徒然なるまゝによしなしごとを書きつくる

旧タイトル めざせ、ブータン

面白い記事

2018年11月23日 | 文明

またまたパクリでごめんなさい、CNNに面白い記事が出てたのでご紹介。https://www.cnn.co.jp/travel/35042302-2.html

(CNN) 英国を訪れる外国人客に、ホテル従業員はどう対応すべきか。英観光庁がこのほど作成した観光業界向けの手引きには、相手の国ごとに興味深いアドバイスが並んでいる。

カナダからの訪問客を米国人と呼んではいけない

インド人は愛想が良いが、気が変わりやすい

・日本人の要望には、たとえ具体的に言われなくても、すべて先回りして対応すること。

・ドイツ人とオーストリア人は総じて遠慮がなく要求が厳しいため、無礼で攻撃的に見えることもある。苦情には迅速に対応すること。

・オーストラリア人が冗談で英国人を「Poms」という俗称で呼ぶのは、親しみを込めた表現だと心得ておくこと。

 ・香港の迷信深い人には、歴史ある建物や四柱式のベッドで眠るのは幽霊が出そうだと嫌うので、勧めてはいけない。

・面識のないフランス人にはほほ笑みかけたり、目を合わせたりしてはいけない。

・ベルギー人には、同国の複雑な政治や言語圏の話をしようとしてはいけない。

・日本人客にははっきり「ノー」と言わず、もっと感じの良い言い方を考えなければならない。

まあ、外人と付き合うってこう言う事だから、若い人はどんどん海外に行って見聞を広めてほしいもんだね(´・ω・`)


日本文化の多重構造

2014年06月06日 | 文明

佐々木高明という民俗学者の書いた”日本文化の多重構造”という本を読んで、色々と考えさせられた。この佐々木先生の略歴を見ると興味深い。京大博士号取得で国立民族学博物館名誉教授・元館長といった錚々たる略歴だが、その冒頭に京都大学の図書館で働きながら、1952年、立命館大学文学部地理学科(夜間)卒業。梅棹忠夫に見込まれる。 とある。ああ、苦学の人であったのか、との思いがする。この先生、大変な碩学だが残念ながら昨年(2013年)4月に亡くなられている、享年83歳。

この本は、かって柳田國男の提唱した日本稲作文化論に対して、縄文期における焼畑を中心とした南方経由の照葉樹林文化と、北方系のナラ林文化の基層と渡来稲作文化の融合したものとしての日本文化形成を説いている。

日本人は単一民族で共通の文化を保持している、という見方がある。しかし、現代の我々の暮らしの中にも縄文、弥生と続く重層的な異種文化が重なっている証拠がある。例えば、正月に食べる餅、あるいは雑煮に入れるサトイモ。餅はもち米から作るがこのネバネバ、モチモチした食べ物を食べる伝統は決して中華文明由来ではない。これは、雲南省から続く照葉樹林帯文化の特徴なのだ。また、ハレの日である正月の最初の食事でサトイモを食べる。これも稲作以前の焼畑農業の名残と考えられる。

縄文時代は狩猟採集を行っていたと考えられているが面白いデータがある。縄文時代の人口分布だ。

一見して判るとおり縄文時代の人口分布は圧倒的に北に偏っている。ここで100平方kmあたり300人という人口密度は狩猟採集民としては世界最高レベルらしい。このような北に偏って且つ高い人口密度を支えたのは落葉広葉樹のナラ林帯だ。ここでは栗、どんぐり、クルミなどの堅果採集と共にプレ農業的な生産の痕跡が有る。

稲作以前に東日本にはナラ林文化があり、西日本には照葉樹林文化が栄えていたところに大陸から朝鮮半島南部を経由して稲作がかなり完成した形で伝来した。元々、農業の素地があったところに生産性の高い稲作が伝わったのでかなり早いスピードで稲作は拡大した。

しかし、稲作が日本の主流たるのは近世の石高制以降の事らしい。山村では昭和期まで焼畑農業が残っていた。日本は豊葦原瑞穂国である、というのは稲作キャリアーであった天皇家に限った話で、それ以前に照葉樹林文化やナラ林文化があり、その伝統は現代にまでつながっている。日本は重層的な文化素地を持っている事を、改めて考えさせられた。


