パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

ICT教育は「人材育成」を目指していて、公教育の目的「人格形成」の逆をやろうとしている

2022年06月12日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  =3・12「日の丸・君が代」強制に反対!板橋のつどい2022報告②=
 ◆ 講演「公教育の目的は『人材育成』? タブレット授業の危うさ」
   講師 小寺隆幸さん


 ◆ 「君が代」で座った子どもたち

 私は以前、都内の公立中学校で数学を教えていました。東久留米市の中学校に勤めていたある年、「君が代斉唱」(テープ伴奏)で生徒の半分が座りました
 我々は座れとは言っていませんが、伝統的に飾られていた壇上正面の生徒の作品を、直前になって校長が撤去し、「日の丸」を貼ったことに生徒が腹を立てて座ったのでした。
 卒業式の主人公である自分たちが作った作品が撤去され、替わりに飾られる「日の丸・君が代」は何なんだという思いが沸き上がったのだろうと思います。
 ◆ GlGAスクール構想をめぐる文科省と経産省

 GIGAスクール構想は、Global(地球)、Innovation(技術革新)、Gateway(入口)、All(すべて)の頭文字をとったもので「すべての子が世界と革新につながる道」という意味です。
 各学校に高速大容量の通信ネットワークを整備し、1人1人に端末を配り、授業でも家庭学習でも使います。コロナの中でもオンラインで学びが続けられるというのがうたい文句です。
 文科省は2021年に「Society5.0時代に生きるのにふさわしい、誰一人取り残すことのない、公正に個別最適化され、創造性を育む学びを実現する」として5か年計画で行う予定でしたが、コロナがおきて膨大な補正予算がついて、一気にやってしまおうと始まりました。
 ここに、経産省も加わります。経産省は塾や教育産業を管轄し、海外の動きに詳しく、欧米の教育情報(ICT、電子黒板やデジタル教科書、1人1台端末、アダプティブラー二ングと言われるパソコンがリードしている教育)を知っています。
 特にアメリカでは、教育にAIプログラムが浸透しています。経産省は2018年からICTを活用した教育を進める「未来の教室」事業を始めています。
 GIGAスクール構想で、端末とWifiは国が補助しますが、ソフトや修理代は自治体負担です。
 買ったのは良いけれど、その後のメインテナンス、職員の研修などは自治体の予算を使います。教員加配などの教育予算が圧迫される心配があります。
 文科省は、GIGAスクールの4つの柱を挙げています。
   「個別に最適で効果的な学び」、
   「時間・距離などの制約を取り払った協同的な学び」、
   「教科データの利活用による効果的な学びの支援」、
   「校務の効率化」
 です。
 その子に応じた問題が出されるAIのドリル学習を黙々とタブレットに向かって行うことが「個別最適な学び」になり、すべてのテストの結果は膨大なデータとして蓄積されます。
 教育産業からすれば、データは宝の山で、新しい教材(プログラム)を作ることが可能になります。
 成績処理もPCで行い、職員会議の提案も紙ではなく、PCの画面で行います。お互いの顔を見ての職員会議ではなくなります。
 電子黒板は、全員分の意見をまとめて瞬峙に表示することができます。考えがひと目でわかるといいますが、それだけでは学び合いにはなりません。
 小グループや班で互いにノートを見せ合って、意見を言い合う中で少しずつ分かりあっていく、それが学び合いなのです。
 時間節約が効率的だという発想自体がおかしいのです
 機械を通すことで、人と人とのつながりが希薄になり、表面的な理解になりかねません。
 ◆ Society5.0のまやかし

 GIGAスクールの背景に、Society5.0という考えがあります。これは日本だけの言葉で、海外では通用しません。
 内閣府のHPによると、Society5.0はバラ色の社会で、
   「IoTですべてのものがつながり新たな価値が生まれる」、
   「AIが必要な情報を提供してくれる」、
   「イノベーションにより様々なニーズに対応できる社会」
 となっています。

