JICAの海外ボランティアに参加するには英語の試験がある。今回の22年秋募集からはそれがTOEICに統一された。私自身は数年前、業務上の関係でTOEICを受験していたので、その結果を提出することで試験が免除されていて、仮に一次にパスした場合でも英語試験は無いので気が楽である。
私は理系のせいもあり、はっきり言って英語が苦手である。しかし、外国で拙い英語でコミニュケーションをとる事は大好きで、どちらかと言うと日本人と会話するより饒舌になる面がある。これには私のある貴重な教育経験が関係している。
今から25年以上も前の事であるが、企業教育の一環として3日間の英語特訓コースに参加を命じられた。普通なら3日ほど英語を詰め込んでもどうにもならない。如何せん、中学、高校、大学と10年にもわたる英語教育でどうにも為らなかった会話能力が3日でどうにも為るわけがない、と....、 ところが、である。3日間で私は華麗な変身をとげてしまった。
この教育コースの内容はかなりユニークで、最初に、部下に無理な残業の指示を英語で出すという事を自分で演じビデオ撮影し、其れをレビューすることから始まる。これから始まり3日間、徹底的に追及されるテーマは”コンテクスト;文脈”或いは"バーバル、ノンバーバル"という言葉によるコミニュケーションに関する文化的背景、特に日本人の特殊性に関するものであった。
その主旨を要約すると、日本人は相手が”YES"と言った場合でも、その背景にあるコンテクストを探ろうとする。たとえば相手があくびをしながら言ったか、足をデスクの上に乗っけたまま言ったかで、これはモシカシタラ”YES"と言っているが実はそうではないのでは無いか? などと考える傾向が有る。しかし、アメリカ人、ドイツ人、中国人etc.etc.に於いてはそれは関係なく”YES"は”YES"なのである。なぜ、日本人がコンテクストを重要視してノンバーバル・コミニュケーションを行うかだが、これには島国という閉鎖的な環境が影響している。例えば、米国のように人種のるつぼのような場所では、それぞれの民族の文脈の意味するところがさまざまでそれに立脚したコミニュケーションなど取りようが無い。日本は長い間、島国で単一民族として文化を育ててきており暗黙のルールを共有することが出来る故にコンテクストが成り立つ。しかしこの様な例は極めて珍しく、世界の普遍的なあり方とはかけ離れていることを理解すべきであろう。
私はこの講義を受けるまで英会話がほとんど出来なかった。なぜなら外国人の振る舞いに含まれているコンテクストを読めない状況でニヤニヤ笑ってこちらに敵意が無いことをわからせる以上に踏み込む事が出来なかった。ところがである、この教育コースで日本人を除く世界の大多数の人間は、コンテクストは無視して言葉・バーバルなコミニュケーションに100%依存している、と言うことに目覚めたわけである。しゃべらなければ意思は通じない、これがエッセンスである。
以降、私はこれを肝に銘じ、恥も外聞もなく英語でしゃべり捲くり、今でもとても上品で知的な英語とは言えないがそれを続けている。ついでに言うと、コンテクストを無視するという事は実に気が軽くなる、いらぬ気を使う必要が無いからしゃべった言葉だけを信じて相対することが出来るわけで日本語より饒舌になる理由はここらに有るのであろう。