尼崎変死事件に思う事

2013年11月01日 | 文明

昨日、尼崎連続変死事件の地裁判決が出た。主犯の角田美代子は拘留中に自殺したが、残りの共謀したとされる3人に関して有罪判決となった。

この3名に関する精神鑑定で奇妙な名称が出てくる。学習性無力感、明らかな精神障害は無いが、善悪を判断する能力が失われるか、著しく損なわれ、行動を制御する能力が失われた状態、とされている。

鑑定書を書いた精神科医は理解していないようだが、これも二分心(Bycameral mind)の典型的状態だ。 角田美代子の強圧的圧迫の下で彼等は自意識を無くし、二分心の命令にのみ従うモードに移行していたと考えるべきだろう。

この有罪判決は本当に正しい判断だろうか? 結論から言うと、この3名は無罪になって社会生活に戻っても角田が死んだ今となっては再犯の可能性はゼロだろう。二分心の状態のヒトは自意識を失っているので、その行動は命令者の指示に従うロボットと同じだ。ロボットを罰したところで意味は無い。全てのヒトは、古代においてそうであった様に、誰でも状況次第で二分心になり得る。よって、この事件の責は角田美代子その人個人のみに帰するのでは無かろうか。

この事件は我々に不気味な感じを与える。その理由は我々が太古の時代に持っていて、今は失ってしまった感覚を呼び起こすからに相違ない。今でもヒトは状況によって、二分心モードに退行し得る、という事は覚えていたほうが良いだろう。


おじろく・おばさ考

2013年10月23日 | 文明

おじろく・おばさという風習が伊那の山村に昭和まで残っていたようです。(下添付参照) これは今村昌平の映画、楢山節考でも描かれていた、長男以外は嫁取りを許されず、一生独身で終わる一種の人口抑制制度の当事者を指します。一体何処の話かというと下図Aのあたり、諏訪湖を流れ出した天竜川が飯田を過ぎて山岳狭隘部分を流れる南アルプスと中央アルプスの接合するあたり、伊那谷での話です。

ここで興味深いのは、おじろく・おばさと呼ばれた人びとの精神状態です。

以下、引用

そんな奴隷的な状況が、ある種の精神障害をもたらすのだろう。おじろく・おばさは無感動のロボットのような人格となり、言いつけられたこと以外の行動は出来なくなってしまう。いつも無表情で、他人が話しかけても挨拶すら出来ない。将来の夢どころか趣味すらも持たず、ただただ家の仕事をして一生を終えるのである。 なにごとにも無関心で感情が鈍く、自発性が無くなった様子がうかがえる。

 この「おじろく・おばさ」の取材に先立ち、近藤は二つの推論を持っていたようだ。一つは、もともと遺伝による精神障害が多い集落であり、そのような人々がおじろく・おばさになるのではという説。もう一つは、気概のある若者は村の外に出てしまい、結果、無気力な者だけが残ったという説。しかしこの二つともが間違いであり、長年の慣習に縛られた環境要因によって、人格が変化してしまったのではというのが近藤の結論だ。彼らの多くが子供時代には普通で、20代に入ってから性格が変わってしまうというのも、その裏づけとなるだろう。

ここで示される精神状態は決して当人のもつ異常性から発したものではなく、社会的状況がそのような精神状態を引き起こしたという事。そしてそこで示されるものは、意識の希薄なただ命令に従って動くロボットのような状態。これはジェイソン・ジェインズの言う 二分心(Bycameral mind)そのものです。

3000年前、古代における人類は全員この状態であったわけで、それが20世紀・昭和の日本にも存在したという事になります。以前私のブログでコメントしたとおり、ポル・ポト時代のカンボジア人も二分心モードにあったのではないかと思われるのですが、これもほんの30年前の話です。 (下の写真はポルポト政権下で虐殺されたカンボジア人の遺骨)

そう、ヒトは比較的簡単に二分心に退行する可能性がある。太平洋戦争、戦時下の日本人の精神構造も或いはこれに近かったのかもしれない。ヒトの意識というのは実に底が浅く、一皮剥けば 二分心=精神分裂状態 がすぐに姿を現す。 おじろく・おばさの話から、そのような思いを深くします。

 近藤廉治「未分化社会のアウトサイダー」精神医学1964年6月号11頁以下


神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡

2013年09月13日 | 文明

久しぶりにぎっくり腰をやってしまった。床の新聞を取り上げようとして屈んだとたん、ガキッとかバキッとか音がしてヤバイと思ったら腰が固まってしまった。固まったと言うか、動かすと悲鳴を上げるような例の一突きが来るので、怖くて動かせなくなる。一説によると、この腰痛はヒステリーの一種で脳が痛みの幻影を作り出しているという話がある。それを起こしている問題を自覚すると痛みが消える、という訳だが私の場合はいくら考えても痛みは消えませんでした。