 自動走行車やドローンは便利ですが、すべてバラ色とするにはあまりに一面的です。
 アマゾンで買い物をすると、AIが消費傾向を判断して別の商品を押し付けてきます。自分が主体的に選ぶのではなく、アマゾンに買わされるおそれがあります。
 Society5.0は、環境破壊や戦争の問題には一言も触れていません
 AIが私たちをコントロールしてくれるのは本当に意味があるのでしょうか。

 今のAIは、Deep Learningといって、与えられた膨大なデータをもとに判断します。
 こわいのは、AIを兵器に使うことです。自立型兵器と言って、人の手を介さないで相手を攻撃することができるようになります。
 機械がどうして相手を敵と判断し、攻撃すると判断したのかは分かりません。実は市民だったということが当然あり得ます。
 AIによる監視社会も問題です。
 今後、教育では小学校から高校までの成績すべてを蓄積される可能性があります。
 子どもの読書貸し出しの履歴や感想文から思想傾向も調べられます。小~高すべての成績が入試に使われ、合否判断ができるようになったら、過去のことが就職にまで影響し一生ついて回ります。
 そういう時代にならないとも限りません。

 学校で起きていることタブレットは道具なので、必要があれば使えばいいし、なければ使わなければいいだけです。
 ところがどの教科も週何時間は絶対使えと指示され、教員も使いたくもないのに使ったふりをしなければならなくなっています。
 小1では、パスワードを入れるだけで1時間が終わる、というようなことが起きています。
 教員も、バーチャルなものが使えるから教材の準備がなくて楽という面があります。

 しかし、実際に具体物を操作して、手の感触や音で頭の中にイメージとして定着するから抽象的な思考ができるようになるのです。
 コロナ休校の中でオンライン授業を試みた学校も多いと思いますが、通常の一斉授業を流しただけが多いようです。
 デジタル教科書は図やグラフ、絵などすべておぜん立てされています。子どもにとってみれば与えられたものを見るだけで、自分で調べることが手薄になります。
 調べるのは本を使うのが一番いい方法です。紙の本を開いて、ページを前後したりするのが読むことの意義で「手で読む」と言われています。
 デジタルと紙の本で読解力がどう違ってくるのか、どういう影響があるのかは今後の問題です。
 他にも、SNSの打ち言葉やコピペの問題、パスワード管理の問題などもあります。先生方は、そこまで指導しなければなりません。
 「子どもの力を最大限引き出すためのICT教育」とは、子どもは大人に力を引き出される対象であり、企業が社員の力をフルに引き出して利益につなげられるような社員にしていく、と同じ発想です。子どもはそういうものではありません。
 ◆ 「指導の個別化」と「学びの個性化」、「個別最適な学び」と「協働的な学び」
 千代田区立麹町中で行われた、経産省の「未来の教室」実証事業は、数学はすべてタブレットで行い、生徒はAIが出す問題を解いていきました。
 ここでは、教師は教えず、一人で黙々とタブレットに向かう生徒の巡視をするだけでした。
 2021年1月の中教審答申では、子どもたちに「正解主義」や「同調圧力」大きい、結果だけで判断するのは良くない、思考過程や考え方をきちんと評価すると言っています。
 子どもたちがICTを使うと「指導の個別化」と、子どもたちが関心をもったことを探求的に進めていく「学習の個性化」の両方ができる、というのが中教審の「個別最適」の論理です。
 それ自体は間違いではありませんが、今の学校で可能でしょうか。
 本当にやるのなら、今のような一斉学習では不可能で、学習指導要領の拘束性をどう変えていくかが問題です。
 ノルウェーの学校を見たとき、ノルウェーの教師は子どもが色々な学びをしていけば良いのだからとおおらかでした。カリキュラムの拘束性がないからでしょう。日本の学習指導要領ももっとゆるやかにしないと学習の個性化はできません。
 心配なのは「個別最適な学び」と「協同的な学び」を、教科学習はタブレットで「個別最適」に行い、総合的な学習では「協同的な学び」で行う、となりかねないことです。
 これはまちがいで、教科でも計算の仕方など、概念を作る学習こそいろいろな考えを出し合って進めていくのが子どもの学びであり、協同的な学びが必要なのです。
 経産省の「未来の教室」の責任者である教育産業室長は、「AI学習は所詮は正解が決まっている基礎学力の話なので」と語っていますが、教育が分かっていません。
 基礎学力は、正解が決まっているかどうかではなく、子どもたち自身がつかみ取って行く過程を経て概念をきちんと作ることが大切なのです。効率的に早く教え込むことが良いことではありません。
 「未来の教室」の「協働的な学び」の例として、SDGsをテーマとして「途上国の教育をについて提言しよう」というワークショップの例が紹介されていますが、SDGsの学習ではなく、企業のマーケティング調査の手法を中学生に体験させ、覚えさせようとするものでした。これが「未来の教室」の実態です。
 ◆ 人材育成と人格形成

