◆ 都教委のオリ・パラ教育
愛国心教育に執心~歪曲される日本の文化 (週刊新社会)
3月24日、東京2020大会の延期が突然に公表された。国際的、あるいは国内的にも様々に絡み合った膨大な利権が、複雑に絡み合っている本大会が、新型コロナウイルスという最も原基的な細胞によってこうも簡単に変更されたのである。(略)
◆ 「日の丸」が重要なカギ
東京大会が決定した2013年の翌年の14年には、早くも都「教育ビジョン」の中に「オリ・パラ教育」が示されている。そして16年に都教委は「オリ・パラ教育」の実施指針を示すとともに、小・中・高校ごとの『オリ・パラ学習読本』を現場に下ろした。
その内容では、オリンピツク憲章などが掲載され、またオリンピックの歴史等を紹介をしている。しかし他方で、「日本人としての誇り」などが強調されており、道徳教育に近似している。
とくに問題なのは、中学校版(高校版でも)で、自国と外国旗の3つの旗掲揚の仕方、さらにもっと多数旗の場合の掲揚仕方がプロトコル(儀礼)として紹介されている。いずれも「日の丸」を真ん中に掲揚するというものであるが、オリパラ競技の掲揚(金メダルが真中)とは無関係の内容だ。
オリンピック憲章のプロトコルの項にも国旗掲揚は書かれていない。とにかく「日の丸」が重要なのである。
都教委の「オリパラ教育」は、年間35時間の授業時数となっており、とくにアスリートを招いてその話を聞くことが重視されている。1校当たり15万円の予算が組まれており、アスリートへの報酬となっている。
アスリートの話は「『日の丸』を背負っての闘い」が中心で、「根性」の話も重要だ。教科「道徳」よりも具体的な愛国心教育となっているのである。
◆ 強制されるオリパラ観戦教育
「オリパラ教育」で今、問題になっているのは児童・生徒の観戦教育だ。
当日は交通規制が行われ、会場までは公共交通機関を利用することになり、1時間ほどもかかる学校も多く、引率教員は「安全が保障できない」と訴えているのが現状だ。
2月28日に市民団体の「都教委包囲ネット」が都教委要請を行ったが、東京の教育現場に割り当てられた約100万枚の内、約2割がキャンセル状態であるという。
筆者は都教委に観戦の学校や自治体別にまとめられた一覧表の開示請求を行ったところ、約2カ月も開示延長させられ、「一部開示・110枚」の決定で開示された文書を見て驚うかされた。
開示された110枚の全てが黒塗りで、中身は全く不明のままであった。観戦教育の実態は秘密のままなのである。
また、都教委の「オリ・パラ教育」は、道徳教育と愛国心教育をその中心課題としているが、大会延期によりこの「オリ・パラ教育」がさらに約1年も継続されるならば許されないことになる。
しかし、都教委の「オリ・パラ教育」は、大会実施後もその「教育」の趣旨をレガシーとして残していくとしており、コロナウイルスにより児童生徒の健康と生命を第一に考慮する趣旨こそ、大会のレガシーとする「オリパラ教育」を残していきたいものである。
◆ 文化プログラムとしでの五輪大会
アイヌを世界に紹介すべき
オリンピック「憲章」では、「文化プログラム」が重要なモメントして示されている。
競技を含めてオリンピック・ムーブメントとして平和と人権をうたっている。「東京2020大会」では人権や差別の問題を提起すべきである。
2000年にオーストラリアで開催されたシドニー五輪。この大会で注目されたのは、開会式でオーストラリアの歴史が展開され、その中で先住民族との和解の歴史が演出され、聖火の最終点火ランナーがアボリジニのアスリートであったことだ。
この演出は、平和と人権、そして「いかなる差別」にも反対するオリンピック憲章の趣旨に基づくものであった。
オリンピックは「競技大会」と同時に「文化プログラム」を実施することになっており、その両者でこの趣旨を実現することになつている。
このシドニー大会の趣旨を受け継ぎ、同憲章の趣旨に従うならぱ、「東京2020大会」では先住民族であるアイヌの文化を紹介し、また在日韓国・朝鮮人への差別の歴史、とくに従軍慰安婦や徴用工への加害の歴史について取り上げるべきであろう。
◆ 元首の行う大会宣言は誰
しかし、実際には「文化プログラム」で取り上げられようとしているのは日本の伝統文化であり、「クールジャパン」が日本の伝統として「オリンピツク・パラリンピック」(以下『オリ・パラ読本』)などで打ち出されようとしている。
「日本の伝統」という時、その概念は天皇制や京都に由来するものであることが多い。ここで最も重大な問題となっているのが、開会宣言を誰がするのかの問題だ。