ということで、3日間ほど動けずに暇だったのでジュリアン・ジェインズの大著、”神々の沈黙”を読破してやった。

この本は読んでよかった。これを読む前と後で、古代史に対する認識、宗教、神、意識といったものの見方が180度変わってしまうような、恐るべき内容を含んでいる。

人とチンパンジーの祖先が分離したのが700万年前。この時点で人類に意識が無かったのは明らかだ。この間のどこかで意識が芽生えたのだが、ジェインズはそれをほんの3000年前だと主張する。

彼の文明・意識進化論を俯瞰すると、まず人類は共同で狩猟を行うための話し言葉を会得し、その後、右脳の発する言葉による指示に従って行動する二分心(Bicameral Mind)モードに移行する。そして文字が発明され、文字による物語が形成されると同時に二分心は崩壊し意識が成立した。

二分心における右脳の発する言葉は神の声として記録されている。ギリシャ叙事詩イーリアスにはそれが明確に記述されており、アキレウスなどの登場人物は自分の意思で行動するのではなく全て神の指示に基づいて闘ったり逃げたりしている。この時代の人類には意識が無く、右脳の言語野に相当する部分の発する言葉に従って自動人形のように行動していた、というのが二分心の時代だという訳だ。

神はこの二分心の時代に実在した。皆が神の声を聞いて其れに従っていた。ここには何の疑いも迷いも無い、完全な服従があった。というより、意識が無い以上考える主体が存在しなかったわけである。

紀元前6世紀頃、一斉に世界宗教が花開いた。プラトン、ソクラテス、ゾロアスター、ブッダ、孔子... 旧約聖書の原典が成立したのもこの時期だ。アダムとイブの失楽園ではこう書かれている。

”ヘビは約束する、おまえは善悪を知る者となる。そして知恵の実を食べたところ突然、二人の目は開いた。そして、彼等は自分達が裸であることを知った。”

まさにこれは、二分心から意識をもつ人間への変容を示している。そしてこれ以降ヒトは神の声を直接聞くことが出来なくなった。意識ゆえ神の国を追放されたわけだ。

地中海文明において、この意識の萌芽は紀元前10世紀頃に見られる。叙事詩イーリアスの後、オデッセイの前である。しかしその他の地域、例えば中南米のマヤやインカにおける意識の芽生えはもっと遅く、例のピサロの150名の兵士がインカ帝国を打ち破ったときインカ人は二分心であった為、あれほど脆く敗れ去った。古代文明を理解するために、この二分心を知らなければ決して本質には迫れない。

個人的な経験だが、最近行ったカンボジアでは20年ほど前、ポルポトが300万人とも言われる大虐殺を行った。国民の1/3を殺した勘定になる。この時のカンボジア人は二分心に戻っていたのでは無いかと思う。ポルポト時代の話をするときカンボジア人ガイドの目が妙に空ろになるのが印象的だった。

600ページを超える分厚い本の内容を、簡単に紹介するのは無理と言うものだが、古代史の謎や神、意識という事柄に興味があるなら、この本は必読と言える。フロイトやダーウィンに匹敵する人間性理解の為の重要な著作だと思います。

 


ブータンの数詞

2011年06月30日 | 文明

そろそろ、JICA派遣前訓練も近づいてきたので書籍でブータン関連の勉強を始めました。(ドロナワです、ポリポリ) ブータンの言語は主に3種類あり西ブータンで使われているゾンカ(ゾン語)、 中央ブータンのプムタンカ、東ブータンのシャーチョップカでゾンカが国語となっている。ただし、学校教育は全て英語とのことです。ゾンカはチベット語に類似でほとんど方言レベルだということです。

このゾンカについて面白いことに気づきました。下記にブータンと日本の数詞を併記します。

数字 ブータン  日本      数字  ブータン   日本

1     ci           ici             6        dru         roku

2         nyi            ni      7       dun         nana

3         sum          san          8        ga           hachi

4         zhi            shi           9        gu           kyu

5         nga           go          10    chutham      jyu

                                          11        cuci        jyuichi  

                                          12        cunyi      jyuni

いかがでしょうか? 1,2,3,4,5,9、11,12 などは日本語のままでブータンで通じそうです。ブータン人の顔つき、気性、服装等は日本人に近いものがあるとは思っていましたが、数詞がここまで類似しているとは思っていませんでした。まあ、数詞に関していえば中国語でも日本語に近いといえば近い部分はあるので、アジア(中国)文化圏として似通っているのはそれほど不思議なことでは無いのかも知れません。しかし、良く似ていますよね、びっくりしました。