 教育は人材育成のためではありません。
 教育の目的は人格形成です。人格は何かの手段ではありません。人材形成は企業のための手段です。
 子どもが、企業の役に立つように力を引き出す教育をするのか、子ども自身が主人公となって物事を判断できる主権者として大人になれるような教育をするのかが一番問われています。
 今、若者たちの保守化が話題になりますが、AIや情報システムが正解を与えてくれる、だからAIはいい、考える手間が省ける、といった思考と表裏一体ではないかと思います。
 自分で考え判断するのは苦しいけれど、自分で考えて一歩一歩進む、そういう子どもたちを育てていかないと、日本の社会はこれからどうなるのだろうと思っています。
 ※ 質疑応答

 ①「個別最適な学び」とは、「個性尊重」と同じことでしょうか。教育の目的である「人格の完成」は、「個別最適な学び」から実現するのでしょうか

 「個別最適な学び」を考えた側は、「子どもの能力や特性に応じた学びがあるはずだから、それを子どもに提起すれば効果的に学ぶことができるだろう」という考え方をしています。個性尊重は、1人1人がかけがいのない個性なのだから、優劣をつけるものではないという考えで、概念的に違います
 だれが「最適」を決めるのでしょう。そもそも正解のない学びがたくさんあります。正解があっても、後になって気付くものもあります。人間の学びは試行錯誤の繰り返しで、失敗を通して学んでいく、これが最適な学びなんだということがあるはずはないと思います。
 失敗をしないような学びがあれば、逆の子供を成長させない学びです。AIが絶対だからAIの言う通りやればよいとなれば人は物事を考えない主体になります。人間がロポットになるようなもので、個性尊重とは全く反対の話です
 ②教育のIT習熟度は、教育ITの効果測定の仕組みができているのでしょうか
 全然できていません。今学校では、何かあるとすぐエビデンスを求められますが、教育はすぐに結果が出るものではありません。教育に目先の結果を求めますが、すぐに結果が出ることもあれば、長い年月をかけて分かることもあります。10年後20年後に結果が分かることを、私たちは頑張ってやっていきたい。
 ③監視社会にメリットはありますか、デメリットは何ですか

 よく言えば、町から犯罪がなくなることでしょうが、それをもって安全になるからいいんだ、と私たちは考えてよいのでしょうか。権力支配層は、政治犯を捕まえようとか、特定の人をあらかじめ監視しようとか、そういうふうに使います。AIの顔認証は、1000万人の中の一人がどこにいるかすぐに分かってしまうそうです。自分は犯罪を犯さないから関係ないと思っているのは大間違いです。ロシアで、戦争に反対する市民が抑圧される状況が日本で起こらないとは言えません。監視社会は、ユートピアではなくディストピアです。
 発行/学校と地域をむすぶ板橋の会『手と手 声と声 NO.23』(2022年5月20日)
コメント    この記事についてブログを書く
« 近代の所産である「個人」が... | トップ | 改憲問題対策法律家6団体連... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日の丸・君が代関連ニュース」カテゴリの最新記事