同憲章では「開会宣言は開催国の国家元首によっておこなわれる」となっており、この「宣言」を天皇が行うとすれば憲法に反することになり、重要な問題に直面することになる。「東京2020大会」はこのような意味を孕んでいるのである。
◆ オリ・パラ競技は国家間の競技ではない
東京の児童・生徒に配布された『オリ・パラ読本』には、歴代大会での日本が獲得したメダル数の一覧表が収録されている。
東京大会で獲得するメダル数は、マスコミもかき立てて注目しており、実際、メダリストには多額の懸賞金が出されることになっている。
『オリ・パラ読本』では、歴代メダリストの話が英雄視されて掲載されている。国別メダル獲得競争は、大国間の競争になっていることは事実である。
しかし、オリンピック憲章第9条では、「国家間の競争ではない」と定めており、国家間の競争を禁じているのである。
メダルを煽り立てる「オリ・パラ教育」であってはならないのではないだろうか。
◆ より実践的な「道徳」
オリンピック「憲章」で「文化プログラムは、少なくともオリンピック村がひらかれている全期間を網羅したものでなければならない」と規定されているが、東京大会では「地域の文化資源を発掘し、文化芸術の振興や観光・経済の振興に貢献し、2020年以降のレガシーとする」ことが方針化されている。そして、文化プログラム・学校連携事業を推進するプロジェクトを立ち上げている。
これによれば、広域活動団体型として30校を指定し、地域連携型として129校が指定されており(都内全公立学校対象)、それぞれ独自の取組みを奨励している。
都教委は2016年に「オリ・パラ教育」の「実施指針」を出したが、その根幹は、「4×4」の基本的な取組み(「4つのテーマ」と「4つのアクション」)と5の資質である。
その中身は「ボランティアマインド」「スポーツ志向」、そして「日本人としての自覚と誇り」の醸成である。これは道徳教育に近似しているが、教科「道徳」よりも、より実践的で、より具体的であることが特徴だ。
新学習指導要領で示された全教科で実施の道徳教育の趣旨がパヅケージされているのが、この「オリ・パラ教育」なのである。
『週刊新社会』(2020年4月7日・14日)
愛国心教育に執心~歪曲される日本の文化 (週刊新社会)
元都立高校教員 永井栄俊
3月24日、東京2020大会の延期が突然に公表された。国際的、あるいは国内的にも様々に絡み合った膨大な利権が、複雑に絡み合っている本大会が、新型コロナウイルスという最も原基的な細胞によってこうも簡単に変更されたのである。(略)
◆ 「日の丸」が重要なカギ
東京大会が決定した2013年の翌年の14年には、早くも都「教育ビジョン」の中に「オリ・パラ教育」が示されている。そして16年に都教委は「オリ・パラ教育」の実施指針を示すとともに、小・中・高校ごとの『オリ・パラ学習読本』を現場に下ろした。
その内容では、オリンピツク憲章などが掲載され、またオリンピックの歴史等を紹介をしている。しかし他方で、「日本人としての誇り」などが強調されており、道徳教育に近似している。
とくに問題なのは、中学校版(高校版でも)で、自国と外国旗の3つの旗掲揚の仕方、さらにもっと多数旗の場合の掲揚仕方がプロトコル(儀礼)として紹介されている。いずれも「日の丸」を真ん中に掲揚するというものであるが、オリパラ競技の掲揚(金メダルが真中)とは無関係の内容だ。
オリンピック憲章のプロトコルの項にも国旗掲揚は書かれていない。とにかく「日の丸」が重要なのである。
都教委の「オリパラ教育」は、年間35時間の授業時数となっており、とくにアスリートを招いてその話を聞くことが重視されている。1校当たり15万円の予算が組まれており、アスリートへの報酬となっている。
アスリートの話は「『日の丸』を背負っての闘い」が中心で、「根性」の話も重要だ。教科「道徳」よりも具体的な愛国心教育となっているのである。
◆ 強制されるオリパラ観戦教育
「オリパラ教育」で今、問題になっているのは児童・生徒の観戦教育だ。
当日は交通規制が行われ、会場までは公共交通機関を利用することになり、1時間ほどもかかる学校も多く、引率教員は「安全が保障できない」と訴えているのが現状だ。
2月28日に市民団体の「都教委包囲ネット」が都教委要請を行ったが、東京の教育現場に割り当てられた約100万枚の内、約2割がキャンセル状態であるという。
筆者は都教委に観戦の学校や自治体別にまとめられた一覧表の開示請求を行ったところ、約2カ月も開示延長させられ、「一部開示・110枚」の決定で開示された文書を見て驚うかされた。