 


海外から見た震災 ファイナンシャル・タイムス抜粋

2011年03月22日 | 文明

ファイナンシャル・タイムスの海外記者が見た今回の地震、原発事故に関する記事の抜粋です。

http://jbpress.ismedia.jp/category/ft

地震と日本人

 

 ...しかし、筆者の頭に一番長く残るだろう2つのイメージは、それよりずっと小さな出来事だ。1つ目は、マグニチュード9.0の地震がその破壊力を解き放った瞬間のスーパーの様子を捉えた映像だ。商品がきれいに積み上げられた棚が揺れ始めた時、店員たちは慌てて逃げ場を求めたりしなかった。その代わり、醤油の瓶や味噌のパックが床に落ちるのを防ごうとしたのだ(概ね努力は無駄に終わった)。 店員たちの勤勉さは、今ほど困難でない時に人が日々目にする、さりげない献身的な行動を思い出させてくれる。

...日本はその国民以外にほとんど天然資源を持たない国だ。日本の奇跡を生み出したのは彼ら日本人であり、また、世界がこの国の経済停滞にうんざりし、幻滅した時でさえ、別の種類の日本の奇跡を守り通してきた人々だ。

... 壊滅的な被害に遭った大船渡港の住民たちが、破壊された家からモノを盗んだ容疑で4人が逮捕されたという噂を聞いてうろたえていること自体、日本人が自らに課している社会秩序の高い基準を示すものだ。「ここはいい町だと思っていたのに」と、ある住民はこぼす。瓦礫の山の中でも、住民たちが礼儀正しいユーモアをもって、隣人や訪問者と接する様子がうかがえる。こんな時になぜ被災者たちが笑うことができるのか尋ねると、釜石市内のある村の漁業組合代表を務めるミウラ・マサトさんは「我々は日本の侍だからだ!」と言って、友人たちの笑いを誘った。「私たちは顔で笑って心で泣くんです」とミウラさんは言う。

原発事故について

...臨時ニュースや各紙1面が伝えるただならぬ光景は、そうした冷静な対応に不利に働く可能性が高い。米国原子力規制委員会(NRC)の元委員、ピーター・ブラッドフォード氏が指摘するように、我々は今まで1度も「テレビで原子力発電所が爆発する映像」を目の当たりにしたことがない。

...東電は原発で起きた爆発について1時間も首相官邸に連絡せず、菅直人首相は東電幹部に対して「一体どうなっているんだ」と、強い口調で情報を要求する羽目になった。連絡の遅れは、東電のエンジニアたちがずっと「中央政府に問題を報告することを避ける」傾向を引きずってきた可能性があることを示唆している。これは、過去20年間の安全性評価報告の改竄が発覚した2002年に同社自身が認めざるを得なかった失態だ。

...(スリーマイル島は)汚染除去を完了するのに12年間の歳月がかかった。米国では30年間にわたって、新たな原子力施設を建設することがほぼ不可能になり、歴代政権も反発を恐れて、警戒する有権者にこの問題を突きつけようとしなかった。

... 素人には狂気と思える状況(世界で最も地震が起きやすい島国に55基もの原子力発電所を設置すること)を後押しした背景には、外国の石油と石炭に依存する日本の弱さに対する意識があった。だが、そこには、日本政府の究極の思い上がりもあった。国民がどう思っていようとも、日本の技術者はこれだけ当てにならない土地に安全な原子力産業を築くことができると確信していたのだ。

...だが、切迫した危機が収まるに従って、世間の関心は、何が問題だったのか、という点に向かうだろう。問題の原発を運営する東京電力に対する疑問が出ている。同社はこれまでにも、隠蔽を図ったり、安全性基準を破ったりしてきた過去がある。

