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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

◆立ち読み『藤田勝久未刊の大作?』15

2005年01月26日 | 藤田の部屋
諸般の事情により、ご紹介に際して原稿の一部を割愛することがあります。出版までには遺漏のないように整理を行いますので、そちらを楽しみにお待ち下さい。


     ★ 3月26日(金)、「異例の捜査」、学校に捜査員十数名突入!
 終業式翌日、学校に警察が入るという情報が事前に流れた。
 朝8時半頃よりマスコミ関係者が校門に集まり出す。
 ついで卒業生がやって来る。
 弁護士も2名駆けつける。
 職員が窓より外の状況を窺う。
 3月とはいえまだ寒い朝であった。

 記者は卒業生へのインタビューを試みる。
 生まれて初めてのインタビュー、翌朝刊にこれまた生涯初めてのコメントが実名入りで報道されることとなった。

 捜査官13名は正門の状況を見て、グランド入り口東門より侵入した。
 元教員が式場に行く前立ち寄ったとされる一棟3年教室の実況見分、3年担任を立ち合わせ写真撮影、まことに異例かつ大掛かりであった。
 板橋署管内では直前殺人事件が発生しているが予定どおり。警備・公安部門は刑事・交通等は手伝わないのであろうか。
 この日のあと捜査は4月になっても続き、体育館、職員室の実況見分および多くの教職員への尋問が行われた。
 弁護士が立会いを要求するも拒絶された。

 実況見分の後、3年担任等への尋問を教室を使って開始した。
 30分聞いて、また30分尋問を繰り返す。
 都合5.6回、3時間前後に及んだ。
 任意であるが、都議会教育長発言、協力者、関係者処分の脅しが効いて皆尋問に応じる。
 拒否すれば元教員の協力者ということになる。
 刑事事件の証人はあとで法廷に呼び出されるということに留意する余裕はない。

 都高教(東京都高等学校教職員組合)のS弁護士は組合員の相談に対し聴取に応じるよう指示、都教委とのパートナー関係の維持を優先する。
 起立、不起立の問題においても「職務命令」が出たら一歩下がれとの方針であった。
 つまりは組合としての抵抗闘争はしないということである。

 尋問された教職員は一様に疲れきった表情であった。
 捜査は夕刻までも続き、校長は板橋警察に連行?され、そこで告訴、正確には「被害届」を提出した。
 卒業生の一部は夕刻まで残り見守っていた。

 翌朝、毎日は「異例の捜査」なる記事を書くこととなる。
Δ3月27日(土)、毎日新聞

 ★ 卒業生、抗議行動に立ち上がる(この項は、前記の★3月26日の前に入る)

 事態の推移を心配した卒業生は、板橋高校校長及び都教委に対しての電話による抗議・要望の活動を開始した。
 都庁交換は10名の交換手がいるという。
 次から次と掛かってくる電話に忙殺されたという。
 ある卒業生は、「教育委員会の一番上をだしてくれ」といい、30分にもわたって抗議したということだ。
 多くは指導部にまわされ「学習指導要領のなんの」と言われ話がかみ合わなかったようである。

 学校への捜査に駆けつけてくれた卒業生とともに、これら多くの卒業生の自発的な行動が今にして思うと、逮捕を諦めさせた最大の要因であると思う。
 卒業生諸氏には、深く感謝したい。

 卒業生のうち社会人の何人かがホームページを開設してくれた。
 掲示板で何でも一瞬にして書き込める。
 パソコンはあるが使い方も分らなかった私は、試行錯誤しつつ事実について書き始めた。
 どんな投稿があったかここで振り返ってみよう。
 
(続)

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