開示された110枚の全てが黒塗りで、中身は全く不明のままであった。観戦教育の実態は秘密のままなのである。
また、都教委の「オリ・パラ教育」は、道徳教育と愛国心教育をその中心課題としているが、大会延期によりこの「オリ・パラ教育」がさらに約1年も継続されるならば許されないことになる。
しかし、都教委の「オリ・パラ教育」は、大会実施後もその「教育」の趣旨をレガシーとして残していくとしており、コロナウイルスにより児童生徒の健康と生命を第一に考慮する趣旨こそ、大会のレガシーとする「オリパラ教育」を残していきたいものである。
◆ 文化プログラムとしでの五輪大会
アイヌを世界に紹介すべき
オリンピック「憲章」では、「文化プログラム」が重要なモメントして示されている。
競技を含めてオリンピック・ムーブメントとして平和と人権をうたっている。「東京2020大会」では人権や差別の問題を提起すべきである。
2000年にオーストラリアで開催されたシドニー五輪。この大会で注目されたのは、開会式でオーストラリアの歴史が展開され、その中で先住民族との和解の歴史が演出され、聖火の最終点火ランナーがアボリジニのアスリートであったことだ。
この演出は、平和と人権、そして「いかなる差別」にも反対するオリンピック憲章の趣旨に基づくものであった。
オリンピックは「競技大会」と同時に「文化プログラム」を実施することになっており、その両者でこの趣旨を実現することになつている。
このシドニー大会の趣旨を受け継ぎ、同憲章の趣旨に従うならぱ、「東京2020大会」では先住民族であるアイヌの文化を紹介し、また在日韓国・朝鮮人への差別の歴史、とくに従軍慰安婦や徴用工への加害の歴史について取り上げるべきであろう。
◆ 元首の行う大会宣言は誰
しかし、実際には「文化プログラム」で取り上げられようとしているのは日本の伝統文化であり、「クールジャパン」が日本の伝統として「オリンピツク・パラリンピック」(以下『オリ・パラ読本』)などで打ち出されようとしている。
「日本の伝統」という時、その概念は天皇制や京都に由来するものであることが多い。ここで最も重大な問題となっているのが、開会宣言を誰がするのかの問題だ。
同憲章では「開会宣言は開催国の国家元首によっておこなわれる」となっており、この「宣言」を天皇が行うとすれば憲法に反することになり、重要な問題に直面することになる。「東京2020大会」はこのような意味を孕んでいるのである。
◆ オリ・パラ競技は国家間の競技ではない
東京の児童・生徒に配布された『オリ・パラ読本』には、歴代大会での日本が獲得したメダル数の一覧表が収録されている。
東京大会で獲得するメダル数は、マスコミもかき立てて注目しており、実際、メダリストには多額の懸賞金が出されることになっている。
『オリ・パラ読本』では、歴代メダリストの話が英雄視されて掲載されている。国別メダル獲得競争は、大国間の競争になっていることは事実である。
しかし、オリンピック憲章第9条では、「国家間の競争ではない」と定めており、国家間の競争を禁じているのである。
メダルを煽り立てる「オリ・パラ教育」であってはならないのではないだろうか。
◆ より実践的な「道徳」
オリンピック「憲章」で「文化プログラムは、少なくともオリンピック村がひらかれている全期間を網羅したものでなければならない」と規定されているが、東京大会では「地域の文化資源を発掘し、文化芸術の振興や観光・経済の振興に貢献し、2020年以降のレガシーとする」ことが方針化されている。そして、文化プログラム・学校連携事業を推進するプロジェクトを立ち上げている。
これによれば、広域活動団体型として30校を指定し、地域連携型として129校が指定されており(都内全公立学校対象)、それぞれ独自の取組みを奨励している。
都教委は2016年に「オリ・パラ教育」の「実施指針」を出したが、その根幹は、「4×4」の基本的な取組み(「4つのテーマ」と「4つのアクション」)と5の資質である。
その中身は「ボランティアマインド」「スポーツ志向」、そして「日本人としての自覚と誇り」の醸成である。これは道徳教育に近似しているが、教科「道徳」よりも、より実践的で、より具体的であることが特徴だ。
新学習指導要領で示された全教科で実施の道徳教育の趣旨がパヅケージされているのが、この「オリ・パラ教育」なのである。
『週刊新社会』(2020年4月7日・14日)
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