そして

...「歴史的に日本という土地は、非常に長い間、年に数回の台風に襲われてきた。だから、恐らく我々の精神も影響を受けてきた。我々は災害を受け入れ、立ち直る」慶應義塾大学の嘉治佐保子教授(経済学部)も、2011年の地震と津波が転機となる可能性があると考えている。「学生たちに、日本はここからスタートしなければならないと言っている。これがグラウンド・ゼロだ」と嘉治氏。「我々は町全体を再建しなければならない。単に、元の場所で元のまま建てるわけにはいかない」 「今ほど技術に依存しない未来、あるいは違う種類の技術に頼る未来が必要だ。我々は、どうやって発電するかも再考しなければならない。それが明るい面だ。もしかしたら、それが全く新しい産業を生み出すかもしれない」

 

 


ジョージ・バーナード・ショウ

2011年01月30日 | 文明

唐突ですが、J・バーナード・ショウが面白い。


彼の有名な逸話にこんなのがある。

パーティである有名な女優に求婚され、「あなたの知性と私の美貌を兼ね備えた子供が生まれたらどんなに素晴らしいかしら」との言葉に対し、「あんたのお頭と俺の面の子供が生まれたらどうするね」と答えたという。

もっと面白いのがこれ、

ショーは菜食主義者であった。「私は現在85歳だが、これまでと同じように元気に仕事をしている。もうかなり長く生きたので、そろそろ死のうかと思っているのだが、なかなか死ねない。ビーフステーキを食べれば、ひと思いに死ねると思うのだが、私には動物の死体を食べるような趣味はない。私は自分が永遠に生きるのではないかと思うと、空恐ろしい気分になる。これが菜食主義の唯一の欠点である」と言った。

信仰に対するコメント

.「信仰を持つものが無神論者より幸せだという事実は、酔っ払いがしらふの人間より幸せなことに似ている」

その他、私が面白いと思った言葉

  • 「黙らせたからといって、意見を変えさせたわけではない」
  • 「銀行の預金通帳だよ」(「あなたが一番影響を受けた本は何ですか」という質問への回答)
  • 「青春は若いやつらにはもったいない。」
ジョン・ブル的ユーモアの極致とでも言いましょうか、なんとも辛辣な...

 


二つの洪水

2011年01月08日 | 文明

農耕は”肥沃な三日月地帯”から始まったとされる。これはエジプト・ナイル流域からメソポタミア・チグリス、ユーフラテス川の先、イラン高原までの地域である。小麦、大麦、エンドウ、レンズマメ等の栽培が約1万1千年前に、ここから始まった。 この農耕の開始に北米にあった氷河湖の崩壊が関係していると言われている。

最後の氷河期が1万5千年前に終わり、地球の気温は急激に上昇した。北米大陸を覆っていたローレンタイド氷床はこの気温上昇により溶け出し、五大湖の北西、現在のウィニペグ湖のあたりにアガシー湖という五大湖全てを合わせたより大きな氷河湖が出現した。最初はスペリオル湖との間を氷河堆積物(モレーン)で仕切られていたが融解が進むにつれ水位が上昇し、ついには土手が決壊しアガシー湖の冷たい淡水はスペリオル湖、セントローレンス川を経由して一気に大西洋に流れ込んだ。この多量の冷たい淡水は大西洋の表層を覆い温暖化しつつあった地球を、その後1000年間、再寒冷化することになった。この出来事をヤンガー・ドライアス・イベントと呼ぶ。

一旦温暖化が始まり、以前の狩猟採集生活から豊かなピスタチオやドングリに頼った定住採集生活に移っていた三日月地帯の人々は急激な旱魃に襲われた。そして、これをきっかけに植物(一粒小麦)の栽培を始めたらしい。その後、ヤンガー・ドライアス・イベントが終わり気温が再上昇し始めると共に農耕が各地に広まった。 人類文明の始まりである。

氷河期には陸地に氷床が発達し海水面が低下する。現在、黒海があるエリアは氷河期には地中海とは切り離され、海水面より150m下にエウクセイノス湖という淡水の湖を形成していた。この豊かな水のある平原に人々は定住し、農耕と放牧を行っていた。しかし気温上昇がもたらす氷床の融解とそれに伴う海水面の上昇はついにマルマラ海とエウクセイノス平原を仕切る障壁を超えた。今から7600年前の事だ。この事実がわかったのは20年ほど前で、黒海の深海コアに含まれる花粉や、淡水貝から海水貝への急激な変化からこれが判明した。

このエウクセイノス平原に住んでいた人々を襲った洪水は、一日に1.6kmの速さで進行し農地も住居も家畜も人々も飲み込んだ。 人類はこの記憶を留めている。 ノアの箱舟が流れ着いた伝説のあるアララト山は、黒海の南東に位置する。

