは道徳的価値は理解している」
「道徳的判断とは環境や状況により常に変わるものであり、決して一般化・体系化できるものではない」
「学校とはそれぞれのもつ道徳がぶつかり合う場であり、それを人権の視点から調整していく場である」
「道徳を評価するということは、子どもにとっては‘答えを探すゲーム’となるということ」
など、道徳全般について話があり、その後「愛国心」にも触れていきました。
みなさんは白紙を渡され「ここに日本をかいてください」と言われたら何を書きますか?
多分、ほとんどの方は日本地図を描くと思います。
しかし、多くのヨーロッパの国々では国土を描くことはほとんどないそうです。
池田さんはフランスを例に挙げましたが、フランスではほとんど全員が「三権分立の図や言葉」を書くそうです。それは、国とは「制度」だから。
ですからフランス人の言う愛国心とは、「民主主義を愛する」ということになるそうです。
たとえば国旗。フランスでは学校も含めすべての公共施設に国旗が掲げられています。しかし敷地の外に掲げている。なぜか?それは「意昧がない」から。国旗とは「ここはみなさんの税金で作った建物ですよ」という意味しかなく、そのため施設の外側に掲げられているとのことでした。
翻って日本の愛国心、国旗はどうか。
日本は個人から同心円状に家族、地域、国家と広がっていくため、個人は国家の中に取り込まれてしまっている。ヨーロッパのように個人と国家が独立していない。ここに戦前から続く日本の「愛国」の怖さがあると述べていました。
最後に笑えない笑い話を1つ。あるフランスの研究者が祝日に日の丸を掲げている日本の民家の前を通り、池田さんに真面目な顔でこう言ったそうです。「この何の変哲もないように思われる家は何かの文化財なのかい?」
◆ 議論スタート 定期開催決まる
その後、教員から現場の現状報告ということで、道徳について意識のない現場、上意下達の徹底された学校制度について説明があり、それらの話を受けて参加者から様々な意見が出されました。そこでここでは主な意見を紹介していきたいと思います。
Aさん
俺たちはAという選手にパスを出したい時に周りにAに出すと思われたら二流。みんながAに出すと思っているところでBに出せる選手が1流。日本人はここが弱い。道徳の教科化と評価化というのはさらに金太郎飴みたいな選手を生み出してしまうんじゃないか心配だ。
Eさん
似たようなことだけれども、芸術ってある意味道徳をぶっ壊す面もある。でもそんなことを理解する先生はいないのか。いても教科化されると難しいのか。それなら日本の学校にはもう期待できない。なんで考えさせない子どもを増やそうとするの?文科はそれでいいの?
→予測不能な動きを嫌うのが国家。(明治の国家づくりの枠組みを例に)
Bさん
国も現場もフレームを求めてるのでは?業務過多の中で、上から「こうこうこういうふうに教えてください」といわれたら食いつくのでは?この問題に対して現場が向き合えない以上、このままスルッと通ってしまう気がする。道徳の副読本も今見たけどものすごく安易。もっといい教材なんて世の中に山ほどある。現場の先生に裁量権はないの?
→管理職に評価されることで、あまり脱線できないという強迫観念はある。
→元管理職の立場からすると、強権発動以前に現場教員が管理職の意向を「酌んで」いると感じる。
→たしかに現場はフレームを欲しがっている。Cさん今現在、すでに通知表では「生活の記録」の欄で内面の評価を行っている。だから道徳を評価すると言っても今までとの違いがわからずピンとこない。
→教員もその点については何の問題意識もなくやってしまっている。結局フレームがあるとスッと行ってしまう怖さ。
Dさん
立場上よく学校に呼ばれる。しかし教員からは「困っている人がいたら助けてあげよう」という話をしてくれと頼まれるが、困っている人はいないし、困らせているのは社会。だから授業をするなら企画の段階から呼んでほしいのに、答えありきで話せと言われる怖さを感じている。
文字数の都合上、ここではすべてを紹介することはできませんが、次回につながる良い議論ができました。偶数月の第4土曜日に定期開催し、最終的には何かアピールしていこうと考えています。
最後に、会終了後に参加者から来た問題提起のメールを一つ紹介します。
終了後だったので議論できませんでしたが、これもまた、内輪では出てこない意見でした。次回はこんな視点も取り上げて、道徳教科化反対への議論を深めていきたいと思っています。
「心ある方々の考えを知るという意味では興味深い討論会でした。が、多くの場合がそうであるように、問題はこの場に集まっている人の外側にあると思いました。道徳なんて無意味というのは大前提ですが、あえて言わせてもらうと、道徳教育が進むことで画一的な考えの子が育つ、というのは教師の影響力を過信しているような気がします。表現の自由といいますが、自由が保障されている時代に才能が育って、抑圧の時代より良い作品が生まれるかというと、必ずしもそうはいかないのが人間の面白いところです。考え方によっては教師は国の手先として抑圧した方が、反発力・打開力のある才能が育つ可能性があるかもしれない。問題の本質はそこではないかと思いました。」
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 101号』(2015.4)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます