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大阪の教員が卒業式で職場で配ったビラ

2014年03月21日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ★ 「君が代」の起立・斉唱はできません
大阪市立T中学校 M

 1.「君が代」は天皇統治の永遠を願う天皇主権の歌としか思えません

 「君が代」が国歌的扱いをされるようになったのは、明治時代です。天皇中心の国づくりの中に位置づけられ、国定教科書の中では、「君が代」は「きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおをなりて こけのむすまで」を「天皇陛下のお治めになる世の中がずっと続きますように」という意味だとしていました。天皇統治の永遠を願う天皇主権の歌であったことは、誰も否定できないと思います。
 また「君が代」が教育勅語(「国民は天皇の臣民として、天皇の治める国が栄えるようにしなければならず、学校で勉強するのもそのためである」「国の一大事(戦争のとき)には、国のため、天皇のために身も心も捧げなければならない」と教える天皇のことば)とともに、戦争体制づくりの大きな一翼を担ったことも誰も否定できないと思います。
 国民主権の戦後の日本国憲法の下では、1999年の国旗国歌法制定時に、はじめて、「君が代」の歌詞についての公式の見解(政府見解)が明らかにされました。
 「君」は天皇を意味するが、天皇の位置づけが象徴にかわったから、「きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおをなりて こけのむすまで」という歌詞の国歌「君が代」を「我が国の繁栄と平和を願う歌」だと理解しなさいというのです。
 この解釈は理解不能です。「君が代」をどう理解すれば「我が国」になるのかわかりませんし、ずっと天皇支配を賛美する歌だった歌を「我が国の繁栄と平和を願う歌」を思って歌えといわれても体が受けつけません。私は、「君が代」を歌っている人を見ると、「どういう歌詞だと思って歌っているのですか」とつい聞いてみたくなります。
 2.私達には、率先垂範して「君が代」を起立・斉唱し、生徒に大きな声で歌うよう指導することが強制されています
 現在の多くの学校の卒業式・入学式には、「日の丸」が掲揚され(壇上正面に貼られ、式の中の礼は「日の丸」に対してするようになっているところが多い)、「君が代」の斉唱が式次第にあります(式の冒頭に斉唱するようになっている)。
 根拠は、文部科学省学習指導要領の特別活動の項に「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」(1989年から)とあることです。
 「国際化の進展に伴い,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに、生徒が将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくためには,国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ,それらを尊重する態度を育てることは重要なことである」(文科省学習指導要領解説特別活動編より)との理由によるとのことです。
 また「その意義」とは、「入学式や卒業式は,学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、新しい生活の展開への動機付けを行い、学校、社会、国家など集団への所属感を深める上でよい機会となるものである」(文科省学習指導要領解説特別活動編より)というものです。
 そして、1999年の国旗国歌法(国旗を「日章旗」、国歌「君が代」と定めた)成立がその条項の徹底の後押しをしました。
 それに加えて、現在の大阪では、2011年6月大阪府、2012年大阪市でつくられた「国旗国歌条例」と2012年3月大阪府、2012年5月大阪市でつくられた職員基本条例があります。国旗国歌条例では「府民(市民)、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資すること」などを目的として、「学校の行事において行われる国歌の斉唱にあたっては、教職員は起立により斉唱を行うものとする」とされています。職員基本条例では、同一職命令に3回違反すると免職にすることが規定されています。
 私たち学校教職員に「君が代」の起立・斉唱が求められるのは、子どもたちに「日の丸・君が代」を尊重させ、子どもたちの愛国心を高揚させるためなのです。大阪市の学校教職員には、卒業式・入学式の「君が代」斉唱は必ずピアノ伴奏とし、子どもたちに「君が代」を「大きな声で歌うよう指導」することが求められています。
 私たちには、「処分されたくなければ、自分が納得できないことでも子どもたちに押し付けろ」という命令に従うのかどうかが突きつけられています。
 「起立・斉唱できない」と座って処分を受けるのか、子どもたちに押し付けることは極力しないつもりだが、処分を回避するために自分は起立(場合によっては斉唱も)するのか、処分されないためには、しかたないと「割り切って」、「大きな声で歌いましょう」と子どもたちに呼びかけるのか、苦しい選択迫られています。
 3.自分の保身のために納得できないことを生徒達に押しつけることはできません
 「自分が納得したことしか生徒に伝わらない」…これは私が教員生活の中で確信したことです。
 また、部落差別や在日外国人差別など様々な差別を存続させ続けてきたものが、「保身」であることも理解してきたつもりです。いざ自分が差別をなくそうとする側に立とうとするとき周囲から自分に向けられる差別の目。それを逃れるために差別する側にまわってしまう構造が差別を存続させ続けてきたのです。
 「君が代」の強制で、私達も同じ構造の中に置かれています。自分の身を守るために、生徒たちに国歌「君が代」を「大きな声で歌いましょう」と呼びかけることなどできません。それは、生徒に向き合う自分の根本的な姿勢を投げ捨てることです。
 仮に、そう呼びかけたとするとき、「歌えない」「納得できない」という生徒がいたならどうするでしょうか。理性的に納得させられないのだから、その子に歌わせようとするなら、歌わなかったらその場にいられない状況をつくるしかありません。すなわち、率先して「いじめ」を組織することくらいしか手はありません。そんなことは絶対にできません。
 4.教職員の仕事は、生徒達が、国や国旗・国歌(「日の丸・君が代」)に対する考えを確立していくための助力=資料提示であるべきです
 私達教職員に求められているのは、生徒達一人ひとりが国や国旗・国歌等に対する自分の考えを確立していくための助力だと思います。
 「日の丸。君が代」の歴史やそれに対するいろんな意見について生徒の前に提示し、考え合う場を提供することが私達の責任だと思います。
 しかしながら、「国旗・国歌」を尊重する態度を養い、「君が代」を大きな声で歌うことを目的とする「指導」の中では、戦前のことであっても「日の丸」や「君が代」が果たした歴史的役割を伝えることすら禁止されます。「日の丸・君が代」強制は、そのまま歴史の歪曲・隠蔽につながっています。
 私は、「君が代」起立・斉唱の圧力に屈して、自分が大切にしてきた生徒との向き合い方の根本を捨て去ることはできません。「日の丸・君が代」の扱われ方の歴史については、生徒達にきちんと提示していきたいと思います。
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