参照図書; 古代文明と気候大変動 、B・フェイガン


ピラミッドの謎

2011年01月04日 | 文明
古代文明の代表であるエジプトのピラミッドも謎だらけである。 吉村作治氏が言っていたが、エジプト学者は誰も、あれが王の墓とは思っていないとの事。 何のために作られたか、がそもそもの謎なのである。その吉村氏が監修しているオリオン・ミステリーという本がある。ピラミッド関連の書籍にはかなりのトンデモ本があるので注意が必要だが、これはまじめな本である。著者はR・ボーヴァル、E・ギルバート。

まず上の左図を見ていただきたいが、これはギザの3大ピラミッドの航空写真である。2点すぐに気がつく事がある。まず三つのピラミッドは直線上にレイアウトされて無く特に右上のピラミッドは若干上方にずれている。二点目は右上のピラミッドが下の二つのピラミッドより小さいことだ。このレイアウトに何か意味があるのでは無いかというのが本の主旨である。右の図は天空のオリオン星座の帯の三ッ星の写真である。如何であろうか? この本の著者はこの二つに相似関係を見出した。直線からずれた位置関係、大きさの類似。私もこの主張に深く同意する。
もう一つの事実が天の川とオリオンの位置関係と、ナイル川とギザの3ピラミッドの位置関係だ。(下図)これも類似している。
また、ピラミッドの内部にはシャフト(通風孔?)と呼ばれる20cm角の直線状の穴が3本穿たれている。これがそれぞれオリオン、シリウス、竜座アルファの方向に向いていた。向いていたという点に意味がある。地球は歳差運動といって回転している独楽がゆらゆらと首を振るのと同じ運動をしており、地軸は3万年周期で回転している。この歳差運動の影響で、上記の三つの星がシャフトから見えたのは紀元前2500年で再び見えるのはそれから半周期後の1万5千年後ということになる。つまりシャフトを含むピラミッド構造がある種のタイマーの役割を持っているとも言える。推測ではあるが古代エジプト人は星辰信仰に基きピラミッドを建造したのでは無いかというのがこの本の主張である。 あなたは、どう思いますか?


アンティキテラ

2011年01月04日 | 文明

 

1901年、ギリシャのアンティキテラ島の沖に沈んでいた沈船から引き上げられた青銅の塊(左写真)は長い間その目的が判らなかった。 発見から55年後イギリスの物理学者プライスはアテネでこれと対面し、始めてこれが精密な歯車による、ある種の計算機であることに気がついた。 しかし、この機械の真の目的が明らかになるまでには、また長い年月がかかった。 これが明らかになったのはつい最近、2005年に強力なマイクロフォーカスX線撮影により細部の撮影が可能になって以降のことである。

この機械は30以上(72個という説もある)の歯車を持ち月、太陽、火星、水星の位置を示すと共に月食、日食を予測、計算するアナログコンピュータであったのだ。製作されたのは紀元前一世紀。これと同様な機械は18世紀の時計の出現を待たなくてはならない。

古代人の天文学、暦に関する知識、興味には異常なものがある。最初は農耕を司る王の役割として、種まき、収穫の時期を決めるためのカレンダーから出発したのであろうが、その後の執着振りは度を越えている。マヤ文明に至っては小数点3桁の精度で暦を作っている。

現在我々の使っているグレゴリオ暦の精度は365.2425日/年で実際の公転周期365.2422に対して0.0003日、3300年に一日の誤差を持っているがマヤ暦は365.2420日/年で誤差0.0002日、5000年に1日の差である。 ちなみにグレゴリオ暦では変則的な閏日で誤差を調整するがマヤでは1年が260日の宗教年との連動で示す。

59宗教年 x 260日 = 42太陽年 x 365.242

http://www.geocities.jp/why260days/

文化、文明とは余剰生産が生み出す、とはよく言ったもので、このような精緻、精密な観測に基く天文研究を王権に庇護された神官たちは延々と続けたのだろう。この執着は何処から来るのだろうか?日本でも陰陽師がその役割を担っていたようだが、例えば日食を予測するという事は天変地異を予測する事に等しく、ひいては未来を予測する能力と見られていたのかも知れない。占星術というのは未来予測の願望の現われとすると精密な天文予測は精密な未来予測と同義だったのだろう。もし未来が予測できるとするなら、彼等の執着も理解できるような気もする。